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《四. おしゃべりな刀と墓場の鬼太郎 》

 『妖民の島』をヒットさせた雷次だが、それをきっかけに次々と監督を務めるようになる、ということは無かった。百田とのコンビによる次回作を翌年になって手掛けるまでに、雷次が監督した映画は、若尾文子主演の『夜更けの露草』(脚本は舟橋和郎)だけである。森一生監督は1965年に5本、1966年も5本の映画を撮っているのだから、その差は一目瞭然だろう。

 ただし、それも仕方の無いことだった。当時、既に時代劇映画は斜陽の時期に入っており、大映の経営状態も芳しくなかった。さらに1965年には東京撮影所で労使紛争が勃発し、その余波で大幅な人員整理が行われた。そんな中で、若手が監督を務める機会は、なかなか訪れなかった。永田社長の寵愛を受けていた雷次でさえ、例外ではなかったのだ。
 むしろ、雷次は恵まれている部類だった。百田など、『続・妖民の島』の後、大映で監督をするチャンスは二度と巡ってこなかったのだ。

 しかし雷次は、なかなか会社から監督の要請が来ない状況でも、焦りや苛立ちは無かった。「その間に新しい映画のアイデアが考えられる」と、前向きに受け止めた。それに、次々と監督をするよりも、もう少し修業を積みたいという気持ちもあった。
 彼は助監督の仕事をやりながら、時には百田と相談しつつ、新たな企画を練った。
 そして雷次は1966年、『妖民の島』とは全くテイストの異なる『おしゃべり奇想剣』を発表する。

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  『おしゃべり奇想剣』

  〈 あらすじ 〉

 青年剣士の高井源之助(藤巻潤)は、山奥の村に暮らす師匠の村雨重作(花菱アチャコ)を久しぶりに訪ねた。そこで彼は村人から、重作が病で亡くなったことを知らされた。源之助が師匠の小屋へ行くと、押入れから重作の声が聞こえた。押入れを開けると刀があり、その鞘から声が聞こえていた。

 驚く源之助に、師匠の声は事情を説明した。病に倒れた重作は、まだ源之助に剣術の全てを教えておらず、心残りがあった。何とか奥義を受け継がせたいと願う重作から相談を受けた山の呪術師は、「その願いを叶えてやる」と告げた。重作が息を引き取った時、気が付くと鞘の中に魂が入っていたというのだ。

 にわかには信じ難い話だったが、源之助は師匠の剣を持って修行の旅に出ることにした。途中、刀と喋っているために、茶店の老婆から怪しまれたり、宿を追い出されたりと、源之助は散々な目に遭った。それが原因で重作と言い争いになるが、奥義を教わったことで関係は修復された。

 源之助には、おとよ(坪内ミキ子)という許婚がいた。おとよが追い掛けてきたため、源之助は刀が喋ることを内緒にしようとする。事実を明かしても信じてもらえず、喋る刀を化け物扱いして怖がるのではないかと考えたからだ。しかし、すぐにバレそうになるため、その度に源之助はアタフタするハメになった。

 やがて源之助は、代官の栗塚帯刀(柳永二郎)が牛耳る宿場にやって来た。栗塚は商人の近江屋(上田吉二郎)と結託して悪事の限りを尽くし、庶民を苦しめていた。
 栗塚は芸妓の花奴(万里昌代)に一方的な思いを寄せていたが、その花奴に重作が惚れてしまう。そんな重作に命じられ、源之助は悪党退治に乗り出した……。

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 『おしゃべり奇想剣』のアイデアは、意外な所から得たものだった。
 「なあ百田、『墓場の鬼太郎』って知ってるか」
 ある日、雷次は百田にそんなことを言った。
 「そんな映画、あったかな」
 「映画じゃないよ、漫画だ」
 「漫画か。だったら知るわけがないだろ。俺が漫画なんか読むと思うのか」
 「読まないだろうなあ。だからお前の考える話は代わり映えがしないんだよ」

 「悪かったな。だけど漫画を読んだからって、それで代わり映えするものでもないだろ。大体、漫画ってのは子供が読むものだ。俺たちが読んでも、参考にはならないだろ」
 「ところが、そうとも言えないぞ。面白いアイデアが見つかることもある。そこで、『墓場の鬼太郎』だよ」
 『墓場の鬼太郎』は、漫画家・水木しげるの代表作『ゲゲゲの鬼太郎』の前身となる作品だ。複数の出版社から発表され、1966年の時点では、週刊少年マガジンで不定期連載されていた。読者の人気は低かったが、雷次は貸本漫画として発表されていた頃から作品を知っていた。

 「あの漫画では、主人公の親父が目玉に魂を宿らせて、目玉に手足が付いた姿で生きてるんだ。それをチャンバラ映画に取り入れたら、面白いんじゃないかと思ってさ」
 「侍が目玉人間と喋るのか。また怪奇時代劇ってわけか」
 「いや、俺の中では、喜劇のイメージなんだけど」
 「喜劇?」
 「ああ。侍の懐に、いつも彼の親父がいるんだよ。それで、侍は懐の親父と会話を交わす。その絵を想像したら、完全に喜劇じゃないか」

 「喜劇という以前に、いつも懐から目玉を覗かせていたら変だろ」
 「何も目玉の親父をそのまま持ち込もうとは思ってないさ。ようするに、人間じゃないのに、人間みたいに喋るというアイデアが面白いと思ってさ」
 「例えば、人形が喋るとか、そういうことか?」
 「そうさ。でも人形が喋るのは、怪奇映画で見たことがあるような気もするな」
 「何だよ、せっかくアイデアを出したのに、あっさりと却下するのかよ」

 そんなことを雷次と百田が撮影所で話していると、近くを通り掛かった役者がつまずいて転びそうになった。地面に置かれていたケーブルに、足が引っ掛かったのだ。
 「危ないやろ、このアホ」
 その役者がケーブルに向かって怒鳴ると、隣を歩いていた仲間が笑いながら
 「何に怒ってんねん。ケーブルが勝手に動いたわけでもあるまいし。お前の不注意やろ」
 とツッコミを入れた。
 その会話を聞いた雷次は、
 「あれだ」
 と膝を打った。

 「閃いたぞ、百田。人形じゃなくて、ごく普通の物が言葉を喋る設定にするんだ。白雪姫の魔法の鏡とか、あんな感じで。なあ、分かるか」
 「え、ああ」
 雷次が捲くし立てるように話すので、百田は気圧された。雷次は構わず言葉を続ける。
 「今回は主人公と常に一緒にいてもらわないと困るから、身の回りの物だ。侍が常に携帯している物は何だ?」
 「うーん、何だろう。根付とか、財布とか」
 「それより、刀だ。そうだ、刀で行こう。刀が喋るんだ」

 「でも、刀に魂が取り憑いてる設定にするんだよな。チャンバラで敵の刀と当たると、そいつは痛がるんじゃないか」
 「ああ、なるほど。だけど、それも喜劇として面白いんじゃないか。いや、何度も痛がっていたら、煩わしいかな。そうだ、だったら、鞘の部分に魂が乗り移ったことにすればいい。それなら敵の刀と当たらない」
 その場で雷次は思考を巡らせ、沸いてくるプロットを百田に説明した。そして百田が脚本に仕上げ、前回と同じく雷次が永田社長から映画化の承諾を得た。

 雷次は、ほぼ声だけの出演となる重作役に、吉本興業の芸人だった花菱アチャコを起用した。剣術の師匠には不似合いだが、主人公と軽妙なやり取りをさせるための配役だ。アチャコの関西弁によるお喋りは、映画を引っ張る重要な役割を果たした。また、近江屋を演じた上田吉二郎とアチャコによるピントのズレた掛け合いは、見所の一つとなった。

 『おしゃべり奇想剣』は1966年5月、市川雷蔵主演作の併映として公開された。映画館に集まった観客は、滑稽な芝居に爆笑し、迫力のあるチャンバラに興奮した。硬軟が上手く使い分けられ、緊張と緩和が絶妙に配合された本作品は、評論家からも高い評価を受けた。


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