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戯言 アウトプットについて

読書をしたら、良くアウトプットしろと言われる。
アウトプットは、読んだ本を外に吐き出す行為である。入力と出力の関係だ。飯を食えば便を放出原理と同じだ。
アウトプットにも色々種類がある。
そのひとつとして、人に話すこともアウトプットになる。
個人的には、私が読んだ本や視聴した映画や音楽のネタなんて誰が聞きたいんだと思ってしまう。
それならブログなどでアウトプットする方が健全で世間に迷惑をかけない方法だと思う。(結局世間に発信している分話ことと同じではあるが…。)
しかしそれでも、ブログを更新するとなると骨が折れる。
日頃は、会社員として働き、生活に追われ、大学で資格を取る為の勉強、学費の為の副業など、やることは多忙である上に、インプットとアウトプットをするのは休日や、平日の隙間時間しかない。
毎日アウトプットした方が良いなどの勧めを聞くと、その人は億り人かニートか、プロブロガーかアウプットの達人なんだろうだと思う。
普通の人間がアウトプットはおろかインプットさえままならない、疲弊した環境におかれていることは理解して欲しい。
それでも私は、それでも限りなく毎日アウトプットは可能なのか考えてしまう。
インプットなしにアウトプットは可能だろうか?
それは、恐らくそれは不可能に近いだろう。
しかし、唯一その方法はある。
それは、「日記」である。
私は会社でも会社飲み会(時間あるじゃん)でも、良く話が面白いと言われることがある。
これは特別私が博学だとか、笑のセンスがあるという、ことではない。
私の、物事の考え方が個性的というか、馬鹿みたいな拘りに縛られていうことが面白いという意味で言われる。
例えば、私は医者より介護士(ケアワーカー)の方が偉いと思っている。
何故なら、介護施設にとってケアワーカーは利用者さんを看取るまで家族よりも寄り添い魂のケアを実践しているからだ。
私はインドのマザーテレサの死を待つ家でボランティアをしたことがあるが、ケアワーカーはまさにマザー・テレサの再来と思ってしまう。
世界的常識で考えれば、宗教的な価値観こそグローバルスタンダードである。
だから、肉体より精神(魂)が尊いし、他界したあともケアワーカーが仕事があるが、肉体を失った世界では医者は失業するなど言いたいことを言いまくっている。(これはあくまでも医者を否定している訳ではない。医者がケアワーカーと比べて圧倒的に経済面や社会地位の面で恵まれている反面、それに比べてケアワーカーが恵まれない環境にある日本の価値観に違和感を覚えているからだ。)
という具合で、結局無駄口を世間様にアウトプットしている訳である。
最近は、アウトプットをする上で誤字脱字を指摘してくれる(実は有難い)人や、内容が薄いのではないかと考え過ぎてブログ更新を躊躇していたが、それでも阿呆は阿呆なりのブログを更新していきたいと思う。
まあ日記というか、戯言もアウトプットとして投稿していこうと考えている。
そういう点で、私も結局個人的な戯言が好きな一人である。酒を飲みながら、ブログを嗜む時間が娯楽であることは習慣になっているので、雑文を御許し頂きたい。
ではではそろそろ時間なので良い1日を!

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