見出し画像

🌏ピースルーム🌟


2022年4月29日(金)

きのうの朝出勤前、ラジオが、いま、幼い人たちが戦争の話をすると伝えていました。

ちょと回り道します。
毎日報道されているのですから、当たり前と言えば当たり前なのですが、わたしには30代より若い世代の人たちとほぼ接点がないので、実感がありません。子どもたちって、いまの状況をどんなふうに受けとめてるのかなー?と考えて、そこで止まっていました。考えたくないからです。自分が子どものとき、こんなことになっていたらと思っただけで、甚だ気が重くなるからです。それでなくても、いまの子どもさんは大変だよなあ!とわたしはずーっと前から思っているからです。

子どもたちが自由に自分の工夫で遊べる空き地をわたしはいま、近所で思い浮かべることができません。そういった場所は疾うに「役に立つ」建物で埋め尽くされました。「無駄」が大嫌いな大人は空き地を見ると「もったいないね、こんなに広いのに遊ばせておいて」と判で押したように言います。
その「もったいない」土地にはむかしと違ってロープが張られていて、所有者がいることを知らしめています。そこに子どもは姿を現しません。それでも、草花が好き放題に生えていたり、小さな鎮守の杜みたい、は言い過ぎでも、その場所は、貴重な、すてきな「空き」だとわたしはうれしく眺めます。
「空き」は必要と切実に感じるわたしは、「空き」が見当たらない時代に子ども期を送る人たちが窒息しないかと密かに案じています。少子化が進んで、子どもをジャッジし監視する視線の網の目は細かく執拗になるばかりです。ルパン三世でもトム・クルーズでもかい潜れますまい。というわけでラジオに戻れ!
戻りました。

どこかの幼稚園の園長さんが、幼い人たちも戦争のことを言うと話していらっしゃいました。園では戦争の話題を避けていません。お子さんからの問いかけに困っているという親御さんに、避けないで、親御さん自身のお考えを話してあげてください、と園長さんは呼びかけていらっしゃいました。
そして、この園長さんのところには「ピースルーム」という名の部屋があるのだそうです。けんかになった子どもたちは「ピースルーム」に行って話し合うのだそうです。

「ピースルーム」で互いの話に耳を傾ける。これはきっと簡単ではありません。でも子どもたちはしているんですね。
相手の話を落ち着いて聴いていると、相手に向き合っていると、どうしても内省が訪れます。「訪れる」と、むかしに読んだ橋本治の本に確か書いてあったはず。「訪れる」んですよね。いろんな発見があるはずです。こうした経験を重ねて育ちゆく人たちがいる、この国にいる。
その中のあるお子さんが、彼らも「『ピースルーム』に来ればいいのにね」と園長さんに話したのだそうです。
この素晴らしいアイディアにわたしは静かな興奮を覚えました。

国連が非難することよりも、世界の国々が制裁を発動することよりも、国連が「ピースルーム」を設けるほうが実際的な効果があるのではないでしょうか。
非難囂囂(凄い漢字。)の嵐の中で兵糧攻めに耐えている人に、内省が訪れるでしょうか? そんなことがありうるなら、その当事者(国)は、はじめから戦争なんか仕掛けたりしていないでしょう。
静かな、脅威に曝されない、安全と感じられる状態を保証する「ピースルーム」が、だから必要なんです。
「ピースルーム」は非難する場ではなく、内省が訪れるのを待つ場です。
その部屋に入れる人は限られます。広さは、部屋に入れる人ひとりひとりが適当と感じるパーソナルスペースが確保できる広さです。互いの話しに耳を傾けるためにはリラックスしつつ適度な緊張を保つことが必要です。
部屋に入る人は、戦争の当事国の「頭目」たちとオブザーバーたち。ほかは、わたしにはわかりませんが、有能な心理カウンセラーは必要かと思います。
国連が「ピースルーム」に頭目たちを招待したら、その間はもちろん停戦します。それから「頭目たちに拒む権利はない」ルールにしておく。大人には子どもが発揮する勇気を出すのが難しいからです。

子どもたちが実践している洗練された方法を国連が採用しないだろうか、と願って、書きました。


ブンジュ村の子育て

2023年11月4日(土)


この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?