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『山椒大夫』:1954、日本

 平安朝末期。少年・厨子王と妹の安寿は、母・玉木、女中・姥竹と共に浜辺を旅していた。6年ほど前、兄妹の父である平正氏は将軍の厳命に逆らい、筑紫へ左遷された。13年の不作続きで農民が困窮しているにも関わらず、将軍が「米をもっと出せ、戦の使役に出よ」と命じたため、楯突いたのだ。左遷を知った農民は陳情しようとしたが、正氏の家臣が「騒ぎ立てるのは旦那様の本意ではない。旦那様を謀反の罪人にしたいのか」となだめた。

 正氏は叔父の正末から「妻や子が可哀想だとは思わんのか」と咎められ、「可哀想なのは百姓とて同じことでございます」と反論した。すると正氏は「百姓どもとワシらが一緒になると思うのか、たわけ者」と罵倒した。
 正氏は玉木に、子供たちを連れて里へ帰るよう指示した。幼い厨子王に、彼は「人は慈悲の心を失っては人ではないぞ。己を責めても人には情けをかけよ。人は等しくこの世に生まれてきたものだ。幸せに隔てがあって良い筈はない」と説いた。

 正氏は家に伝わる観音像を厨子王に渡し、「慈悲の心はこれだと思え。これはワシの形見、肌身離さず持っていろ」と告げた。それから、自分の言った言葉を息子に暗誦させた。
 少年となった現在も、厨子王は父の言葉を暗誦している。玉木は夫と別れた時のことを回想した。まだ安寿が赤ん坊だった頃だ。正氏が馬で去っていく姿を、大勢の農民が見送っていた。

 玉木は宿を探すが、姥竹は「貸す宿がこの辺りに無い」という情報を聞いてきた。近頃は旅人を装った盗賊や人買いが立ち回り、女子供がさらわれたり殺されたりするので、旅人は泊めてはならぬという国の守の掟があるのだという。玉木は野宿することに決めて、子供たちに草や藁を集めさせ、それで簡素な屋根を作った。焚き火をしていると、狼の遠吠えが聞こえてきた。

 姥竹が「近くの家で温かい粥でも探してきます」と立ち去った直後、一人の巫女が近付いて来た。巫女は「私の住まいへおいでなさい。温かい粥でも差し上げましょう」と優しく告げた。
 住まいに移動すると、彼女は玉木に「これからの旅は船になされ。盗賊の群れがいますが、船なら心配も無い、良い船頭を知っているので頼んであげましょう」と述べた。

 翌朝、巫女の紹介した船頭たちは、玉木と姥竹を先に船へ乗せた。船頭が子供たちを別の船に乗せようとするので、玉木は慌てて「それはなりません。子供たちと一緒に」と叫ぶ。
 だが、船頭は厨子王と安寿を引き離し、船を出発させた。彼らは人買いだったのだ。「お母さま、お母さま」と、子供たちは陸を走って追い掛けた。抵抗した姥竹は船頭に突き落とされ、水中に沈んだ。

 仲買人は厨子王と安寿を売り払おうとするが、幼すぎるという理由で、なかなか買い手が付かない。一人の男が「丹後へ行け、山椒大夫の家へ行って頼んでみろ」と告げた。
 仲買人は山椒大夫に厨子王と安寿を売却した。山椒大夫は右大臣の土地である荘園を任されている長者である。その荘園では、各地から売られてきた奴(やっこ)と婢(はしため)が扱き使われていた。

 山椒大夫は厨子王と安寿を見て、「こんなひ弱い子供たちに七貫も出したのか、何をさせるつもりじゃ」と不機嫌そうに言う。しかし彼は、「せっかく買ったんじゃ、一人前の仕事をさせねば損じゃ、やらせろ。手心は無用だぞ」と家来に命じた。
 厨子王は山椒大夫の家来・金平に預けられ、芝刈りの仕事に就かされた。安寿は婢の波路や萱野の元へ連行された。波路は山椒大夫の家来が去った後、「畜生、鬼め」と罵り、安寿を気遣った。

 重労働で倒れ込んだ厨子王を目撃し、安寿は駆け寄った。その横を波路が走り去り、山椒大夫の家来たちに捕まった。逃げようとして、捕獲されたのだ。波路は「逃げたんじゃございません。国に残してある子供たちを思って、ついフラフラと散歩していたのです」と釈明するが、山椒大夫は聞く耳を貸さない。
 荘園では、逃げようとしても殺されることは無い。人手が減るからだ。そして掟として、焼き鏝を入れられる。必死に詫びた波路は、問答無用で焼き鏝を当てられ、苦痛に絶叫した。

 山椒大夫の息子・太郎は厨子王と安寿に「お前たちが見るもんじゃない」と言い。その場からと引き離す。彼は父親の所業に反発を覚えていた。太郎は子供たちに優しく語り掛け、焼いた餅を与えた。
 太郎は厨子王から「人は等しくこの世に生まれてきたものだ。幸せに隔てがあって良い筈はない」という正氏の言葉を聞いた。太郎は「親に会わしてやりたいが、筑紫は遠い。子供が行ける所ではない。成人する日を待つのだ。どんなことがあっても辛抱するのだ」と告げた。

 右大臣の使者・内蔵介が荘園を訪れたため、太郎は山椒大夫の家来・吉次に呼ばれた。内蔵介は「貢物も増えて大助かりだと、右大臣様も喜んでいる。人の扱い方をしっかり学んで来いと言われた」と口にした。
 宴に呆れた太郎は、その場を抜け出した。寝ている子供たちの元へ行った彼は、「達者で暮らすんだぞ」と告げる。そして番人に木戸を開けさせ、荘園を去った。

 10年が経過し厨子王は23歳、安寿は18歳になった。版木が打ち鳴らされ、藁小屋で寝ていた厨子王は起き上がった。その音は脱走者が出たという合図だ。今回の脱走者は70歳の奴(やっこ)、仁王だった。
 厨子王は山椒大夫の家来と共に彼を捕まえ、喚くのを押さえ付けた。そして何の迷いも無く、冷徹に焼き鏝を当てた。婢たちが兄を悪く言うのを、安寿は悲しそうに聞いていた。

 16歳の娘・小萩が荘園に売られてきて、安寿は機織を教えるよう指示された。佐渡から売られてきたと知り、安寿は「玉木という人の名を知らないか。年の頃は35、6で」と尋ねる。
 だが、小萩は「存じません、佐渡といっても広い島ですから」と答えた。波路は腹の痛みに苦しんでいたが、心配する安寿に「死ななきゃ仕事は辞められないんだよ」と告げた。

 小萩が口ずさみ始めた歌を耳にして、安寿は驚いた。「厨子王恋しや、安寿恋しや」という歌詞だったのである。安寿が訊くと、それは佐渡で数年前に流行した歌で、中君という遊女が歌い出したのだという。その人が今でも達者かどうかは分からないらしい。
 しかし安寿は、その中君が母だと確信し、涙を流した。その玉木は、島から何度も脱走を試みて失敗し、逃げられないよう足の筋を切られていた。老いた玉木は仲間に崖へ連れて行ってもらい、「厨子王、安寿」と叫んだ。

 安寿が小萩の歌を歌うので、厨子王は「やめろ」と怒鳴った。「兄さんはもうお父様やお母様のことを考えてないんですか」と安寿が言うと、彼は「会いたくてもどうにもならないじゃないし、このザマなら会わない方がマシだ」と吐き捨てた。安寿が「逃げられたら都へ出て身を立てて」と口にすると、厨子王は「今は奴隷の身だ、誰が相手にしてくれる」と冷笑した。

 厨子王は「つまるところ、お前は遊女に売られ、俺は盗賊の仲間に入る。さもなくば、二人とも道端に座って人の恵みを受けるか」と投げやりに言う。安寿が「兄さんは今でも盗賊のように恐ろしい人になっている。乞食よりも卑しい心に落ちている。年寄りの体に平気で焼き鏝を押して。懐の観音様に恥ずかしくないの」と責めると、彼は「神も仏もあるか、何のご利益も無いじゃないか」と観音様を投げ捨てた。「兄さんはこんな人じゃなかった」と安寿は嘆いた。

 翌日、厨子王は吉次から、「波路はもうダメだ、山へ捨てて来い」と命じられた。安寿「小屋で死なせてやって」と頼むが、厨子王は無視して波路を背負った。安寿も手伝いとして同行した。
 山には柵があり、番人が立っている。その向こうに死者が捨てられる。安寿は番人に「このままでは可哀想です。せめて霜除けの草屋根でも作らせて下さい」と頼み、承諾を得た。

 安寿が「兄さん、野宿した時のことを思い出さない?草や萱を集めて」と言うと、どこからか母が兄妹を呼ぶ声が聞こえて来た。突然、厨子王は「安寿、逃げよう。逃げるんだ」と口にした。安寿は「兄さんだけ逃げて。二人で逃げたらすぐに捕まる。追っ手が出たら私が食い止めます。中山に国分寺があるといいます。そこへ行ってください」と告げた。

 安寿は「私のことは心配しないで」と言い、番人を引き付けて去った。厨子王は波路を背負い、山を駆け下りた。柵の外で待つ番人たちは、あまりに厨子王が遅いために様子を見に行き、脱走が発覚した。
 番人たちは萱野に「こいつを逃がすな」と告げ、追跡に向かった。萱野は「逃げた先を聞き出すため仕置きを受ける。責められた苦しさに言ってしまうよ」と安寿に言う。

 安寿は冷静な口調で、「どんなに惨く責められても、死人の口から聞き出すことは出来ません」と萱野に言った。「もうお前の足では逃げ切れない」と安寿の覚悟を知った萱野は、自分を木に縛り付けて去るよう促した。
 安寿は萱野を縛り、その場から逃走した。山椒大夫の家来たちが来ると、萱野は安寿が去ったのとは逆の方向を教えた。安寿は池に入水し、自害した。

 国分寺にも荘園からの追っ手が押し掛けるが、曇猛律師が「当初は勅願の寺院。狼藉を働くとただではおかんぞ」と鋭く告げる。一人の僧侶が「その男なら南へ行ったぞ」と叫び、追っ手は出て行った。
 叫んだ僧侶が厨子王を匿っていた。それは太郎だった。波路は薬を与えられて持ち直した。厨子王は「波路さんをお預かり願いませんか。都へ出るつもりです」と太郎に告げた。

 太郎が関白に訴え出るつもりだと聞き、太郎は「かつて私も同じことを考えて都に出たが、自分一人の力ではどうにもならなかった。人間は自分に関わりが無ければ他人の不幸せにはひとかけらの同情も持たない残酷なものだ。その心の大元が改まらなければ、そなたの望む世の中は来ないぞ」と説く。だが、どうあっても行くという太郎の強い意志を知ると、太郎は「律師様に頼んで、関白様へのお添え書きをいただいてやろう」と協力を申し出た。

 厨子王は関白の藤原師実に直訴するが、狼藉者として捕まった。しかし持っていた観音像によって、師実の直々の詮議を受けることになった。そして厨子王は、正氏の嫡子であることを認められた。
 「お前の父は珍しい気骨のある男であった」と言う師実に、「では、父をお許しくださいますか」と厨子王は問い掛けた。すると師実は、正氏が去年の春に死んだことを告げた。厨子王は師実から「お前に父の後を継がせようと思う。丹後の国守に任じようと思う」と告げられた。

 丹後の守にふさわしい名前として、師実は厨子王に平正通という名前を与えた。厨子王の着任を、判官代則村と目代が出迎えた。厨子王は「掟を出したい」と言い、「当国においては此後一切、人の売買を許さぬ事」「公の行事、荘園においては奴(やっこ)、婢(はしため)の使用を禁ずる事」という掟を書かせた。
 判官代は私人の持ち物である荘園に手を出すことに反対し、「免官されることもある」と警告する。だが、厨子王は免官を覚悟した上で、掟の高札を出させた…。

 監督は溝口健二、原作は森鴎外、脚本は八尋不二&依田義賢、製作は永田雅一、企画は辻久一、助監督は田中徳三、撮影は宮川一夫、編集は宮田味津三、録音は大谷巌、照明は岡本健一、美術は伊藤憙朔、建築考証は藤原義一、衣裳考証は上野芳生、擬闘は宮内昌平、音楽は早坂文雄、和楽は小寺金七&望月太明吉。

 出演は田中絹代、花柳喜章、香川京子、進藤英太郎(東映)、菅井一郎(第一協団)、見明凡太郎、小園蓉子(松竹)、浪花千榮子、毛利菊枝、三津田健(文学座)、清水將夫(民藝)、香川良介、河野秋武、小柴幹治、荒木忍、加藤雅彦(津川雅彦)、榎並啓子、藤間直樹、大美輝子、橘公子、金剛麗子、南部彰三、東良之助、大邦一公、伊達三郎、石原須磨男、天野一郎、堀北幸夫、大國八郎、藤川準、菊野昌世志、柴田總二、清水明、中西五郎、沖時男、石倉英治、志賀明、大崎四郎、相馬幸子、小柳圭子、前田和子、小松みどり他。

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 森鴎外による同名小説を基にした白黒映画。ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得し、溝口健二監督は『西鶴一代女』『雨月物語』と3年連続での入賞となった。
 玉木を田中絹代、厨子王を花柳喜章、安寿を香川京子、山椒大夫を進藤英太郎、仁王を菅井一郎、吉次を見明凡太郎、小萩を小園蓉子、姥竹を浪花千榮子、巫女を毛利菊枝、師実を三津田健、正氏を清水将夫、曇猛律師を香川良介、太郎を河野秋武が演じている。少年時代の厨子王を演じた加藤雅彦は、後の津川雅彦だ。

 原作では厨子王が弟、安寿が姉だったが、この映画では厨子王を兄にしている。だが、安寿が自暴自棄の厨子王に希望を持つよう説き、自らを犠牲にして逃がすという展開を考えると、原作のままにしておいた方が良かったと思う。
 そこを変更したのは花柳喜章と香川京子の年齢を考えてのことだろうけど、そもそも花柳喜章が、そこまで無理をして起用するほどの役者ではないと感じる。奴婢に解放を宣言するシーンでは、興奮すると甲高い声になり、声が裏返っているし。溝口監督が親しくしていた数少ない友人の一人である花柳章太郎の息子だから、その縁で起用したのかなあ。

 この作品を見る前に『雨月物語』を観賞したのだが、あの作品と同様に、今回も長回しはあまり使われていない。この頃の溝口監督は、1シーン1カットという技法を重視しなくなっていたようだ。
 勝手に「長回しの人」というイメージを持っていたのだが、それは一時期のことだったのかな。溝口作品をそれほど多く見ていないので、詳しいことは良く分からないんだけど。

 長回しとしては、終盤の「厨子王が津波のあった村で老人に話を聞いていると、歌声が聞こえてくる。厨子王が歩いて行くとカメラが引いて、座っている玉木がいる」というシーンが印象に残るぐらいかな。
 他に映像テクニックとしては、序盤、玉木に「(お父様は)正しい立派なお方ですよ」と聞いた少年の厨子王が走り出すと画面に次のシーンが被さり、幼年時代の厨子王になるという演出は印象に残る。映像では、野宿する前に、一家が背丈ほどもあるススキ野を歩くシーンは印象的。

 この映画では、様々な喪失がある。厨子王と安寿は父と別れ、恵まれた環境を失う。人買いに騙され、母と別れる。もちろん、立場を変えれば、「玉木が子供たちと離れ離れになる」ということになる。
 厨子王は奴隷生活が続く間に父の教えを忘れ、人間性や希望を失う。太郎は忌まわしい父との関係を絶ち、荘園を捨てる。遊女になった玉木は逃げる力を奪われ、やがて視力を失う。

 母の声を聞いて目を覚ました厨子王は、諦念を捨てる。安寿は厨子王を助けるため、命を捨てる。出世した厨子王は、その名前を捨てる。荘園から奴隷を解放した厨子王は、地位を捨てる。
 とにかく不幸のオンパレードで、悲痛な叫びが何度も聞こえ、哀れな涙が幾度も零れ落ちる。しかし捨てること、失うことが、常にマイナスの意味になっているわけではない。

 基本的に溝口監督は、男に関してダメな奴、情けない奴しか描かない。だから厨子王も、途中で人間性を失って妹に失望される男になる。
 「男のために自己犠牲を支払う女」というのは溝口監督が好きなモチーフで、今回は自己犠牲を支払う役目を安寿が担う。今回の主人公は女ではなく男だが(ビリングトップは玉木だが、物語上の主役は厨子王だろう)、主人公の性別が男であろうが女であろうが、やっていることは同じである。

 ある種の復讐(贖罪も含まれているが)である荘園解放の展開は特に心が動かないが、その後の変わり果てた母と厨子王が再会するシーンは、一気に感情が持って行かれる。
 溝口監督は冷徹な演出をする人だという印象があるが、ここは涙を誘う叙情的なシーンとなっている。ただ喜びの再会というだけでなく、妹もいるはずだと思っている母に、妹と父の死を告げねばならないという悲哀のシーンに一気に変化する辺りも含めて、怒涛のクライマックスだ。

(観賞日:2010年3月19日)

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