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明るい話を書きたいが

明るい話を書きたいが
心身は横たわったまま

如何にもこうにも
そんな今日が続く

月曜日の朝に何て相応しくない題名だろう。

けど、あると思う、明るい話が書けない日々も。

経験上、自身だけが見るノートに整理するのは
より感情を深ぼったり考えたり出来るが
パワーが完全に枯渇する。頭を回せる自信がない。

だから、人が偶然見てくれる場所で
感情に少しだけ希望をブレンドさせてみる。

自分だけなら良いけど人の目に触れる可能性があると
少しだけ希望たる言葉を書きたくなる気がするから。

我ながら、以上、全て「知らんがな。」の塊だなと思う。


書いている最中にそれは自身の本音なのか
自身に込めた願いなのか分からない時がある。

何れにせよ文章を書く時に
自身の思いを棒に見立てて
地面に突き刺す感覚を持つことがある。

忘れないように。

地面は心。

棒を突き刺しているのだ、心に。

本音なのか願いなのか。

あまり優劣はないのかも知れない。

心が必要としている方を差している気がする。

おい、全然、何かまだ暗いじゃないか。


明るい話を書きたいが

こんな歌詞が含まれた曲を知っている。

星野源の「くせのうた」だ。


暗い話を聞きたいが 笑って聞いて良いのかな
思いだして眠れずに 夜を明かした日のことも

くせのうた

僕はこのフレーズを思い出して
悲しいと思った過去ですら抱き締めている自身に気づく。

笑い話にして人に伝えられるほど前向きな過去ではないが
昔話を「そんな事あったな。タメになったかも。」と思える
自分が少なからず存在している事に気づく。

実際に乗り越えた部分があるのかも知れない。

いや、いっぱい逃げたこともあるな。

バイト先の割烹着は実家の戸棚に仕舞われたままだ。

うん、タメにはなっていない。

ただ、あの罪悪感もあの惨めさも昔話になった。

たまに脳裏によぎるが、「しゃあない。」と流す自分。

流す自分は生き続けた自分。

お気づきの方はいるかも知れないが
フレーズと思った事はあんまりマッチしていない。

そもそも

人はそれぞれ考えが違うことを知った上で
それでも知りたいと思い、他者と向き合い続ける
包容的な美しさが詰まった曲なのだ。

曲で対比される人は同じ時間にいる人だと思う。

その人を未来の自分に置き換えるとどうだろう。

人が変わるのか、変わらないのかはよく知らない。

変わらない部分はあるが、日々直面する物によって
微妙に変わっていくのはあると考える。悲観主義然り。

「笑って聞いて良いすか?君の暗い話。」

「どうにもこうにも明るい話を書きたいが
 そんな気が持てない今日が続いてるのです。」

「はは、やばかったね、あの日々の絶望感ね。
 ある意味、必然だったかも。それも含めて自分だよ。
   今の君には理解できないかも知れないけど。」

「はあ、そうですか。」

まだ見ぬ自分はニヤけながら
過去の話を聞いているのかも知れない。

ただ、生き続けるだけで。

時の流れが作り出した考え方のズレと包容。

今の僕には理解が出来ない。

だから

逃げても戦っても
泣いても笑っても
今日を続けるのだ

当たり前の事をまたデカい声で言ってしまった。

ただ、地面に突き刺しておきたかった。

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