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『草原の輝き』:1961、アメリカ

 1928年、カンザス州サウスイースト。高校3年生のバッド・スタンパーは同級生のディーニー・ルーミスと交際しているが、なかなか体の関係を許してくれないので苛立ちを覚えている。車で送ってもらったディーニーは、母からバッドの父親が経営する採掘会社の石油株が上昇したことを聞かされる。
 母は「株を売れば大学に行かせてやれるかも。だけど、まだ売らない。パパの話だと、まだ上がる」と話す。彼女は娘が金持ちの御曹司と結婚することを期待し、バッドの交際を応援していた。ただし彼女は「簡単に許す女は軽んじられる」と言い、結婚まで決してセックスしないよう釘を刺した。

 フットボール部の主将を務めるバッドは、父のエースから「みんなの尊敬を裏切るな」と言われる。彼は息子と同じぐらいの年に事故で怪我を負い、フットボールを断念していた。そのことを語った彼は、バッドに「お前が代わりに頑張ってくれ」と告げた。
 彼はディーニーとの交際について、「手を出したら結婚しなきゃならん。軽はずみなことはするな」と警告する。それから彼は、「お前はイェール大学へ行く未来があるんだ。東部の大手製油会社と合弁し、お前を入社させてやる」と語った。

 翌朝、エースは妻と食事を取りながら、バッドの姉であるジニーについて「育て方を間違えた。花嫁学校に入れたら規則を破って退学処分。大学では遊び呆けて落第。それでもお前は懲りずにシカゴの美術学校へ入れたが、女たらしに妊娠させられて婚約騒動だ。生活費は払わんと言ったら、すぐに奴は婚約を解消した。娘を教育し直さないと」と語る。
 話を聞いていたジニーは、「カリフォルニアのおばさんの所へ行く。こんな町は大嫌い」と吐き捨てた。

 バッドたちがフットボールの試合に勝利した後、部員のトーツはファニタとデートすることを仲間に明かす。彼が「ファニタは話が分かる。他の女子はデートに金を掛けてもキスしかさせない」と言うのを、バッドはシャワーを浴びながら聞いていた。
 部室を出たバッドは、ファニタと軽く会話を交わしてからディーニーの待つ車へ向かう。ディーニーが「ファニタみたいな子が好きなのね。彼女は下品よ」と苛立った様子で告げると、バッドは「彼女と話したらダメなのか」と不快感を見せた。

 ディーニーが詫びると、バッドは「怒ってないよ」と告げる。彼はディーニーを家まで送り、両親が不在と知って中に入った。ディーニーはバッドとキスし、「貴方の願いなら何でも聞くわ」と体を委ねようとする。しかし母が帰宅したため、2人は慌ててピアノを弾いていたフリをした。
 バッドは夕食後に迎えに来るとディーニーに告げ、その場を去った。ディーニーは母から、「ジニーの話を聞いた?シカゴで妊娠して、恐ろしい手術をしたそうよ。男にだらしない女は、そうなるのよ」と聞かされた。

 バッドはエースに、ディーニーと結婚したいと打ち明けた。さらに彼は、「イェール大学には行きたくない。農業大学へ2年間行きたい。父さんの牧場を継ぎたい」と話す。エースは「イェール大学へ行けば気持ちも変わる。他の女と遊べ」と告げ、結婚の考えを変えさせようとする。
 バッドは納得できず、もう耐え切れない熱い思いを吐露した。しかしエースが「イェール大学を卒業したら結婚させてやる」と約束したので、彼は仕方なく承知した。

 バッドは父から、ニューヨーク出張の間にジニーを監視する役目を頼まれた。ジニーはグレンという頭の悪い男を家へ連れ込み、母が困惑しても全く気にしなかった。ジニーがドライブへ出掛けると言い出したため、バッドはディーニーを伴って同行した。
 ジニーは別荘へ到着すると、酒を飲んでグレンとベタベタする。彼女がディーニーにも酒を勧めたので、バッドは注意する。ジニーが態度を改めないので、バッドはディーニーを散歩へ連れ出した。

 クリスマスになると、ディーニーはブライアンという男を家へ連れ込んだ。ブライアンが密造酒の製造者で既婚者だと知っているバッドは、彼と出掛けるのを中止するようジニーに告げる。しかしジニーは耳を貸さず、「パパの言いなりね」と告げて立ち去った。
 新年を迎えるパーティーで騒いだジニーは、エースから叱責された。ジニーは客の男たちを踊りに誘うが、誰もOKしなかった。ジニーは酒を煽り、さらに乱れた行動を取り始めた。

 バッドはエースから、姉を自宅へ連れ帰るよう指示された。しかしジニーが「あっちへ行って」と拒否したので、彼は姉を会場の外へ追い出した。ジニーは外にいたグループを誘い、ビルという男を車へ連れ込んだ。外に出たバッドは、その様子を目撃してビルを殴り付けた。
 仲間が「彼のせいじゃない」と説明しても、バッドは暴行を止めようとしなかった。そのため、バッドはビルの仲間たちに反撃された。その間にディーニーは、車を走らせて会場を去った。バッドはディーニーに、しばらく会うのをやめようと告げた。

 バッドはフットボールの練習に身が入らず、成績も落ちた。彼は体育の授業中に高熱で倒れ、肺炎の疑いで入院した。回復したバッドは、主治医にディーニーとの交際を相談する。
 「彼女とは両想いだけど、いつも自分を抑え込んでいる。今のままの関係を続けるのは辛い。父は他の女と遊べと言うけど、ディーニーじゃなきゃ嫌だ。どうすれば?」と彼は苦しい気持ちを吐露するが、主治医は返答に窮して「また金曜日に来なさい」と言うだけだった。

 バッドはファニタをデートに誘い、肉体関係を持った。その噂を知ったディーニーは、強いショックを受けた。授業中に我を忘れて飛び出した彼女は、保健室でパニック状態に陥って喚いた。バッドはトーツから「ディーニーを貰ってもいいか」と問われ、「君の自由だ」と答えた。
 元気の無いディーニーを見た母は、「バッドと何があったの?汚されたの」と質問する。ディーニーは泣きながら、「汚してもくれなかった。私は身持ちのいい処女よ。パパとママの言う通りにしてきた。2人とも大嫌い」と声を荒らげた。その後、ディーニーは父が母に「精神科へ入院させよう」と話しているのを耳にした。

 ディーニーはトーツに誘われ、卒業記念のダンスパーティーに出掛けた。バッドが同級生のケイと来ているのを見たディーニーは、明るく振る舞った。彼女はバッドを会場の外へ連れ出し、車でのセックスに誘う。
 バッドが「君らしくない」と戸惑うと、ディーニーは「もう違う」と言って抱き付いた。「どうすればいい?」とバッドがセックスを拒むと、彼女は「生きていたくない。死んじゃいたい」と泣いた。その場から走り去ったディーニーはトーツに誘われ、ドライブに出掛けた。

 ディーニーはトーツから車内でセックスを求められるが、バッドの名を呼んで拒絶した。ディーニーは車から走り去り、滝壺に飛び込んだ。近くにいた若者たちが川へ飛び込み、錯乱状態の彼女を引き上げて病院へ運んだ。ディーニーの父親は、株を売ってウィチタの施設へ娘を入院させると決めた。
 バッドはディーニーの主治医に「父が何と言おうと彼女と結婚します」と告げるが、「愛しているなら離れているべきだ」と諭された。やがてディーニーは施設へ移り、バッドはイェール大学へ通い始めた…。

 監督はエリア・カザン、脚本はウィリアム・インジ、製作協力はウィリアム・インジ&チャールズ・H・マグワイア、撮影はボリス・カウフマン、美術はリチャード・シルバート、編集はジーン・ミルフォード、衣装はアンナ・ヒル・ジョンストン、音楽はデヴィッド・アムラム。

 出演はナタリー・ウッド、パット・ヒングル、ウォーレン・ベイティー、オードリー・クリスティー、バーバラ・ローデン、ゾーラ・ランパート、フレッド・スチュワート、ジョアンナ・ルース、ジョン・マクガヴァン、ジャン・ノリス、マーティン・バートレット、ゲイリー・ロックウッド、サンディー・デニス、クリスタル・フィールド、マーラ・アダムス、リン・ロリング、フィリス・ディラー、ショーン・ギャリソン他。

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 『欲望という名の電車』『エデンの東』のエリア・カザンが監督を務めた作品。戯曲家のウィリアム・インジが脚本を手掛けている。
 『ピクニック』や『バス停留所』などが映画化されているウィリアム・インジだが、映画脚本を担当するのは本作品が初めてだ。アカデミー賞では脚本賞を受賞している。

 バッド役のウォーレン・ベイティーは、これが映画デビュー作。ディーニーをナタリー・ウッド、エースをパット・ヒングル、ディーニーの母親をオードリー・クリスティー、ジニーをバーバラ・ローデン、イタリア娘のアンジェリーナをゾーラ・ランパートが演じている。
 撮影当時、ナタリー・ウッドはロバート・ワグナーと結婚していたが、1962年に離婚。この映画で出会ったウォーレン・ベイティーと婚約するが、後に破局している。

 バッドもディーニーも、親の期待を背負わされている。反発する気持ちもあるが、徹底的に逆らうほど覚悟や勇気は無い。だから重圧を感じ、苛立ちを覚えながらも、結局は従うことを選択してしまう。バッドは父の、ディーニーは母の期待に苦しみながら、呪縛の中で生活している。
 親が我が子に期待するのは、当然と言えば当然かもしれない。ただしエースたちの場合、自分の叶えられなかった夢や希望を子供に託している。自分の代わりに叶えてくれる人間として、子供を利用しようとしているのだ。

 バッドの父やディーニーの母にとって、子供の意志は関係ない。自分の望み通りに動くよう、親の立場を使ってコントロールしようとする。困ったことに、彼らは自分が間違った行動を取っているなんて微塵も思っていない。
 その時は子供が嫌がったり反発したりしたとしても、結局は本人のためになるのだ、いずれは必ず分かるはずだと信じ込んでいる。ある種の思想犯なので、歪んだ信念は決して揺らぐことが無いのである。

 バッドの場合、エースという存在だけでなく、ジニーという厄介な姉まで付いて来る。ジニーが無軌道なアバズレ女になってしまったのは、支配的な父の性格も大いに影響していたのだろうと思われる。
 ただ、そのせいで道を踏み外したジニーは、自分を反面教師にしてバッドには後悔しない道を歩んでもらおうとするのではなく、同じ堕落の道へ引きずり込もうとするのだ。時にはディーニーまで道を踏み外すよう誘うのだから、どうにも困った存在である。

 ジニーはブライアンと出掛けることをバッドが止めようとした時、「パパの言いなりね。今に後悔するわ。その時は手遅れよ」と告げる。言葉の中身自体は、その通りだと思う。ただし、それを言うタイミングは違うだろうと。
 バッドがブライアンとの交際に反対するのは父親の言いなりってことじゃなくて、単純に姉を心配してのことだ。それにブライアンが密造酒の製造者で既婚者だと知っていれば、止めようとするのは当然だろう。そんなジニーの行動は、「父親の言いなりになることを拒否し、後悔しない生き方」とは言えないわけで。「自分はもう手遅れ」という意味で言わせた台詞だとしても、そのタイミングじゃないし。

 ディーニーはバッドがファニタと関係を持ったと知り、すっかり我を失ってしまう。保健室で笑いながら泣いたり、自宅で喚き散らしたりする。父が精神科に入れようと言い出すのが大げさでもないと思うぐらい、取り乱し方が尋常ではない。
 今の感覚だと、「恋人が他の女と自分より先にセックスした」というだけで、そこまでイカれてしまうのは理解できないかもしれない。ただ、それぐらいディーニーの純潔に対する呪縛が厳しいものであり、それぐらい全身全霊でバッドを愛していたということなのだ。だからこそ、「両親の言い付けを守っていたせいで大切な人に捨てられた」というショックは、ものすごく大きいのだ。

 しばらく施設で暮らす内にディーニーは元気を取り戻し、ジョニーという若い医者と出会う。一方、バッドはイェール大学で全く勉強せず飲んだくれていたが、ピザ店の娘であるアンジェリーナと出会う。バッドは父から、ディーニーは母から、それぞれ間違いを謝罪される。バッドは父に「お前から奪った物があったなら償わせてくれ」と言われ、ディーニーは母に「私なりに一生懸命育てて来たけど、間違っていたなら許して頂戴」と謝罪される。
 バッドもディーニーも親を責めたりせず、穏やかに許す。エースは株価の暴落を受け、その時点で自殺を決意している。彼はバッドの部屋に女を差し向け、それを確認すると満足そうな表情を浮かべて自殺する。それはバッドにとってショックの大きな出来事ではあるが、ある意味では解放されたとも言える。

 ディーニーはジョニーから求婚され、それを受けようと考える。主治医は彼女に、バッドと会わずに決めてもいいのかと問い掛けられる。そこで退院したディーニーは友人たちに同行してもらい、バッドが暮らしているという牧場へ行く。するとバッドはアンジェリーナと結婚して男児に恵まれ、2人目の出産も近い状態だった。ディーニーは驚くが、バッドが幸せだと知ると、自分も来月には結婚すると明かす。
 帰りの車内でディーニーが浮かべている表情には、悲しみや嘆きの色など全く無い。青春の輝きに満ちていた過去と決別し、これからの人生を前向きに生きて行こうとする強い意志が感じられる表情だ。

 映画の前半には授業のシーンが2つあり、その内容が丁寧に描写されている。その段階だと、そこまで授業の内容を丁寧に描く意味など全く無い。
 しかし2度目の授業シーンでディーニーが朗読するワーズワースの詩『霊魂不滅のうた』は、重要な意味を持っている。その詩の内容は、「かつては目を眩ませし光も消え去り 草原の輝き 花の栄光再び それは還らずとも嘆くなかれ 奥に秘められたる力を見いだすべし」というものだ。

 映画のタイトルである『草原の輝き(原題は『Splendor in the Grass』)』は、この詩から取られている。詩の意味を噛み砕いてザックリと説明するならば、「かつての輝きは消え去ってしまったけど、それを嘆くのではなく、その奥にある力を見出そう」ということになる。
 ディーニーはバッドとの恋を失い、気持ちを燃え上がらせた日々は二度と戻らない。だが、最後のシーン、その詩を思い出したディーニーは過去の輝きが消え去ったことを嘆くのではなく、前向きに進んでいこうとするのだ。

(観賞日:2017年12月15日)

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