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『雨月物語』:1953、日本

 戦国時代、ある年の早春、近江国琵琶湖の北岸。陶工の源十郎は荷車に焼き物を積み込み、戦が始まらぬ内に長浜へ捌きに行こうとしている。羽柴様の軍勢が入って以来、長浜の市は繁盛していると聞いているからだ。妻・宮木が幼い息子・源市を抱いて「私も行ってはいけないの?」と訊くが、源十郎は「女はダメだ、向こうの足軽たちは何をするか分からない」と告げた。

 源十郎の義弟・藤兵衛は、妻・阿浜と言い争いながら家を出て来た。藤兵衛は侍になることを望んでおり、「夢でも見てんのかい」と罵る阿浜に「大きな望みを持たずに出世が出来るか」と言い返す。
 彼は源十郎に「つくづく貧乏が嫌になった、一緒に連れて行ってくれ」と頼む。源十郎は「つまらない望みは捨てろ」と諌めるが、藤兵衛が荷車を引っ張るので、同行させることにした。

 村名主は宮木を訪ね、「身分相応な欲を起こして。藤兵衛ばかりじゃない源十郎だって同じことだ。商いもいいが、どさくさ紛れに儲けたような金は決して身に付くもんじゃない。金が入ればまた欲が出る。それよりも戦に備えて仕度をしておくことだな」と告げた。
 名主が去った後、源十郎が戻ってきた。焼き物を全て売り捌いた源十郎は儲けた金を見せ、「これが商いというもんだ」と嬉しそうに言う。藤兵衛は長浜の市で立派な侍を見つけ止めるのも聞かず後をくっ付いていったという。

 武将を追い掛けた藤兵衛は屋敷に入り込み、「ご家来衆に加えてください」懇願する。だが、そこにいた侍たちに「仕官を望むなら、具足と槍を持って来い」と笑われ、追い払われた。源十郎は宮木と源市に小袖や食料を買い与えた。
 宮木は「小袖が嬉しいのではありません。買って下さった貴方の心が。貴方さえいてくれれば、私はもう何も欲しくありません」と微笑するが、源十郎は「万事は金だ。金が無いなら辛くもなるんだ。よし、もっと儲けるぞ」と言う。

 宮木が「もうおよしなさい、お金はこれでたくさん。名主様のお話では、明日にでも柴田様の軍勢が来るかもしれんといいます」と言うが、源十郎は「戦だから、なおいいんだ」と聞く耳を貸さなかった。そこへ、藤兵衛が心配になった阿浜が訪ねてきた。3人が話していると、藤兵衛が疲れ果てた様子で戻ってきた。阿浜は「この阿呆、乞食のような姿になって」と叱り付けた。

 源十郎は陶器作りに没頭し、宮木、阿浜、藤兵衛も手伝った。源十郎は源市が来ると「仕事に間に合わない」と邪険に扱った。宮木が「まるで人柄が変わったように気ばかり焦って。私は親子三人楽しく暮らせればと、そればかり思っているのです」と告げても、源十郎の態度は変わらなかった。藤兵衛も仕事に集中した。彼は分け前を貰って、具足を買うつもりなのだ。

 窯焼きをしていた夜、柴田の軍勢が迫って来た。村人たちは慌てて、持てる家財や米を抱えて逃げ出した。宮木が「早く支度をして」と逃げるよう急かしても、源十郎と藤兵衛は窯のことを気にしていた。そんな男たちを連れて、宮木と阿浜は山へ逃げた。
 軍勢は隠れていた村の男どもを連れ出し、民家から米を奪った。鉄砲の音が静かになると、すぐに源十郎が戻ろうとする。名主や宮木が制止するが、「火は止められない」と振り払って走った。窯の火は消えていたが、焼き物は見事に完成していた。

 長浜は無理だから、船で小杉を渡ろうと源十郎は決めた。藤兵衛は船頭の娘・阿浜に舟を漕ぐよう指示した。源十郎の一家と藤兵衛夫婦は焼き物を積み込み、舟で琵琶湖へ出た。霧が深い中を進み、大溝へ向かった。
 しばらく進むと一艘の舟が漂っており、中では瀕死の船頭が倒れていた。船頭は「安土へ行く途中で海賊にやられた。どこへ行くか知らんが、海賊に見つけられたら命も荷物も無くなる。女は気を付けろよ、女は……」と言い残して息絶えた。

 「戻りましょう」と宮木が言うと、藤兵衛は「女は戻そう。俺たちは運を天に任せる」と口にした。阿浜は「私は行くよ。この人は目が離せない」と主張した。源十郎は宮木と息子源市を陸に上げると、「裏道を通って美濃街道の裏山へ入れ」と告げ、大溝へ向かう。城下の市で焼き物を並べると、次々に売れた。
 そこへ市来笠を冠った美しい女・若狭と付き添いの老女・右近が現れた。右近は焼き物を大量に注文し、「山陰の朽木(くつき)屋敷に届けてくれますか、お金はその時にお払いします」と告げて立ち去った。

 通り掛かった武将の隊列を目にした藤兵衛は、阿浜と源十郎が引き止めるのも聞かず、売上金を持って走り出した。追い掛ける阿浜を撒いた彼は具足を購入して身に着け、槍を買った。藤兵衛を見失った阿浜は、侍たちに犯された。「女房がこんな目に遭わされて、さぞ満足だろう。それで出世が出来れば大喜びなんだろう。藤兵衛の大馬鹿野郎」と、彼女は泣き崩れた。

 源十郎が宮木への着物を買おうとしていると、若狭と右近が現れた。右近は「案内がのうては分かりますまいと思いましてな」と言い、朽木屋敷へ案内する。源十郎は焼き物を渡して去ろうとするが、中へと招かれた。若狭は源十郎の名前を知っており、焼き物の美しさを絶賛した。彼女は「どうしてあんな美しいものが出来るのか、お目にかかってお話が聞きたかったのです」と告げた。

 座敷に右近もやって来た。侍女たちが、源十郎の作った焼き物に酒や料理を乗せて運んできた。源十郎は「夢のような幸せでございます」と感激した。「貴方の腕は、貧しい片田舎にうずもれて終わるものではありません。持っている才をもっと豊かにしようと思わねば」と若狭は言った。
 「それには、どうしたらよろしいのでしょう」と訊く源十郎に、右近は「若狭さまとお契りなされたら良い」と告げた。若狭が源十郎に迫り抱き付き、誘惑の視線を送った。

 酒宴が開かれ、若狭は源十郎の前で舞を披露した。すると床の間に飾られた、兜から男の声が聞こえて来た。右近は「あのお声の嬉しそうなこと」と言い、若狭は「この声は亡くなった父の声だわ」と源十郎に抱き付いた。
右近は「一族は憎き信長のために滅ぼされました。残ったのはこの姫様と乳母の私だけ。先祖の魂は屋敷に留まり、姫様が舞うと、このようにお歌いなさるのです。姫様のご祝言をお喜びになっておられるのです」と語った。

 気が付くと源十郎は布団に寝ており、翌朝になっていた。彼が「私はどうしたのでしょう」と言うと、若狭は「何もかもお忘れになられたようで」と微笑する。源十郎は右近に促され、露天風呂に入った。
 若狭は「貴方は私を魔性の女のように思ってらっしゃる。でも、もう貴方は私のものになりました。これからは私のために命を尽くしてくれなければなりません」と告げ、混浴した。源十郎は「魔性のものでも構わん。もう離しません。こんな楽しみ、この世にあろうとは知らなかった。天国だ」と彼女に溺れた。

 宮木は源一を背負い、侍から逃げ回っていた。親切な老女が彼女に握り飯を渡し、逃がしてくれた。だが、そこを敗残兵たちに見つかって握り飯を奪われ、槍で突かれて死んだ。
 一方、藤兵衛は、佐久間安政の侍大将が家臣の解釈を受ける様子を物陰から窺っていた。家臣が去ろうとしたところに飛び出して殺害し、侍大将の首を奪った。彼は丹羽長秀の侍大将に「敵の侍大将を突き殺した」と首を差し出すが、「拾ったのだろう」と笑われる。それでも「褒美をやろう」と言われ、馬と鎧と家来を所望した。

 侍大将となった藤兵衛は、大勢の家来を引き連れて町にやって来た。家来にせがまれて遊女屋に入った彼は、複数の男たちから「ご出世にあやかりたい、どうしてあのような豪傑を討ち取りましたか」と問われた。
 藤兵衛は「まず知恵、そして武芸だ」と、得意げに語り出す。その時、金を払わずに逃げようとした客を追い掛け、一人の遊女が奥から飛び出してきた。それは阿浜だった。

 阿浜は藤兵衛を見て、「お前が出世をしている間に、私はこんなに出世をしたよ。毎晩違う男と寝てるよ。立派に女の出世じゃないか。さぞ満足だろう。女房が落ちぶれても、お前が出世すればそれで帳消しさ。この落ちぶれ女をお買い」と罵る。
 彼女が「侍になれれば私なんてどうでもいいと思ったんだろう」と井戸に身投げしようとするので、藤兵衛は慌てて引き止め、「違う。出世すれば誉めてくれると思ったんだ。こんなになってるとは知らなかった」と打ちひしがれた。阿浜は「みんなお前の罪だ。元の私に出来るかい。出来なければ死ぬしかない。もう一度会わねば死に切れなかった」と詰め寄り、藤兵衛と揉み合って草むらに倒れ込んだ。

 源十郎は町に出て、若狭のために着物を購入した。「少し足りないが、朽木屋敷まで来てくれ。足りない金は払う」と言うと、着物屋の主人は急に怯え出し、「お金はみんなあげます。か、帰ってくれ」と言う。
 帰る途中、源十郎は老僧に声を掛けられ、「恐ろしいことだ。お前の顔には死相が出ている」と告げられた。彼は「何か怪しい者に会いはしなかったか?家は無いのか、妻子は無いのか?お前を頼りにする者がいるなら早く帰れ。このまま彷徨っていたら命が無い」と警告した。

 源十郎が「私は今、朽木屋敷で若狭様と楽しい時を過ごしているのでございます」と浮かれた様子で言うと、老僧は「それが死霊じゃ。お前は望んではならぬ恋を望んだのじゃ。妻子が愛しくは無いのか」と告げる。源十郎が無視して立ち去ろうとすると、老僧は「それほど行きたくば行くがいい。だが、見捨てるわけにはいかない。死霊を祓ってあげよう」と述べた。

 朽木屋敷に帰った源十郎は、買って来た着物を若狭に見せた。若狭は喜び、「あなたをもうどこにもやりたくない。この屋敷を出て私の国へ参りましょう」と誘った。源十郎が「私は嘘をついていたのです。妻や子供がいます。帰らせてください」と言うと、若狭は「いいえ、帰しません」と引っ張ろうとする。だが、若狭の体は見えない力で弾かれた。

 右近が源十郎の着物をはだけると、その背中には老僧が書いた魔除けの梵字があった。右近は「男は一端の過ちで済もうが女は済まぬ」と激怒した。「お許しください、国へ返してください」と源十郎が頭を下げると、右近は「許しません。その肌に書かれた物を拭いなさい」と要求した。源十郎は錯乱状態となって神刀を手に取り、若狭と右近に斬りかかった。

 若狭と右近の姿が屋敷の奥へと消える中、源十郎は喚きながら庭に転がり落ちてなお刀を振り回し、そのまま気を失った。翌朝、彼は神官や目代に叩き起こされた。彼は神刀を盗んだ泥棒だと疑われていた。
 源十郎は「朽木屋敷にあった物だ」と主張するが、そこにあったのは廃墟だった。源十郎は持っていた金を奪われるが、牢が柴田軍に焼かれていたため、そのまま捨て置かれた…。

 監督は溝口健二、原作は上田秋成、脚本は川口松太郎(「オール読物」連載)&依田義賢、製作は永田雅一、企画は辻久一、助監督は田中徳三、撮影は宮川一夫、撮影助手は田中省三、編集は宮田味津三、録音は大谷巌、照明は岡本健一、美術監督は伊藤憙朔、風俗考証は甲斐荘楠音、能楽按舞は小寺金七、陶技指導は永楽善五郎、擬闘は宮内昌平、作詞は吉井勇、音楽監督は早坂文雄、音楽補佐は斎藤一郎、和楽は望月太明吉社中、琵琶は梅原旭涛。

 出演は京マチ子、水戸光子、田中絹代、森雅之、小澤榮(俳優座)、青山杉作(俳優座)、羅門光三郎、香川良介、上田吉二郎、南部彰三、毛利菊枝、光岡龍三郎、天野一郎、尾上榮五郎、伊達三郎、横山文彦、玉置一恵、澤村市三郎、村田宏二、堀北幸夫、清水明、玉村俊太郎、大崎史郎、千葉登四郎、大國八郎、三浦志郎、越川一、三上哲、藤川準、福井隆次、石倉英治、武田徳倫、神田耕二、菊野昌代士、由利道夫、船上爽、長谷川茂、大美輝子、小柳圭子、戸村昌子、三田登喜子、上田徳子、相馬幸子、金剛麗子ら。

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 江戸時代後期に上田秋成が記した読本『雨月物語』の9篇の中から、「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2つを取り上げて大幅に脚色を加えた川口松太郎の小説を基にした作品。タイトルロールでは「第一部:蛇性の婬 第二部:浅茅の宿」と出るが、二部構成になっているわけではない。
 若狭を京マチ子、阿浜を水戸光子、宮木を田中絹代、源十郎を森雅之、藤兵衛を小沢栄、老僧を青山杉作、丹羽長秀の侍大将を羅門光三郎、名主を香川良介、着物屋の主人を上田吉二郎、神官を南部彰三、右近を毛利菊枝が演じている。

 本作品はヴェネツィア国際映画祭に出品され、銀獅子賞を受賞した。その年は金獅子賞の該当作が無かったため、本作品が最高位ということになる。
 映画が始まる前には「1953年度イタリーヴェニス國際映画コンクール最優秀外國映画賞栄冠獲得」というテロップが表示され、ご丁寧なことにヴェネツィア国際映画祭のトロフィーである銀獅子がデカデカと画面に登場する。

 源十郎は金銭欲に取り憑かれ、「家族3人が幸せに暮らしていければいい」という宮木の願いに耳を貸さず、「もっと大きく稼ごう」ということで焼き物作りに没頭する。軍勢が村に迫っても、窯のことを気にする。
 やがて彼は、若狭の肉欲に溺れる。「妻子のことを忘れており、思い出すと迷いが出る」というわけではない。老僧に「妻子は無いのか?お前を頼りにする者がいるなら早く帰れ」と言われても、浮かれた様子で「若狭様と楽しい時を過ごしている」と口にする。妻子のことなど、まるで気にしていない。

 藤兵衛は出世欲に取り憑かれる。阿浜に「夢でも見てんのかい」と言われても、「大きな望みを持たずに出世が出来るか」と反発する。家来にしてほしいという直訴は「具足も無くて侍になれるか」と笑われ、あえなく失敗に終わる。
 だが、そんなことでは諦めない。焼き物を売って金を手に入れた彼は、引き止めようとする阿浜を振り払い、具足と槍を買って侍になる。源十郎は朽木屋敷で美女との楽しい暮らしを満喫し、藤兵衛は侍大将に出世して浮かれる。

 だが、悦楽の日々は、長くは続かない。2人とも妻に起きた出来事を知り、打ちのめされる。とは言え、彼らは自分の愚かな行為の結果として悲しみを味わうわけだから、自業自得だ。
 それに対して女たちは、愚かな男を夫に持ったというだけで不幸な目に遭ってしまう。「愚かな男と哀れな女」というのは、溝口監督が好きなモチーフだ。溝口監督は、やや歪んだマチズモ主義の中で(たぶん彼の心の奥底にはマゾヒズムが隠れていると思う)、今回も女を徹底的に苛めて喜んでいる。

 溝口監督を語る時に、必ずと言っていいほど触れられる映像テクニックが長回しだ。この作品で言うと、名主を見送る宮木が家から出て来て、源十郎が戻ったのを発見して駆け寄る。大儲けした金を嬉しそうに見せる源十郎が、宮木が喋りながら家に入っていくところまでを1カットで撮影している。
 源十郎が宮木と源市に小袖や食料を買い与え、宮木と源十郎が話していると阿浜がやって来て、そこに藤兵衛が戻ってくる。阿浜が「この阿呆、乞食のような姿になって」と言うところまでが1カット撮影だ。

 しかし、カットを割ることで流れが止まるのを嫌っているはずの溝口監督が、なぜか今回は、やたらとカットを割っている。例えば源十郎が朽木屋敷の座敷に通されるシーンでも、いつもの監督なら若狭が着替えて現れたり、侍女が料理を運んだりするところまでを1カットで撮影しそうなものだが、何度もカットを割っている。
 藤兵衛が遊女屋に立ち寄るシーンでも、屋内を進んでいく様子をカメラが追うので、そのまま1カットで行くのかと思いきや、すぐにカットを割っている。それが意図的なものとして持ち込まれていて、何か狙いがあるのかとも思ったが、そういうモノは見えてこなかった。

 そんなわけで、1カット撮影の面白さはあまり感じられなかったのだが、露天風呂のシーンはイイ。露天風呂で源十郎が若狭と混浴して浮かれていると、カメラが岩場を左に移動する。そこからグッとカメラが上昇すると、水辺の広場で2人がピクニックをしているシーンに切り替わっている。そこをカットを割ることなく、一つに繋げて見せているのだ。

 そして終盤になって、さらに強く印象に残るシーンが待ち受けていた。それは、快楽の日々を失った源十郎が家に戻ってくるシーンだ。
家に入った彼は、宮木を呼びながら屋内をグルリと回る。その様子をカメラが追い掛けて、一周して戻ってくると、さっきは誰もいなかった囲炉裏に火が付いていて、宮木が鍋を火に掛けている。
 この1カット撮影は素晴らしい。

(観賞日:2010年3月18日)

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