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会話の現象

「弁証法」の意味を、ネットで調べても理解できなかった。

今日、人と話した。その時のことを晩御飯の時に思い出して、ぼんやりと思ったことがある。

その人は、私が前からたまにネット上でお話している人で、精神医学に関心があって、特にお医者さんではないけど、本を買っては、読んだりしている人だった。

私も、精神医学に(詳しい訳では無いが)興味がある人なので、最近知ったことを話して共有しようとした。

そしたら、今日は何故か話がどこか噛み合わなくて、考え方の相違もみられた。

言葉にすれば文章は同じでも、その事に対する感じ方が違うことと、また、違う意味で捉えられてしまうことを私は感じた。

きっと、弁証法は、二つの矛盾を眺める、中立的というよりかは、もっと俯瞰した立場でものを見るのかなとか思った。そして二つを統一することの意義は、物事に対する人の様々な視点を理解することだと思った。

そしてそういう風に見た時に、それらを理解した上での感情は大切なんじゃないかって思った。感情に身を任せてものを言うことは、私にとってはネガティブなイメージだけど、ロジカルな考えだけあればいい、じゃなくて、"感情"っていう機能は超絶ウルトラスーパー大事なんだと思いました。

取り敢えず今日の会話を通じて分かったのは、人間が相手に対して直接言っても誤解を生むだけで伝わらないけど、陰でいうと何故か分かり合える現象(?)と同じだろうとか思った。

結局、言葉が纏まらなくて何が言いたかったのか分からなくなった。

じゃっᐕ)ノ

P.S. それがあれば、きっと分かり合える。


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