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母が作る弁当と魔法のスパイス

高校1年 朝9時45分。

僕は早弁マイスターだった。

一時間目の授業が終わった。高校1年生のクラスは中学で知っている人も少なく、見知らぬ人が多すぎて、友達を作ることが出来なかった。

喋りかける人もおらず、教室の天井を見るか、寝たふりをして過ごしてきた。お腹がグーっとなった。弁当を食べよう。

早くに弁当を食べる。俗にいう、早弁である。

弁当箱と味噌汁の入ったスープジャーをおもむろに開けた。
教室にふわっと広がる味噌汁の匂い。

席の両隣と前の子が一斉に僕を見て言う。

「早すぎん?」

毎日9時45分に味噌汁の匂いで教室を包み込む、僕に興味を持ってくれた。

早弁は人を巻き込む。
僕の隣は腹が減るのだろう。

隣の子と一緒に朝9時45分に弁当を食べるようになった。
部活の昼練のある子達も朝9時45分に弁当を食べ始めた。
たまに我が家の卵焼きが美味しいようで、摘んでくる。

早弁コミュニティは黙々と弁当を食べる集団であるが、仲間意識がある。
また、教室移動の際は、ギリギリまで弁当を食べることが美学だ。

「早弁の為にこのクラスの鍵係に立候補します。」
「ウォーーー!」

教室移動のデッドラインを抑えることで、ギリギリまで皆が早弁出来る環境を整えるために鍵係に立候補。男達の歓声が上がった。

いつの間にか腹が減って食べているのか、友人との交流の為に食べているのか分からなくなった。ただ、多くはないが、友達が出来た。

高校1年 朝5時45分。

母あってこその早弁。

毎日、朝5時45分に起床。

僕は部活に所属していたので、朝練の為に6時20分に家を出る。

階段を降りると、母がいつも弁当の準備をしている。

一体、何時に起きていたんだろう。

僕の担当である猫の餌やりを完了すると、
決まってテーブルに朝食が並んでいる。卵焼き、冷凍食品、ご飯、味噌汁。

早弁と友達が卵焼きを摘んでくる話をした。
次の日には卵焼きの個数が1つ多くなっていた気がする。
今考えると、友達が摘む為だったのか。

高校3年 朝7時00分。

毎日早弁をする僕も高校3年生の夏に部活動を引退した。
その為、父と同じ時間帯に起床するようになった。

父の弁当のご飯の量は少ない。糖質制限だ。

母曰く、父は後輩や部下と昼飯に行くと、必ず奢ってしまうそうだ。
父も回数が多すぎることには、反省と共に自認している。

そこで、毎日弁当を持たせることにしたそうだ。

策を詰めることで、食費の削減。

ある日の朝5時00分。

我が家は4人家族だ。不登校の妹がいる。
僕が高校生の時、中学で不登校になった。
部屋から出ず、生活の昼夜が逆転していた。

なので、弁当に関わるエピソードはない。
ただ、朝5時00分に彼女は母親が作る味噌汁の匂いに
誘われて、朝御飯を食べにくるらしい。

毎日、居間に朝帰りしていた。

母が作る弁当と魔法のスパイス。

僕は弁当がなければ、友達を作れなかったのかもしれない。
母の弁当には、魔法のスパイスが振りかけられていた。

毎日の弁当には、母の頑張りと愛情が。優しい味。
一切れの卵焼きには、気軽に友達が摘める為の気遣いが。友達には甘い味。
父の弁当には、体重増への心配と食費削減の策が。反省も兼ねて、辛味。
妹の味噌汁には、部屋から出てこれるような安心感と母の心配が。深味。

いずれもさりげないスパイスで、おかずの味の邪魔をしない。
だからこそ、気づくのが難しいし、当時は気づかなかった。

ただ、魔法のスパイスが振りかけられた弁当には飽きがこなかった。

高校3年生 最終登校日。

いつも通り、7時に起床して、1階に降りる。
猫の餌をやって、並んだ朝食を食べる。

母が何故か浮かない顔をしている。

「あんたに作る弁当これで最後やね。
 なんか寂しいわ、全部食べてくれてありがとう。」

母は一言そう言った。

感謝されるべき人間が感謝している。

「確かに少し寂しいな、お疲れ様でした。」

こんな言葉で返したことを覚えている。

恥ずかしくても、「ありがとう。」って
最後に一言添えれば、良かったな。と思う。

最終登校日から約10年後の今、ふりかける。
毎日の弁当、ありがとう。僕は多めにふりかけた。
僕のスパイス、風に乗って、届けばいいな。


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