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『天才スピヴェット』:2013、フランス&オーストラリア&カナダ

 モンタナ州ディヴァイドの北、パイオニア山地の谷間にある牧場で、10歳のT・S・スピヴェットは暮らしている。交通手段は、ユニオン・パシフィックの貨物列車が1日に3本通るだけだ。二卵性双生児のレイトンは活発で、父のテカムセから愛されている。T・Sも無敵になりたかったが、それは不可能だと分かっていた。
 その1年前、ビュート歴史博物館。T・Sは自分より遥かに年上の学生たちと並んで、永久運動機関に関する講演に出席した。講演者は学生たちに、「永久運動の研究は失敗する運命にある」と言う。学生の1人が「現代の科学では、その研究は理想主義者や詩人向けでは?」と皮肉っぽく尋ねると、彼は「科学が終焉を迎えた時こそ、想像力が必要だ。こうしている間も、若きレオナルド・ダ・ヴィンチが挑戦への準備をしている」と語った。するとT・Sは講演者に、「その挑戦を受けます」と力強く宣言した。

 8月のある午後、T・Sの家に電話が掛かって来た。母のクレアから「貴方によ」と言われたT・Sが受話器を取ると、掛けて来た相手はスミソニアン博物館の次長を務めるG・H・ジブセンだった。
 「T・S・スピヴェットさんを」と言われたT・Sは、父を呼ぶフリをする。彼が「父は口が利けないので、手話で伝えます」と告げると、ジブセンは「磁気車輪を発明したスピヴェットさんですね?」と確認する。T・Sは父の言葉として、「組み立てる時間が無かったので、図面だけを送りました」と答えた。

 ジブセンはT・Sに、その発明がベアード賞を受賞したことを知らせる。スミソニアン150周年の祝賀会が来週に開催されるので、受賞スピーチをしてほしいと彼女は要請する。驚いたT・Sは少し考えて「祝賀会には出席できません」と告げ、電話を切る。
 姉のグレーシーは有名になりたい願望が強く、レトロな反体制派の芝居では主役を演じた。テカムセは身も心もカウボーイで、会話は必要最低限でいいと考えている。クレアは昆虫の研究者で、人生の大半は小さな生物を観察することに費やされている。

 レイトンは去年、銃の事故で死んでしまった。T・Sも一緒にいて、音波を計測していた。家族の誰も、その時のことを話そうとしない。T・Sは宿題のレポートをステンポック先生に提出したが、「今回も主題が逸脱している」と指摘される。
 T・Sが説明しようとすると、ステンポックは「頭がいいと思ってるんだろ。図表は上手いが、科学的に間違っている」と言う。T・Sが「ディスカヴァー誌に送ったら、掲載してくれました」と科学誌を見せると、彼は「からかうんじゃない。君には実力が無い」と腹を立てた。

 帰宅途中で牧場の仕事を手伝うよう父から頼まれたT・Sは、仕方なく車に乗った。彼は悲しい気持ちになり、「僕は役に立たない。ここにはレイトンが座るべきだ」と考えた。
 彼は2ヶ月前、谷間の地下水面の精密な縮尺模型を作った。それを彼は父に見せて、水の流れを増やす方法を科学的に説明した。しかし父は「目を開けて良く見ろ」と言い、興味を示さなかった。毒蛇と遭遇したT・Sは逃げようとせずに目を閉じ、噛まれて死のうと考える。すると父はライフルで蛇を始末し、「急ごう、日が暮れる」とT・Sの肩を叩いた。

 T・Sは「僕は研究者、科学者だ。彼らは僕を求めてる」と考え、翌日にワシントンへ行こうと決めた。ジブセンの留守電にメッセージを残した彼は、荷造りを済ませた。T・Sはレイトンの部屋を覗き、「しばらくワシントンへ行く。お土産を待ってて。僕がいけなかった」と辛そうな表情で語り掛けた。
 T・Sは家族への手紙を残し、スーツケースを抱えて家を抜け出した。彼は貨物列車に無断で乗り込むが、ワイオミング州キャスパーに到着すると警備員が捜索に来た。T・Sは運搬中のキャンピングカーに身を隠し、その場を切り抜けた。

 ネブラスカ州ノース・プレートに到着した時、T・Sはホットドッグが食べたくなった。列車が停まっている間に近くの店へ向かおうとしたT・Sは、トゥー・クラウズというホーボーに声を掛けられた。トゥー・クラウズはT・Sに、祖母から聞いたというスズメの物語を教える。重い病気を抱えたスズメがマツの木に助けられて冬を生き延び、子供たちと無事に再会する物語だ。
 T・Sは「いい話だ」と感想を言うが、「マツの葉の保温性ではスズメを守れない」と述べた。T・Sがホットドッグの屋台へ赴くと2人の警察官が現れ、店主のマージに「モンタナの少年が家出か誘拐されたらしい」と捜索人の貼り紙を持って来た。掲載されていたのはT・Sの写真だが、マージも警察官も目の前にいることには気付かなかった。

 T・Sは電話ボックスを見つけ、自宅に連絡を入れる妄想を膨らませた。妄想の中では心配する両親が慌てて詫びを入れ、姉も戻って来るよう訴えていた。しかしT・Sは、電話を掛けなかった。
 列車に戻ったT・Sは、持参した母の日記を読んだ。そこには何枚もの写真が貼り付けられており、イラストも描かれていた。日記を読んだT・Sは、今でも朝になると母がレイトンを起こそうとしてしまうこと、心が空っぽになってしまったことを知った。

 シカゴの貨物ターミナルで下車したT・Sは、通り掛かった警察官に話し掛けられる。T・Sが適当な嘘で返すと警察官は腹を立て、車に乗るよう命令した。T・Sは捕まえようとする警察官に追われ、怪我を負いながらも逃走した。
 リッキーという男が運転する大型トラックをヒッチハイクしたT・Sは、スミソニアン協会の建物に到着した。受付でジブセンを呼び出してもらった彼は永久運動の理論を説明し、自分が磁気車輪の発明者であることを証明した。

 ジブセンはフェラーノ医師にT・Sの脳を分析させた後、彼を授賞式の会場へ連れて行く。T・Sは壇上でスピーチを行い、レイトンの死に言及する。
 彼は「弟は納屋で自分を撃ったんです。でも、誰もレイトンが自分を撃ったとは言わない。レイトンはコヨーテや空き缶を撃つのが好きでした。一緒に遊ぼうと考えて、銃の音波を記録しようと考えたんです。弟が撃ち、僕がデータを集める。でも弾が銃に詰まって暴発した。僕は独りだった」と語り、出席者は万雷の拍手を送った…。

 監督はジャン=ピエール・ジュネ、原作はライフ・ラーセン、脚本はジャン=ピエール・ジュネ&ギョーム・ローラン、台詞はギョーム・ローラン、製作はフレデリック・ブリヨン&ジル・ルグラン&スザンヌ・ジラール&ジャン=ピエール・ジュネ、製作総指揮はフレデリック・ブリヨン&ジャン=ピエール・ジュネ&スザンヌ・ジラール&ブライアン・オリヴァー&シドニー・デュマ&ティミー・トンプソン&フランシス・べスフルグ&タイラー・トンプソン、撮影はトマス・ハードマイアー、美術はアリーヌ・ボネット、編集はエルヴェ・シュネイ、衣装はマデリーン・フォンテーヌ、メイクアップ・デザイナーはナタリー・ティシエ、視覚効果監修はアラン・カルズー、音楽はデニス・サナコア。

 出演はカイル・キャトレット、ヘレナ・ボナム=カーター、ジュディー・デイヴィス、カラム・キース・レニー、ニーアム・ウィルソン、ジェイコブ・デイヴィーズ、リック・マーサー、ドミニク・ピノン、ジュリアン・リチャーズ、リチャード・ジュトラス、メイトリン・オキャリガン、ミシェル・ペロン、ドーン・フォード、ハリー・スタンジョフスキー、スーザン・グローヴァー、ジェームズ・ブラッドフォード他。

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 ライフ・ラーセンの小説『T・S・スピヴェット君 傑作集』を基にした作品。監督&脚本は『アメリ』『ロング・エンゲージメント』『ミックマック』のジャン=ピエール・ジュネ。共同で脚本を担当したのは、前述の3作でもコンビを組んだギョーム・ローラン。
 ジャン=ピエール・ジュネが英語台詞の映画を手掛けるのは、ハリウッドで撮った唯一の映画『エイリアン4』以来となる。T・Sをカイル・キャトレット、クレアをヘレナ・ボナム=カーター、ジブセンをジュディー・デイヴィス、テカムセをカラム・キース・レニー、グレーシーをニーアム・ウィルソンが演じている。

 T・S・スピヴェットは、全ての事柄を論理的に解釈しようとする少年である。そこら辺にいる10歳の少年と比較すれば、「風変わりな少年」と評することに異論は無いだろうと思う。冒頭から語られるモノローグの内容を考えても、「かなり大人びた部分のある少年」と捉えることが出来る。
 ただし、それはあくまでも、「論理的思考が10歳にしては大人びている」というだけだ。それ以外の部分に関して言うならば、そこら辺にいる10歳の少年と何ら違う部分など無い。ごく普通の、「まだ幼い子供」である。

 T・Sは教師に対して生意気な態度を取ることもあるが、それは理解の無い相手の方に問題があるからだ。「優越感コンプレックスだ」とステンポックは声を荒らげるが、むしろ彼の方が頭の良すぎるT・Sに対するコンプレックスを抱えている。
 だから、T・Sの知的好奇心を一切認めようとせず、「自分の言うことだけを聞いていればいい、教えたことだけを学習すればいい」という、極端に頑固な考えに凝り固まってしまうのだ。

 しかしT・Sにも、強烈なコンプレックスがある。それは「自分はレイトンのような子供になれない」というコンプレックスだ。彼は活発で運動能力の高いレイトンに対して、憧れの気持ちを抱いていた。
 「ある日、あいつはコヨーテを200メートル離れて撃った。父は感心し、帽子を脱いで弟の頭に乗せた。僕には決して訪れない瞬間だ」とモノローグを語るシーンがあるが、T・Sは「父がレイトンばかりを愛している」という羨ましさを抱えているのだ。

 それは彼の勝手な思い込みであり、実際に父がレイトンだけを愛していたわけではないだろう。ただし、T・Sが縮尺模型を見せた時の反応は、ものすごく冷淡である。それは、彼が科学的なことを理解できないからだ。
 彼は昔気質の人間なので、科学的なことを全く受け付けない。しかし表現方法が下手なので、「T・Sに対して冷たく当たる」という形になってしまう。表面的に見ると、まるでテカムセが「レイトンばかりをえこひいきする酷い父親」に思えるかもしれないが、単に接し方が下手なだけだ。

 後半、T・Sは「どこかの家に、列車の音で目覚めた少年もいるかも。出来れば、その子と代わって、僕が列車を未知の世界に見送りたい。僕は気ままなホーボーじゃない。家出した10歳の男の子に過ぎない」とモノローグを語り、寂しそうな表情を見せる。
 そうなのだ、彼は家族と離れて寂しいし、本当はすぐにでも電話を掛けたかったはずなのだ。気丈に振る舞うのも、クールな態度を取るのも、彼の本質から来るモノではない。周囲の人間の対応が、T・Sに「そう振る舞わないといけない」という呪縛を与えているのだ。

 T・Sは常に冷静な思考を巡らせているが、決して何事にも動じない強い人間ではない。何しろ10歳の子供なのだから、まだ幼さゆえの脆さや弱さも持っている。彼はレイトンの事故死で心に深い傷を負っており、しかも単に「弟が死んだ」というショックだけでなく「自分のせいだ」という罪悪感を抱いている。本来ならば、そのことに家族が気付き、「貴方は悪くないのだ」と彼を優しく包んであげるべきなのだ。
 しかし家族は、レイトンの死から完全に目を背けてしまう。そのことは実質的に、T・Sから目を背けることにも繋がってしまう。もちろんT・Sの抱えている辛さや苦しさなんかには、誰も気付かない。自分たちが悲しみに暮れるだけ、空っぽの心を抱えるだけで、精一杯になっているのだ。

 T・Sは悩みを抱えているが、それは「天才であるがゆえの悩み」ではない。そういう悩みであれば、これっぽっちも共感できなかったかもしれない。そうではなく、彼が抱えているのは「子供であるがゆえの悩み」だ。
 T・Sは天才的な発明家であり、大人びた知恵を持つ人間だが、まだ10歳の子供だ。だから、時には甘えたり、優しくされたりしたいと思っている。せめて両親には、自分たちの息子として愛してもらいたいと願っている。

 しかし残念なことに、T・Sの両親は彼を愛してくれない。いや、たぶん全く愛が無いわけではないのだろう。ただ、父も母も不器用な人間だから、T・Sが思うような愛情を示してくれないのだ。
 それはレイトンが事故死したことによって、もっと酷い状態に陥ってしまう。そのことを誰も話さず、レイトンの存在に触れないことで傷を癒やそうとする。そのことでT・Sは、「自分は家族から必要とされていない」と感じるようになってしまう。

 T・Sはワシントンへ出向いてベアード賞の受賞スピーチをしようと決めるが、それは決して「大人の仲間入りをしたい」とか「科学者としての栄誉を受けたい」という願望から来る行動ではない。彼はただ、必要とされたかっただけだ。そしてベアード賞の受賞者として招待されたのだから、そこには自分を必要とする人々が待ってくれていると思っただけだ。
 実際、待っていた人々は、T・Sを歓迎する。だが、「愛すべき仲間」として迎えたわけではない。「10歳の少年が偉大な発明をした」ということで好奇の目を向け、見世物にしただけだ。そこには、T・Sの望んだ「自分の居場所」など無かった。

 ジブセンはT・Sに利用価値があると考え、マスコミを集めて写真を撮影させたり、取材を受けさせたりする。そして常に自分も同席し、その注目に便乗しようとする。ロイという司会者が担当する高視聴率番組にT・Sを出演させる時も同席しようとするが、引き離されてしまう。番組が始まると特別ゲストとしてクレアが登場し、「貴方は悪くない。貴方のせいじゃない。誰のせいでもない。事故だったの」とT・Sに告げる。
 それこそが、彼の何よりも望んでいたモノだ。だからT・Sは涙をこぼし、クレアに「帰ろう」と告げる。立ち去る2人をロイが追い掛けて番組を続行すると、テカムセが現れて殴り倒す。父も母も論理的に考えたわけではなく、愛と情だけで動いている。しかし、だからこそT・Sは、家族の中に居場所を見つけることが出来るのだ。

(観賞日:2016年12月10日)

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