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『殿さま弥次喜多』:1960、日本

 正徳六年正月、尾州藩の若殿・徳川宗長と紀州藩の若殿・徳川義直は、八代将軍の候補に選ばれた。しかし2人とも将軍職を嫌がり、互いに名古屋城とと和歌山城で「ふさわしいのは義直殿」「ふさわしいのは宗長殿」と言う。両藩の家老・鏡兵部と堀田帯刀は、また宗長と義直が弥次喜多道中に出ることを危惧し、2人を会わせないように努めた。

 宗長と義直は江戸へ向かうことになったが、帯刀と兵部は行列の駕籠を縄で縛って出られないようにした。その行列を、丘の上から鉄砲で狙う一団がいた。だが、尾州藩と紀州藩の家臣・垣内権兵衛と柿内権兵衛が鉄砲で威嚇射撃をして「降りて来い」と叫んだため、一団は慌てて逃げ出した。しかし両権兵衛は、木の上に登っていた女・お君に呼び掛けたのだった。

 お君は「弟の凧を取ろうとしていた」と釈明するが、帯刀と兵部は行列を見下ろした罪で手打ちにしようとする。しかし義直と宗長は、駕籠の中から手打ちを制止した。お君は、「人の命は大切にするものじゃ」と言う義直に心を惹かれた。
 行列が去った後、お君の子分・三吉が駆け寄った。お君は「いろは瓦版」の社長で、若殿2人の顔を見てスクープをモノにしようとしたのだ。

 行列が宿場町の本陣に入ると、それを聞き付けたエンマ堂、尚文堂、幸運堂という3つの瓦版屋の連中が大挙して押し掛けた。その混乱に乗じて、宗長と義直は逃亡した。またも弥次郎兵衛と喜多八の旅烏コンビとなった2人は、ひょんなことからお君と三吉に出会い、いろは瓦版で働くこととなった。
 一方、幼い忠晴を八代将軍に擁立しようとする越前藩家老・九鬼弾正は、家臣の黒岩典吾らと密談を交わしていた。彼らの背後には、老中・安藤対馬守が付いていた。エンマ堂の夜叉八は、彼らから情報を得ていた。

 江戸城で対馬守らに接見した兵部と帯刀は、宗長と義直が重病で来られないとウソをついた。町へ捜索に出た両権兵衛だが、瓦版を配る宗長と義直に遭遇しても全く気付かなかった。宗長と義直は、両権兵衛の名前を使って次期将軍に関する談話を瓦版に掲載していた。
 宗長と義直は、エンマ堂の連中とケンカになった。そこへ菱川土師兵衛という男伊達が仲裁に入るが、エンマ堂の連中に蹴散らされる。ケンカに巻き込まれた焼き芋売り・お八重から潰れた芋の弁償を要求された宗長と義直は、小判を渡して走り去った。

 瓦版社に戻った宗長と義直は、戸を叩く人物がエンマ堂の連中だと思い込み、入ってきたところを棒で叩きのめす。だが、それは土師兵衛だった。そこで2人は、土師兵衛がお君の父親だと知った。
 介抱しているところへお八重が来るが、また間違えて棒を振り下ろし、彼女が持って来た芋を台無しにしてしまう。そこへ夜叉八が侍を引き連れて現われ、「九鬼弾正様が付いている」と脅す。しかし宗長と義直はひるむことなく一味と戦い、退散させた。

 土師兵衛はお君に、「弥次喜多の2人を男伊達に誘いに来た。一家を盛り立ててほしい」と言うが、追い返される。お君は宗長に、父が力も無いのにケンカの仲裁ばかり買って出ていることを語る。彼女は駕籠から声を掛けた若殿・宗長に惹かれていたが、目の前にいる弥次さんにも好意を寄せる。一方、義直とお八重も、微笑ましい関係になりつつあった。

 宗長と義直が書いた瓦版を見た兵部と帯刀は、両権兵衛が情報を漏らしていると思って激怒する。しかし宗長と義直は、兵部と帯刀の名を使った談話も瓦版に掲載した。仰天した兵部と帯刀は、両権兵衛に瓦版の版元を探るよう命じた。一方、安藤家の上屋敷では、対馬守が弥次喜多の素性を怪しみ、2人の身許を究明するよう弾正や黒岩に命じた。

 いろは瓦版社に戻った宗長と義直は、お八重の案内で訪れていた両権兵衛と鉢合わせする。お君とお八重は、弥次喜多が殿様だと知って仰天する。両権兵衛から逃げようと外に出た宗長と義直は、弾正一味に取り囲まれる。
 何とか脱出した宗長と義直だが、両権兵衛と弾正一味はさらに追い掛けてくる。全員を撒いた2人は、「よろずもめごと預かり所」の文字を目にする。土師兵衛の店だ。入ってみると、土師兵衛は流し4人組の家の2階に居候していた。

 城中では、宗長と義直が一両日中に現われなければ、忠晴が八代将軍になることが決定した。宗長と義直は、対馬守や弾正らが吉原の三浦屋に集まることを知った。土師兵衛は2人に歌舞伎十八番「助六」の絵巻を見せ、ある計画を持ち掛ける。宗長と義直は2人助六に成り切り、歌舞伎芝居で花魁・揚巻の道中を止めた。2人は揚巻の協力を得て、対馬守一味の座敷に乗り込んだ…。

 監督は沢島忠、脚本は鷹沢和善&田村弘教、企画は辻野公晴&小川貴也、撮影は坪井誠、編集は宮本信太郎、録音は野津裕男、照明は和多田弘、美術は井川徳道、擬斗は足立伶二郎、音楽は鈴木静一。

 出演は中村錦之助(萬屋 錦之介)、美空ひばり、中村賀津雄(中村嘉葎雄)、丘さとみ、雪代敬子、大河内傳次郎、薄田研二、ダークダックス、中村歌昇、阿部九州男、田中春男、杉狂児、渡辺篤、沢村宗之助、千秋実、高松錦之助、中村時之介、花房錦一、尾形伸之介、長島隆一、大丸巌、本郷秀雄、片岡半蔵、中村幸吉、小田眞士、潮路章、高根利、戸塚新八、香川涼二、遠山恭二、浜恵子。

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 “殿さま弥次喜多”シリーズ第3作にして最終作。
 宗長役の中村錦之助、義直役の中村賀津雄、兵部役の杉狂児、帯刀役の渡辺篤は3作続いてのレギュラー。垣内権兵衛役の田中春男は1作目からの復帰。
 お君を美空ひばり、お八重を丘さとみ、揚巻を雪代敬子、土師兵衛を大河内傳次郎、対馬守を薄田研二、流し4人組をダークダックス、弾正を中村歌昇、黒岩を阿部九州男、夜叉八を沢村宗之助、柿内権兵衛を千秋実が演じている。
 脚本の鷹沢和善は、沢島忠監督と彼の妻・高松富久子の共同ペンネーム。

 丘さとみと大河内傳次郎は、意外なキャラで登場する。
 大河内傳次郎は、力も無いのに厄介事に首を突っ込んでは失敗して笑い者になるという役。既に脇役としてコミカルな役も演じるようになっていたとは言え、ここまで情けないキャラを演じるほどになったかと思うと、少し悲しいものもある。
 丘さとみは、感情表現の激しい元気な町娘という役は珍しくも無いが、今回は関西弁を喋る。舞台は江戸であり、他に関西弁を喋る人物がいないこともあって、「なんでわざわざ関西弁?」とは思うが、まあ可愛いのでOKだ。

 沢村忠監督は現代劇のテイストや当時の世相・風俗を時代劇映画に持ち込むのが好きな人で、今回はブン屋の描写がモロに現代劇のノリ。
 瓦版屋が会社になっていて、複数の会社の社員がスクープを取るために大挙して取材対象の元へ押し掛けたり、ワル一味がわざと情報をリークしたりというのは、リアリズム時代劇では有り得ない瓦版屋の描写である。

 現代劇だけでなく、西部劇のテイストも伺える。両権兵衛が鉄砲を撃ち、千秋実がインディアンの雄叫びを上げるというシーンは、西部劇的なお遊びと言っていいだろう。
 また、「両権兵衛の一団が馬を走らせて若殿2人を探す→若殿2人が隠れている荷車をジャンプする→最後尾の馬が荷車を引っ掛ける→大きな石でバランスを崩した荷車から2人が投げ出される→たまたま通り掛かったお君&三吉の馬の後ろにストンと着地する」という4分ほどのシーンをウィリアム・テル序曲に乗せて描くが、ここも西部劇チック。

 沢村忠監督は遊び心の旺盛な人で、例えばハシゴに登って書庫を調べていた宗長とお君がバランスを崩して右側へ倒れこむと、そのままハシゴごとスルスルと滑って一番右まで行くというシーンがある(普通なら有り得ない動きだ)。
 また、弾正一味に取り囲まれた若殿2人が「今回はゆっくりしちゃいられない」と言うと、続く殺陣のシーンを早回しで処理するという遊びもある。

 ミュージカル形式が好きな沢村忠監督だが、今回は美空ひばりやダークダックスが歌うシーンはあるものの、「ミュージカル」と呼ぶにふさわしい場面は見られない。
 その代わりというわけでもないのだが、若殿2人と土師兵衛が歌舞伎の助六を路上で演じるというシーンがある。道中を止められた揚巻も、歌舞伎の言い回しで参加する。
 ハッキリ言って「なんじゃ、そのムチャな展開は」というシーンなのだが、まあ沢村作品なので、そんなのもアリってことで。

 前述した早回しの殺陣からは、10分ほどの追いかけっこが続く。
 若殿2人が建築現場に逃げ込み、弾正一味が来て大工がペンキまみれになったりの騒ぎがあり、両権兵衛と鉢合わせした若殿2人が再び逃走し、蕎麦の岡持ち集団が走ってきた弾正一味とぶつかって蕎麦が散乱し、弾正一味に瓦版屋、両権兵衛ら家臣グループに大工に蕎麦屋連中の大群が町を走る。

 隠れていた若殿2人はペンキで顔面白塗り&蕎麦を頭から被った男達を見て仰天し、その弾みで隠れていた家が倒壊し、若殿2人は獅子舞に化けるが尻尾に火が付き、銭湯に逃げ込んで弾正一味と格闘になり、一味が外に出ると獅子舞だらけ。
 そんなこんなで、まるでバスター・キートンの映画のようなドタバタが続くのだが、そのシークエンスのテンポの速いこと、速いこと。

 基本的に、「古い映画は最近の映画に比べてテンポが遅い」という解釈は間違っていないとは思うが、沢村忠監督の映画、特に本作品に関しては例外だ。ジェット・コースター・ムービーと言ってもいいぐらいテンポが速い(休憩もあるけどね)。
 中村錦之助と中村賀津雄の台詞回しも、チャキチャキの江戸弁だから小気味良いしね。

 この最終作では、宗長と義直が八大将軍の候補に挙がる。史実では徳川吉宗が八大将軍だから、どちらも該当しない。
 しかし「2人とも候補だったが落選して吉宗が将軍に」という結末にすることは出来ない。なぜなら、吉宗は義直と同じ紀州藩の出身だからだ。同じ時期に、紀州藩に2人の若殿がいるというのは有り得ない。
 ってなわけだから、義直が八大将軍に決定し、吉宗に改名するということで話をまとめる。ホントは吉宗って松平頼方からの改名だけど、細かいことは気にすんなって。

(観賞日:2007年8月3日)

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