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『にっぽん昆虫記』:1963、日本

 大正7年冬、松木えんは娘・とめを出産した。夫の忠次が婿入りしたのは10月3日なのに、それから2ヶ月目の出産だった。忠次が役所に出産を届けると、役員たちは「ホントの親父は誰だ?」と笑った。えんは男遊びが激しく、特に小野川という男とは親密な関係だった。だが、少しオツムの弱い忠次は、とめが自分の子だと信じた。
 大正13年5月、とめは納屋で情事にふける母と小野川を目撃した。しかし忠次は、女房が浮気していても呑気なものだった。とめは、忠次にとても懐いていた。

 昭和17年春、とめは高羽製紙の女工として働いていた。父が危篤という電報が届き、彼女は急いで帰郷した。だが、それは嘘だった。祖母・りんや母は、とめを地主の本田家の三男・俊三に足入れさせるために呼び寄せたのだ。
 弟・沢吉や彼の妻・るいも承知していた。本田家への借金を抱えている家族は、勝手に話を決めており、「お迎えが来るから仕度してろ」と言う。

 とめは「父ちゃんと相談しないと」と言うが、忠次は明日の朝まで山仕事で戻らないという。るいは「死ぬまで父ちゃんと寝るつもりか」と、とめを扱き下ろした。本田家へ連れて行かれそうになったところへ、忠次が戻って来た。
 初めて話を知らされた彼は暴れ出し、えんを殴り付けた。とめは慌てて制止し、「家のためだ」と本田家へ行くことを承諾した。ただし、手伝いに行くだけで、俊三と寝るつもりは無かった。しかし出征する俊三は、彼女を手篭めにした。

 俊三には坂下かねという妾がおり、とめに辛く当たった。かねの息子は、とめを見て「鬼」と罵った。忠次が俊三を殴ったせいで、とめは実家へ帰された。20年8月、とめは娘・信子を信子に預け、また高羽製糸で働いていた。彼女は配給の乾パンを全て信子に送っていたため、栄養失調になった。彼女は介抱してくれた係長の松波と肉体関係を持った。
 終戦後、とめが実家で暮らしていると、松波が現れて会社へ戻るよう求めた。家では自分が邪魔にされていると感じ、とめは再開した高羽製糸に戻ることを決めた。

 松波が組合活動を始めたので、とめは協力するようになった。だが、他の女工と浮気するようになった松波は、とめに「別れよう。君の組合活動は激しすぎて付いていけない」と告げた。課長代理になった松波にとって、とめは厄介な存在になっていたのだ。
 昭和24年夏、とめは高羽製紙をクビになり、信子を忠次に預けて上京することにした。会社と戦って勝ち取った退職金4千円の内、半分を忠次に渡した。忠次は貨幣価値が変わったことを知らず、使えなくなった10円を差し出そうとした。

 昭和25年9月、とめは米軍基地のメイドとして働いていた。彼女は米兵ジョージとオンリー・谷みどりの情事を覗き見て、寂しさに一人で悶々とした。ある日、とめが情事を気にしている間に、ジョージの娘キャシーが火にかけたシチュー鍋をこぼした。熱いシチューを全身に浴び、キャシーは死亡した。
 とめは正心浄土会という宗教に入信し、会合に参加した。彼女は班長から、犯した罪と心の悩みを話すよう促された。キャシーのことを語り、化粧品のセールスをしていると言うと、信者たちは「何も供養していない」と口々に言う。班長は、「お前は前世で色情の罪を犯している。充分にご供養なさい」と告げた。

 昭和26年12月、とめは正心浄土会で知り合った蟹江スマに誘われ、彼女が女将をしている旅館で女中として働き始めた。ある日、客の真田が文句を言い、スマは御銚子を部屋へ持って行くよう、とめに指示した。とめが部屋に行くと鍵を閉められ、真田に体を奪われた。そこは売春宿だったのだ。
 とめが「安心してきたのに。飢えた女たちを縛り付けて」と非難すると、スマは何食わぬ顔で「いたくなきゃ、いつ出ていってもいいんだよ。ここは赤線じゃないんだから」と告げた。なし崩し的に、とめは女中から売春婦となった。

 昭和30年9月、正心浄土会の儀式の最中、とめは腹痛で倒れた。彼女は子宮外妊娠しており、手術を受けた。信子からの手紙が届いた。そこには、家族にイジメられるので忠次と共に稲蔵で住むようになったこと、送金は沢吉に横取りされているので学校へ送って欲しいことが記されていた。見舞いに来た仲間は、タケという売春婦の口利きで、外で客を取って稼いでいることを話した。

 スマは正心浄土会で役付きになり、とめに「退院したら店の仕事を手伝わないか」と持ち掛けた。すると、とめはタケが外で仕事をしていると密告した。とめは女中頭という役職を与えられたが、スマは入院費を支払ってくれなかった。「お前はね、あたしに飼われてるんだってことを忘れるんじゃないよ」と、スマは冷淡に告げた。
 ある日、とめがバスに乗っていると、みどりを見掛けた。彼女は韓国人と結婚し、子供もいた。とめは彼女に「いい仕事あるんだけど」と持ち掛けて真田を紹介し、仲介料を手にした。

 とめはスマから、問屋の主人・唐沢が面倒を見てやろうと言っていることを聞かされた。スマは真田から、とめが外で客を取っていることを耳にしていた。彼女は、とめに「この話はまとめてやるから、今後は外で客を取るな」と告げた。
 とめやスマは警察に呼ばれ、事情聴取を受けた。旅館で売春が行われていることを、とめはペラペラと喋った。スマは2ヶ月ほど拘留されることになった。

 とめは売春婦たちに「池袋にアパートを借りた」と言い、コールガール組織を作ることを持ち掛けた。「別々に住んでどこかで客と会い、夜だけ働けばバレない」と、彼女は説明した。
 昭和34年4月、コールガール組織は軌道に乗っており、稼ぎは上々だった。そんな中、とめは唐沢から、商売相手を接待するために女を用意するよう頼まれた。とめが行くことを申し出ても、唐沢は平気な顔だった。とめは女中・花子に苛立ちをぶつけ、彼女の腕を熱い鍋に突っ込んだ。とめは医者に、花子の顔を整形するよう頼んだ。

 みどりは自分だけ他のコールガールと比べて取り分が少ないことを知り、とめに抗議した。とめは「アンタにお客を付ける度に、文句の言われっぱなしなんだよ。サービスは悪いし、変なのが付いてくるし。嫌ならやめたっていいんだよ」と、冷徹に告げた。
 とめはアパートで勝手に商売の電話をしている花子を見つけ、激怒した。花子は「あたしたちから搾り上げて、それを唐沢なんかに入れ上げやがって」と反発した。とめは、ますます腹を立てて花子に暴力を振るった。

 花子が飛び出したのと入れ違いに、信子がアパートへやって来た。信子は、とめに「20万円貸してくれないか」と持ち掛けた。山形の研修農場で一緒になった上林たちと一緒に開拓をして、酪農の共同経営を始めたいというのだ。信子は、3月で高校を辞めていたことを打ち明ける。
 とめは「そんなお金は無い」と告げ、早く東京へ出て旦那を探すよう勧めた。すると信子は、「恋人はいる」と告げた。その夜、田舎から忠次が倒れたという電報が届いた。とめと信子は帰郷するが、忠次は2人に看取られて息を引き取った。

 昭和35年6月、花子が渡しておいた家賃を持って失踪した。彼女の密告によって、とめは警察に逮捕された。昭和36年春、とめは刑期を終えて出所し、唐沢の店に現われた。唐沢は手持ちの金を渡し、新しい住まいを教える。
 とめが部屋にいると、そこへ信子がやって来た。信子は、先月の始めに家を飛び出して東京に来たこと、20万の工面を唐沢に頼み、彼の情婦となったことを話した…。

 演出は今村昌平、脚本は長谷部慶次&今村昌平、企画は大塚和&友田二郎、制作主任は山野井政則、助監督は磯見忠彦、撮影は姫田真佐久、編集は丹治睦夫、録音は古山恒夫、照明は岩木保夫、美術は中村公彦、音楽は黛敏郎。

 出演は相沢ケイ子、青木富夫、青柳明子、東恵美子、雨宮節子、鵜沢正彦、漆沢政子、榎木兵衛、大川隆、大倉節美、小沢昭一、加藤武、加野敬子、川口道江、河津清三郎(東宝)、北出桂子、北林谷栄、北村和夫、絹川京子、工藤雪子、久米明、桑山正一、小池朝雄、佐川明子、斉藤美和、佐々木すみ江、阪井幸一朗、清水ヒトミ、柴田新三、鈴村益代、澄川透、田中春美、高緒弘志、高田栄子、高原駿雄、高山千草、土田義雄、露口茂、殿山泰司、長門裕之、中山次男、新津邦夫、根本義幸、春川ますみ、晴海勇三、左幸子、英原穣二、平田大三郎、平塚仁郎、深町真喜子、藤井和子、藤沢真起子、星井暁子、炎加世子、三浜元、緑川宏、宮沢尚子、宮原徳平、茂手木かすみ、森みどり、矢吹寿子、山川朔太郎、吉村実子、若葉めぐみ、渡辺節子。

 『豚と軍艦』の今村昌平が監督した作品。左幸子は本作品と『彼女と彼』の演技が評価され、日本人で初めてベルリン国際映画祭女優賞を獲得している。
 とめを左幸子、信子を吉村実子、忠次を北村和夫、唐沢を河津清三郎、みどりを春川ますみ、スマを北林谷栄、みどりの夫を小沢昭一、松波を長門裕之、えんを佐々木すみ江、沢吉を小池朝雄、るいを相沢ケイ子、真田を加藤武、警察の取調官を久米明、俊三を露口茂、上林を平田大三郎、小野川を桑山正一が演じている。

 今村監督は変態スケベ野郎なので(扱き下ろしているわけではない)、もちろん本作品にもエロスは持ち込まれている。彼のエロス描写は、とても粘着質で、湿気を感じさせるものだ。あまり美人とは言えない左幸子や吉村実子を起用し、方言を使わせてエロスを描いており、それが妙に生々しい。
 とめが「乳が張って」と忠次に乳を吸ってもらったり、死に際の忠次に乳を吸わせたりするシーンなんて、とても変態チックだ。ただ、ちょっとエログロ的で、個人的には、リビドーは刺激されないけど。

 終戦、松川事件、メーデー事件など、日本の戦後史に関わる出来事が何度も挿入されている。場面転換は、そういった出来事に合わせて行われている。だが、それが特に効果をもたらしているとは思えない。それらの事件に、とめは何らかの形で遭遇しているが、彼女の人生と密接に絡み合っているとは感じない。
 っていうか、その出来事を描くだけが目的で、とめの人生模様については特に何事も無いままで次のシーンに移っているケースもある。それは本末転倒だと思うぞ。

 とめは実家に居場所が無い。祖母も、母も、弟も、その嫁も、みんなが彼女をバカにする。そして邪険にする。彼女の味方は父だけだ。田舎の下卑た姿が、露悪的に描かれている。だからと言って、都会に出れば幸せになれるかというと、そうでもない。そこでも、とめは不幸な目に遭う。
 男尊女卑が罷り通っている世の中で、とめは男たちのせいで酷い目に遭わされるが、それだけではない。その男尊女卑を彼女に要求する、周囲の女たちも敵なのだ。醜悪な人物ばかりが周囲には存在している。

 というか、人間の醜悪な部分をドギツく暴き出すのが、今村監督の映画だ。で、そういうのを喜劇として描くから、重喜劇ということになるわけだ。
 ただし、彼の作品を喜劇として見ることは、私にとっては簡単な作業ではない。前作『豚と軍艦』は、陰惨な匂いが強い中で、脇のキャラクターが喜劇的な振る舞いを見せることで、滑稽な空気、軽妙な空気を作り出していた。

 で、今回の映画なんだが、一応、「陰惨な出来事を軽く描こう」があることは理解できる。しかし、今回は、全く喜劇として受け止めることが出来なかった。
 こういうのを喜劇と呼べる今村監督のセンスは、よっぽど笑いのセンスが常人を超越しているか、よっぽど性格が歪んでいるか、どっちかだろう。っていうか、ファンの人には申し訳ないが、まず間違いなく後者だと思う。

 とめは常に、心の拠り所を求めている。忠次、山の神様、高波、正心浄土会、唐沢、信子。心の拠り所が無いと、彼女は生きていけない。しかし彼女は、依存した高波や唐沢に裏切られる。男も女も、とめの周囲は敵だらけだ。
 最初は弱かった彼女も、そうやって酷い目に遭わされ続けていれば、強くならざるを得ない。彼女は「強くなりたい」と願ったわけではなく、そうなろうと努力したわけでもなく、強くならざるを得ない状況へと追い込まれていったのだ。

 とめは唐沢に面倒を見てもらうようになると、「あたし、安定したかったのよ」と喜んでいる。もはや金のために体を売ることなど、屁とも思わなくなっている。
 それは、たくましくなったという風にも取れるが、感覚が麻痺してしまったとも受け取れる。それに、セックスは「金のため」と割り切ってビジネスとしてやっているわけではなくて、心から喜んでやっているようだ。

 とめは生きていくために、優しさや思いやりといった感情、人間としての倫理観を捨て去る。やがて彼女は不条理な苦しみ、理不尽な仕打ちを受け、同じようなことを他人に味あわせるようになる。
 虐げられてきたとめが、みどりに真田を紹介し、やがてコールガール組織の元締めとなる。金を稼ぐために、すっかり打算的になる。そして、今度は自分が女を利用して金を搾取する立場に立つ。

 とめはコールガールたちからピンハネし、傲慢な態度を取る。自分が非難したスマと同じような女に変貌しているが、本人に自覚は無い。自分がやられたことを他人にやることへの罪悪感も、全く無い。
 しかし、それは「自分がやられた分、他人も痛い目に遭わせてやろう」という報復ではない。生きるために神経が図太くなっていき、結果的に、そういう人間になってしまっただけだ。

 最初、とめは「お国のために」という意識で働いている。敗戦によってその目標が消えると、今度は高波のために組合活動に燃える。高波に裏切られた後、やがて宗教に走る。
 だが、宗教も、彼女を救う道にならない。唐沢に入れ込むが、彼も体だけが目当てで、本気で愛してくれるわけではない。とめは信子のために金を稼いできたが、その信子が唐沢の情婦になってしまう。
 そして、その信子は唐沢をまんまと騙し、20万をキッチリと手に入れて田舎へ帰る。最終的に、とめに残されたのは、「生きる」ということに対する志だけだ。

(観賞日:2010年8月21日)

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