見出し画像

『木枯し紋次郎』:1972、日本

 渡世人の木枯し紋次郎は、切石の忠兵衛一家に草鞋を脱いだ。一家には、日野の佐文治という先客がいた。忠兵衛一家と大門の岩五郎一家の出入りがあり、2人は助っ人として共に戦った。
 佐文治から兄弟盃を持ち掛けられた紋次郎は、「誰とも盃は交わさないことにしている」と丁重に断った。しかし「このまま別れたくない」と佐文治から一家に来るよう誘われると、それには応じた。

 それから程なくして、上州無宿紋次郎は関八州見廻り役に召捕られて入牢となった。日野宿の貸元で十手預かりの井筒屋仙松を殺害した為である。
 天保六年、罪状により島送りとなった紋次郎は、流人となって、鳥も通わぬ三宅島に居た。三宅島では島抜けを図った3名の流人が島役人に捕まり、皆の見ている前で吊るし首となって処刑された。

 4名の流人が処刑を見届けた後で、以前から計画していた自分達の島抜けについて話し合った。清五郎、源太、捨吉、お花という4名である。清五郎は、同じ渡世人である紋次郎も仲間に誘ったが、断られていた。
 捨吉は清五郎に、計画を知っている紋次郎を始末するよう指示された。しかし清五郎は紋次郎を殺せず、しつこく仲間に誘った。

 紋次郎が島抜けを拒否するのは、流人になった経緯と関係があった。佐文治一家で世話になっていた頃、彼はお夕という両替商の娘と知り合った。追っ手から逃れるためという理由で、お夕から近付いて来たのだ。
 ある夜、佐文治が「人を殺してきた」と紋次郎に告白した。井筒屋仙松がお夕を手篭めにしようとしたので、殺したのだという。

 佐文治には、長く病気で伏せている母親がいた。彼は「自首するので、お袋の近くにいてやってほしい」と紋次郎に頼んだ。そこへお夕が現われ、自分が代わりに下手人として名乗り出ると口にした。そこで紋次郎は、佐文治は母親の最期を看取るまで自分が身代わりになることを決めたのだ。
 流人船で出発する日、小船で近付いて来たお夕は、紋次郎の眼前で海に飛び込んで消えた。紋次郎が島抜けを拒否するのは、佐文治との約束があるからであり、彼に迷惑が掛かるからだ。

 紋次郎は三宅島で竹細工を作って生活しながら、お夕という名の流人の面倒を見ていた。お夕は名前が同じだけでなく、容姿まで両替商の娘と瓜二つだった。お夕は自分を女郎にして裏切った男を殺害し、島送りとなった。だが、彼女は裁きの時に役人から「2、3年で御赦免になるだろう」と言われており、その言葉を信じていた。
 お夕は妊娠しており、島で出産すれば赤ん坊は海に捨てられる。子供のためにも、彼女は御赦免を待ち望んでいた。とは言え、既に島送りになってから5年が経過していた。

 半年振りの流人船が島に到着し、新たに元住職の千乗や渡世人の亀蔵らが送られてきた。赦免状が届けられると信じていたお夕だが、そんなものがあるはずも無かった。紋次郎は亀蔵から、左文治の母が既に亡くなっていることを聞かされた。
 お夕の住処を訪ねた紋次郎は、お夕の決意を察知して崖へ急いだ。しかし希望を失ったお夕は、紋次郎の目の前で崖から身を投げて死んだ。

 清五郎ら4人の島抜け計画は、最終段階に入っていた。源太は村役の娘・クスを手懐け、刀を手に入れていた。清五郎は捨吉から、再び紋次郎の始末を指示された。
 そこへ紋次郎が現われ、島抜けに加わらせてほしいと告げた。理由を問われた彼は、「確かめたいことが出来た」と言った。確かめたいこととは、もちろん左文治と交わした約束だ。

 5人が話をしている最中、三宅島の火山が大噴火を起こした。お花が逃亡用に食料を溜め込んでいた小屋は、炎に包まれて崩壊した。源太は水筒を幾つも腰回りに括り付け、目撃した家族を皆殺しにした。5人は船着場の船を奪い、島抜けに成功した。
 性欲を高ぶらせたお花が源太と交わり始めたため、捨吉は2人を殺して海に投げ捨てた。捨吉は、「秘密を知る者は少ない方がいい」と言い放った。清五郎と捨吉は睨み合いになるが、暴風雨に襲われたため中断した。

 船は激しい嵐に翻弄され、3人は伊豆網代の浜辺に打ち上げられた。清五郎は捨吉の近くにある刀を奪おうとしたが、反撃を受けて足を負傷する。漁師と自称していた捨吉がカタギではないと気付いた紋次郎は、竹細工に使っていた彫刻刀で彼を刺し殺した。
 紋次郎は清五郎を近くの小屋に運び、薬を買うため長三郎一家の賭場へ赴いた。紋次郎は薬代を稼いで立ち去るが、その正体に気付いた博徒の丈八が長三郎に密告した。佐文治の兄弟分であり、十手預かりでもある長三郎は、手下に紋次郎の後を追わせた。

 小屋に戻った紋次郎は、いきなり清五郎に襲い掛かられた。身をかわした紋次郎が驚いているところへ、長三郎一家の乾分たちがやって来た。紋次郎は一味を蹴散らすが、清五郎は深手を負った。
 清五郎は、赦免状と引き換えに紋次郎を殺すよう命じられていたことを打ち明けた。入牢していた時に牢番を通じて依頼されたが、たぶん依頼主は佐文治だろうと彼は口にした。痛みにのた打ち回りながら、清五郎は殺してほしいと頼んだ。紋次郎は清五郎をあの世へ送り、日野へと向かう…。

 監督は中島貞夫、原作は笹沢左保、脚本は山田隆之&中島貞夫、企画は俊藤浩滋&日下部五朗、撮影はわし尾元也、編集は堀池幸三、録音は溝口正義、照明は中山治雄、美術は吉村晟、擬斗は上野隆三、音楽は木下忠司。
 語り手は芥川隆行。

 出演は菅原文太、江波杏子、伊吹吾郎、渡瀬恒彦、山本麟一、賀川雪絵、小池朝雄、笹沢左保、藤岡重慶、有川正治、丘路千、大木正司、小田部通麿、女屋実和子、国一太郎、大木悟郎、熊谷武、玉生司郎、唐沢民賢、西田良、川谷拓三、小田真士、佐川秀雄、奈辺悟、畑中伶一、渡辺憲悟、東竜子ら。

―――――――――

 笹沢左保の同名小説を基にした作品。
 同じ年の1月から、市川崑の監修によるTVシリーズがフジテレビ系列で放送されている。ほぼ新人だった中村敦夫が主演し、人気を集めた。『木枯し紋次郎』の映像化といえば、そちらの方が遥かに有名だろう。
 東映京都撮影所の製作による本作品は6月公開なので、TVシリーズよりも後発ということになる。

 紋次郎を菅原文太、両方のお夕を江波杏子、清五郎を伊吹吾郎、源太を渡瀬恒彦、拾吉を山本麟一、お花を賀川雪絵、左文治を小池朝雄、長三郎を藤岡重慶、丈八を大木正司、流人頭を小田部通麿が演じている。
 また、冒頭で紋次郎に殺される渡世人の1人として原作者の笹沢左保、長三郎の乾分として川谷拓三が出演している。

 この頃、邦画界は仁侠映画が席巻しており、既に時代劇映画は壊滅に近い状態だった。仁侠映画ブームに先鞭を付けた東映も、かつての「東京は現代劇、京都は時代劇」という枠組みが消滅し、京都撮影所でも仁侠映画が製作されていた。
 正確なデータがあるわけではないので憶測に過ぎないが、ひょっとすると1970年以降、本作品まで、東映で時代劇映画は1本も作られていないかもしれない。
 まあ、たぶん何本かは作られているんだろうけど(どないやねん)、それぐらい時代劇は衰退していたってことだ。

 そんな中で、久しぶりの時代劇映画として、この作品が撮られることになった。主演には、時代劇映画への出演が少ない菅原文太が起用された。
 俊藤浩滋プロデューサーの意向で島抜けをメインにした内容(原作小説の第1作「赦免花は散った」を基にしている)となり、三宅島で長期のロケが行われた。
 描かれるのは、紋次郎が人間不信に陥るまでの、つまり「あっしには関わり合いのねえことでござんす」という生き方になるまでの物語である。

 TVシリーズの紋次郎は、一見すると全く違うキャラクターのようだが、実は眠狂四郎と同じような「虚無」を抱えた男である。
 だが、この映画の紋次郎はクールではありながらも、人情味に溢れ、思いやりがあり、他人を信じ、他人のために行動する男だ。それが、流人・お夕の身投げに直面し、清五郎が刺客だったことを知り、信じていた左文治には裏切られ、しかも仄かに思いを寄せていた両替商の娘・お夕の企みだったことを聞き、虚無の男になる。
 つまり、TVシリーズの紋次郎の誕生編といった感じの物語だ。

 大勢の人々と同じように、私の中にも「紋次郎といえば中村敦夫」という刷り込みがある。しかし菅原文太は、その刷り込みに負けないぐらい、紋次郎としてハマっている。
 個人的に菅原文太という俳優が好きだということはあるけれど、それを差し引いても、良いと思う。最初は人情味がある紋次郎という設定も、文太兄イが上手くハマった理由の1つかもしれない。
 だからと言って、別に「中村敦夫よりも上」というわけではない。どちらもいいってことだ。

 冒頭、紋次郎が玄関先で丁寧に仁義を切り、食事を終えると茶碗を裏返して置き、魚の骨は紙に包んで懐に入れるという所作の1つ1つを事細かく描いている。その芸の細かさを嬉しく感じた。
 もちろん、そんなものはわざわざ描かなくても物語は普通に成立する。ただ、その辺りに、久しぶりの時代劇を撮ることへの中島監督の意気込み、心意気を感じたのだ。
 そして冒頭での仁義は、終盤の「左文治一家に赴いた紋次郎が、玄関先で静かに挨拶をするが仁義は切らない」というところへの伏線にもなっている。

 TVシリーズと同じく、チャンバラは片岡千恵蔵や市川右太衛門のような「舞うように美しい」というものではなく、非常に泥臭い。
 斬りかかる連中は、目を血走らせて奇声を上げる。斬られた者はヒイヒイと悲鳴を上げ、地面をのた打ち回る。いわば、東映の実録路線の仁侠映画における喧嘩シーンを時代劇に持ち込んだような感じである。
 菅原文太はチャンバラの技術があるわけではないし、話のテイストや仁侠映画ブームという当時の流行を考えなくても、それは正しい選択だっただろう。

 紋次郎の周囲にいる連中も、かつての「明るく楽しい東映時代劇」に出てきたような、サッパリした奴らではない。それこそ東映お得意の任侠映画のように、アクの強いメンツが揃っている。
 老人から女から幼い子供まで、邪魔な奴らは容赦なくブチ殺す源太。殺しの話を聞いて性欲を高ぶらせてセックスをせがむお花。自分が助かることだけを考え、粗暴な態度を撒き散らしている拾吉。
 そして、悪党どもは醜い争いで死んでいく。
 いやあ、素晴らしい。

 何しろ左文治を演じているのが小池朝雄だから、幾ら母親思いの好漢というフリをしても、どうせ裏があるんだろうということはバレバレだが、まあ紋次郎は「小池朝雄だから悪党に決まっている」とは思わないわけだし、それはそれとして。
 それより、紋次郎が騙される展開で気になるのは、両替商の娘・お夕が小舟で近付き、海に身を投げるシーン。
 「なぜ?」と思ってしまう。

 後になって、「ウソを信じたままで流人になってほしかったから」とお夕本人が説明しているが、そういうことじゃなくてさ。あそこでの身投げを真実と受け取るにしても、「なぜ身投げするのか」が分からないのよ。
 そうは見えないけど、流人船に追い付かないから自殺を選んだと解釈すればいいのかな。それにしても無理があると思うが。
 死んだと見せ掛けるにしても、もうちょっと他に上手い方法が無かったのかなあと。

 もう1つ気になったこととして、流人・お夕が妊娠しているという設定。
 島へ流されてから5年が経過するわけだから、捕まる前に孕んだ子供ではない。一体、誰の子供なんだ。
 いや、そんなことより、彼女は「島で出産したら子供が海へ捨てられるからシャバに戻りたい」と言うけど、だったら妊娠するようなことを島でするなよ。
 そこは「シャバに残した子供に会いたい」という方が自然だったと思うなあ。「紋次郎がシャバに戻ったら両替商の娘・お夕が出産していた」という展開に繋げたいんだろうけど、引っ掛かるなあ。

 完全ネタバレだが、左文治は十手持ちになるために井筒屋仙松を殺害し、紋次郎にが代役を引き受けるよう同情を誘って騙した。そして、それは全て両替商の娘・お夕の考えた策略であり、彼女は左文治の妻となって赤ん坊まで産んでいた。
 紋次郎は命を狙ってきた長三郎一家と左文治の乾分を斬り、左文治も殺そうとする。そこへお夕が立ち塞がり、左文治を助けてほしいと嘆願する。だが、紋次郎は無表情で「赦免花は散ったんでござんすよ」とつぶやき、左文治を斬り捨てる。

 お夕は赤ん坊を抱えたまま、「ヤクザ者の左文治と一緒になる時に家は勘当された。左文治を殺されたら自分には行く所が無い。自分と赤ん坊を殺してほしい。そうでなければ、自分はこれからどうすればいいのか」といった旨のことを高ぶった様子で問い掛ける。
 だが、紋次郎はクールに「あっしには関わり合いのねえことでござんす」とつぶやき、そのまま去って行く。

 もちろん逆算でやっているんだろうけど、最後のセリフが「あっしには関わり合いのねえことでござんす」なのがシャレている。そのセリフに至る流れに不自然なところが無く、ピタッと絶妙に決まっているのも素晴らしい。
 前述の身投げのシーンと妊娠の設定に引っ掛かりはあるものの、そこにさえ目を瞑れば、トータルとしては世相にフィットした面白い時代劇映画だと思う。
 まあ、それだけに、「その2つさえ無ければ大絶賛できる傑作なのになあ、惜しいなあ」とは思うんだけれども。

(観賞日:2007年10月8日)

この記事が参加している募集

おすすめ名作映画

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?