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『東海道四谷怪談』:1959、日本

 ある夜、四谷左門と友人の佐藤彦兵衛が下男の直助を伴って歩いていると、浪人の民谷伊右衛門が立ちはだかった。伊右衛門は左門から娘であるお岩との結婚を拒否され、陳情に来たのだ。
 一度は結婚を認めながら拒否した理由について、左門は伊右衛門の身持ちの悪さを挙げる。伊右衛門が考え直すよう求めても、左門は冷たい態度を取った。左門から侮辱的な言葉を浴びせられた伊右衛門は激昂し、彼と彦兵衛を斬り捨てた。

 直助は伊右衛門に、「いい考えがありますぜ」と囁いた。直助はお岩と妹のお袖に、犯人は御金蔵破りに失敗して左門に訴え出られた小沢宇三郎だと吹き込んだ。伊右衛門と直助は、お岩、お袖、お袖の許嫁である与茂七に同行し、仇討ちの旅に出発した。
 半年後、直助は伊右衛門に、邪魔な与茂七を早く始末したいと告げる。直助はお袖に横恋慕しており、伊右衛門を助けたのは与茂七を殺す協力をさせるためだった。一方、お岩は病を患い、具合を悪くしていた。

 男3人はお岩とお袖を残し、滝の見物に出掛けた。直助は与茂七を刺し、滝壺に投げ落とした。彼はお岩たちの元へ戻り、与茂七が宇三郎に殺されたと嘘をついた。後から戻って来た伊右衛門は、「宇三郎を取り逃がした」と残念そうに言う。彼はお岩の面倒を見ると直助に告げ、お袖と2人で先に出発するよう促した。
 それから2年後、伊右衛門とお岩は江戸で暮らしていた。2人の間には赤ん坊が産まれていた。お岩はお袖が見つからず、仇討ちの手掛かりも得られないことに愚痴をこぼした。伊右衛門は、そんな彼女との暮らしに苛立ちを募らせるようになっていた。

 お袖と直助も、実は江戸に来ていた。直助は薬売りをしながら、仇討ちの相手を探している芝居をしていた。お袖は直助を愛しておらず、お岩と仇討ち相手を見つけるために形式として夫婦になっただけだった。
 彼女は「仇討ち相手を見つけるまでは体を許さない」と通告しており、直助に迫られても拒絶した。伊右衛門は商人の伊藤喜兵衛と娘のお梅が侍の一団に絡まれている現場に遭遇し、助けてやった。伊右衛門は邸宅に招かれ、接待を受けた。

 伊右衛門は鍼灸所に入り浸り、博打に明け暮れていた。彼は按摩の宅悦から借金を重ねており、「無くなれば直助に用意させる」と言う。そこへ直助が来て、もう金を工面できないことを告げた。
 伊右衛門はお岩に金を用意するよう命じ、赤ん坊の蚊帳を奪って換金しようとする。お岩が必死で止めると、伊右衛門はお岩が持っていた母の形見の櫛を持って行こうとする。お岩は思い留まるよう懇願し、代わりに帯を差し出した。伊右衛門はお岩に辛く当たった。

 直助は母のお槇を通じて彦兵衛と知り合い、伊右衛門とお岩の仲を割く仕事を引き受けて報酬を得た。伊右衛門はお梅と密通し、帰り道に直助から声を掛けられた。
 直助は彦兵衛から預かった金を伊右衛門に渡し、そろそろ覚悟を決めてお岩を始末するよう持ち掛けた。「何か妙案があるのか」と伊右衛門が尋ねると、直助はお岩に惚れている宅悦に間男させ、斬り捨てるという策を提案した。伊右衛門が「拙者に岩は斬れん」と難色を示すと、直助は南蛮渡来の毒薬を用意すると約束した。

 後日、直助は伊右衛門を呼び出して毒薬を渡した。伊右衛門は伊藤邸を訪れて祝言の段取りを済ませ、仕官の口を喜兵衛に頼んだ。彼は鍼灸所へ赴き、宅悦にお岩の間男をするよう持ち掛けた。
 夜、伊右衛門はお岩に着物を買い与え、良薬と称して伊右衛門は毒薬を飲ませた。伊右衛門の優しい行為に、お岩は感涙した。伊右衛門は訪れた宅悦を招き入れ、お岩のために呼んだように装った。伊右衛門は「仕官のことで、いつもの所へ行く」とお岩に告げ、出掛けて行った。

 直助は竹林に宇三郎に呼び出して斬り、お袖に見せ付けて「仇の宇三郎に間違いねえぜ」と述べた。宅悦は按摩の最中にお岩の体を奪おうとするが、激しく拒絶された。
 伊右衛門も承知していることを彼が話すと、お岩は驚愕した。刹那、彼女は頭部の割れるような痛みに襲われた。お岩に頼まれて水を運んだ宅悦は、彼女の顔を見て慄いた。お岩が手鏡に目をやると、顔の右半分が醜く腫れ上がっていた。宅悦はお岩に、全ては伊右衛門がお梅と一緒になるために仕組んだことだと打ち明けた。

 お岩は剃刀を手に取って宅悦に襲い掛かるが、誤って自分の首を切った。彼女は泣き出した赤ん坊を抱き上げ、「恨めしや、伊右衛門殿」と口にする。お岩は赤ん坊に「母と一緒に死んでおくれ」と話し掛けた後、「血も涙も無い極悪非道な伊右衛門。この恨み、晴らさずにおくものか」と言い残して息絶えた。
 そこへ戻って来た伊右衛門は、宅悦を間男として斬り捨てた。彼は訪ねて来た直助に戸板を外させ、お岩と宅悦の死体を裏表で張り付けた。伊右衛門と直助は戸板を運び出し、隠亡堀に沈めた…。

 監督は中川信夫、原作は鶴屋南北、脚本は大貫正義&石川義寛、製作は大蔵貢、企画は小野沢寛、撮影は西本正、照明は折茂重男、録音は道源勇二、美術は黒沢治安、助監督は石川義寛、編集は永田紳、音楽は渡辺宙明。

 出演は天知茂、北沢典子、若杉嘉津子、江見俊太郎、中村竜三郎、池内淳子、大友純、林寛、浅野進治郎、芝田新、花岡菊子、杉寛、高村洋三、山田長正、泉田洋志、広瀬康治、築地博、千曲みどり他。

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 鶴屋南北による同名の歌舞伎狂言を基にした作品。監督は『怪談累が渕』『亡霊怪猫屋敷』の中川信夫。
 伊右衛門を天知茂、お袖を北沢典子、お岩を若杉嘉津子、直助を江見俊太郎、与茂七を中村竜三郎、お梅を池内淳子、宅悦を大友純、喜兵衛を林寛、左門を浅野進治郎、彦兵衛を芝田新、お槇を花岡菊子が演じている。

 この映画は1959年7月1日だが、同日に大映が長谷川一夫の主演で『四谷怪談』を公開している。本作品は当初、当時の新東宝でトップスターだった嵐寛寿郎が主演する予定だったが、名声に傷を付けるわけにはいかないと考えた上層部が降板させ、悪役の多かった天知茂を代役に抜擢したらしい。
 新東宝の上層部は最初から、「長谷川一夫が主演する大映の映画に勝てるわけがない」と踏んでいたんだろう。実際、興行成績では『四谷怪談』が圧勝した。

 ただし、後に高く評価されたのは、こちらの作品である。それも大映の『四谷怪談』より評価が高いというだけでなく、「四谷怪談もの」の映画の中で最も良く出来た作品と称されるほどだ。
 中川信夫が「怪談映画の巨匠」と呼ばれているのも、この作品を撮ったことが大きい。ただ、中川監督って他にも前述した『怪談累が渕』『亡霊怪猫屋敷』、あるいは『地獄』などの作品は手掛けているが、実は経歴の中で占める怪談映画の割合ってのは少なくて、ホントは色んなジャンルの作品を撮っている職人監督なんだけどね。

 上映時間は76分しか無いので、原作にある『仮名手本忠臣蔵』との関連付けはバッサリと排除されている。狂言では与茂七が塩治義士(赤穂浪士)であり、『忠臣蔵』と合わせて上演されることもある。
 その部分だけでなく、他にも色々な箇所が削り落とされているし、キャラクター紹介や人間関係の説明にも時間を割いていない。だが、物足りないとか、描写不足だとか、そんな風には感じない。もちろん、あった方が物語の厚みは出るだろうが、不満は感じない。

 かなり展開は早いが、それを慌ただしいとは感じない。無駄を省いてサクサクと進めている、テンポが良い作品だという印象を受ける。
 もちろん、これは有名な『東海道四谷怪談』が原作だというのが大きい。前述した事柄も含めて、全く知らない物語であれば、描写不足で展開が拙速だと感じたのではないだろうか。大まかな筋書きや登場人物の設定について、ある程度の知識を持った上で鑑賞しているから、脳内補完というメリットが本作品にはあるのだ。

 とは言え、さすがに「省略が過ぎるだろ」と思う箇所も無いわけではない。いきなり竹林に宇三郎がいて、そこに現れた直助が背後から斬るというシーンは、「直助はどうやって宇三郎を見つけ出し、どういう名目で呼び出したのか」ってのは気になる。
 伊右衛門がお岩や宅悦の幽霊と見誤ってお梅、お槇、喜兵衛を立て続けに切り殺した後、シーンが切り替わると寺に移って暮らし始めているが、3人を殺害した出来事をどうやって隠蔽したのかは気になる。

 この映画の伊右衛門は、何の同情心も抱かせない悪党になっている。お岩に対する愛情を、ほとんど感じさせない。冒頭でお岩との結婚に反対する左門への激昂を見せているが、それは「お岩への愛」を感じさせる描写ではなく、伊右衛門の直情的な性格をアピールするものだ。
 その後、お岩たちと共に旅へ出るが、彼女への愛情を示すような箇所は全く無い。そして2年後に移ると、もう夫婦生活にイライラしている。「苛立っているが、たまに愛情を見せる」ということもない。

 お岩を斬ることへの抵抗は示しているが、それも「惚れた女だから殺せない」という風には見えない。ただビビっているだけに思える。ホントに惚れているのであれば、毒薬で殺すことにも迷いを示すだろうし。
 それぐらい徹底的に醜悪で卑劣な悪人なので、お岩が亡霊になって祟られる展開になった時に、一方的に彼女を応援できる。「もちろん伊右衛門が悪いんだけど、彼は彼で苦しんだのだ」と肩入れをしたい気持ちは全く沸かない。怪談映画ではあるが、終盤は復讐劇なのだ。

 芝居小屋の幕が開くところからオープニング・クレジットに突入し、全体を通して歌舞伎を意識した演出になっている。本編に入った初っ端、伊右衛門が左門と彦兵衛を斬るシーンも、いかにも歌舞伎っぽい。
 伊右衛門が左門に斬り付けた途端、打ち出しの音が鳴り、同時に打楽器も激しく鳴り響く。斬られた左門と彦兵衛がフラフラと後ずさり、伊右衛門がゆっくりと距離を詰めていく。その間も、打楽器は即興演奏のように鳴っている。伊右衛門が止めを刺すと、その音は激しくなる。

 だが、その序盤のシーンを過ぎると、しばらくは映像的に面白いシーンが訪れない。お岩が恨みを抱いて死ぬ辺りから、一気に映画のテンションが上がる。そこから繰り広げられる、様式美に基づいたケレン味溢れる映像が、この映画の最大の魅力だ。
 まずは初夜を迎える前のシーン。伊右衛門のいる伊藤家の部屋からお梅が去ると、急に薄暗くなり、お岩の「伊右衛門どの~」と恨みがましい声が聞こえてくる。周囲を見回した伊右衛門は、誰もいないのでホッとして座り直し、お茶を飲もうとする。
 その時、天井に視線をやった伊右衛門がギョッとする。カメラがパンすると、戸板に釘で打ち付けられたお岩の幽霊が天井に張り付いている。このシーン、お梅が去ったところから、お岩の幽霊が出現するところまで、1カットで見せているのが素晴らしい。

 そのシーンが終わると、今度はお袖と直助の家が写し出される。ここでは「行燈の近くにいた直助がお袖の方を振り返ると、そこには戸板に打ち付けられたお岩の幽霊がいる」というショッカー演出がある。ただ、そこは振り返ったところでカットを割っているので、前述したシーンに比べるとクオリティーは落ちる。
 伊右衛門がいよいよ初夜を迎えようとするシーンでは、恥じらったお梅が布団に横たわると、彼女の姿が画面下に消える。しばらくして起き上がると、お岩の亡霊になっている。ここも1カットで見せている。

 お梅たちを殺害して寺に移った伊右衛門は、堀へ釣りに出掛ける。何かが引っ掛かるので竿で突いていると、急に辺りが薄暗くなり、雷鳴が轟き、強い風が吹いてくる。
 水面が赤く染まり、戸板に打ち付けられたお岩の亡霊が浮かび上がって「伊右衛門どの~、田宮の血筋、絶やさでおくものか~」と口にする。伊右衛門が「地獄に落ちろ」と戸板を沈めると、今度は宅悦の幽霊が浮かび上がってくる。

 直助が堀で拾ってきた櫛と着物を目にしたお袖は、それが姉の持ち物だと気付く。それを指摘された直助は、足を洗っていた桶に数匹の蛇がいる幻覚を見て怯える。さらに、お袖が持ち上げた着物から垂れ落ちた血が桶に広がるのを見て、これまた怯える。
 そこへ、お岩が醜い姿ではなく、まだ毒薬を飲まされる以前の姿で訪ねて来る。慄く直助の背後には、醜い姿となったお岩が立っている。お袖は姉が生きていたと喜んで招き入れるが、直助はお岩の幽霊が打ち付けられた戸板の下敷きになっている。

 伊右衛門は寺を訪れた直助から「殺せるものなら殺してみろ」と挑発され、カッとなって斬り付ける。するとスローモーションで直助が倒れ込んでいく。一瞬、画面全体が真っ赤に染まる。カットが切り替わると部屋全体が写し出され、障子の向こう側が赤く染まっている。
 室内には堀が出来ており、戸板に打ち付けられたお岩の幽霊が浮かんでいる。その向こう側に、直助がゆっくりと倒れ込む。この映画を批評する時に、良く取り上げられるシーンが、ここだ。

 直助を殺した伊右衛門が本堂へ逃げると、赤ん坊を抱いたお岩の幽霊の姿が、暗闇の中で赤い光を浴びて浮かび上がる。赤い光を浴びた蚊帳が天井から降って来て、真っ暗闇の中で伊右衛門が怯える。彼が倒れ込むと、床一面に戸板が敷き詰められている。
 戸板の裏表にお岩と宅悦の幽霊が打ち付けられている姿を目にした伊右衛門が半狂乱で刀を振り回すと、床の戸板に数匹の蛇が這っている。また赤い光を浴びた蚊帳が天井から降って来て、伊右衛門は悲鳴を上げる。
 他にもケレン味溢れる映像表現は色々とあるのだが、個人的には、伊右衛門が天井のお岩を見るシーン、直助殺害シーン、本堂に移動してからのシーンが、ベスト3だ。

(観賞日:2013年8月14日)

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