見出し画像

『浮草物語』:1934、日本

 旅芸人・市川喜八の一座が、奈良井の駅に汽車で到着した。喜八の隣には、情婦である座員・おたかがピッタリと寄り添っている。ここへ来るのは4年ぶりだ。幼かった富坊も9歳になった。そら豆みたいだった女性座員・おときも、いい娘に成長した。
 床屋の妻が「喜八、若い時、いい男だったよ」と言うので、夫は気になってしまう。客は、カミソリの手元が狂うのを怖がる。

 小屋に到着した喜八は、「土地の贔屓筋に挨拶に行く」と言い、おたかに着物を用意させた。喜八が出向いた先は、おつねという女が営む小料理屋だ。喜八は彼女のことを「かあやん」と呼んだ。
 かあやんは「お前さんもう来てくれる時分だろうと思って待ってたんだよ」と言う。2人は久々の再会を喜んだ。かあやんが酒を用意し、酌をした。「かあやん、その後、神経痛の方はどうだい?」と喜八が訊くと、かあやんは「教わったマタタビを付けたら随分と良くなったよ」と言う。

 喜八はかあやんに、息子・信吉のことを尋ねた。去年、農学校を卒業して、補修科へ通っているという。その信吉が帰宅し、喜八を見ると嬉しそうに挨拶する。信吉は喜八の息子だった。しかし、信吉には「父親は村役場へ勤めていた人で死んでいる」と伝えてある。
 信吉が2階へ上がった後、かあやんは喜八に「淋しくないかい?」と問う。喜八は「淋しいったって始まらない。やはり今までどおり死んだことにしておこう。こんなヤクザな親父なら無いほうがマシだ。あいつだってこれから出世するだろうし」と語る。

 降りてきた信吉は、「今とてもハヤが出るんだぜ」と喜八を魚釣りに誘った。2人は川へ出掛け、釣竿を動かした。信吉が「楽屋へ遊びに行こうかなあ」と口にすると、喜八は「お前なんか俺たちの芝居見るんじゃねえ。書生は書生らしく学の方やってりゃいいんだ」と言う。喜八は財布を落としてしまうが、たくさん入っていたようなことを言うと、信吉は嘘だと笑った。

 芝居の時間になり、大勢の客が小屋に集まった。『慶安太平記』が演目だ。喜八が見得を切っていると、小屋に雨が漏れてきた。本降りになり、客はゾロゾロと帰っていった。その後も雨は降り続いた。座員のマア公が、「まだ4、5日は続くとラジオでは言っている」と口にした。
 座員は楽屋でゴロゴロして時間を潰した。そんな状況でも毎晩飲みに行く喜八のことを、座員の吉ちゃんが「呑気なもんだぜ」と言う。すると熟練座員・とっつあんが「この土地に来たら仕方が無い」と笑う。おたかの視線に気付き、とっつあんは慌てて席を外す。だが、「何かわけがありそうでないかい」と追及され、金を渡されたので、とっつぁんは全てを白状した。

 喜八は小料理屋の2階で信吉と将棋をしていた。おたかは妹分・おときを連れて小料理屋を訪れ、酒を注文した。おたかはかあやんに、「親方が御厄介になって済みませんわね」と嫌味っぽく言う。かあやんに「お迎えだよ」と言われ、喜八は降りていく。
 おたかを見た彼は、「何しに来やがったんだ」と不機嫌そうに言う。それから彼は、おたかを先に帰らせた。おたかは信吉を見据えて、「お父さんは何してらっしゃるの」と絡む。かあやんが息子を連れて2階へ上がると、おたかは追い掛けようとする。

 引き止める喜八に、「あたしゃあの母子に言ってやりたいことがあるんだよ」と言う。喜八は腕を掴んで強引に連れ出し、「手前なんかの出しゃばる幕かい。俺が俺の倅と逢いに行くのに何がいけねえんだ」と声を荒げた。
 おたかは静かに「お前さん、あたしにそんな口がきけた義理かい。高崎の御難でやりくり出来たのは誰のおかげだと思うんだい」と言い返す。喜八は「手前との縁も今日っきりだ。二度とあの家の敷居をまたぐと承知しねえぞ。俺の倅と手前なんかとは人種が違うんだ」と怒鳴った。

 楽屋に戻ったおたかは、おときに「今日の小料理屋の息子、ちょうと引っかけて見ない?」と持ち掛ける。おときが断ろうとすると、彼女は金を渡して「やってごらんよ」とそそのかした。
 おときは自転車で帰る途中の信吉に声を掛けて、「話したいことがあるので、芝居が終わってから待っている」と告げた。その時は「行けるかどうか分からない」と告げて去った信吉だが、かあやんに「散歩に行って来る」と嘘をついて指定された場所へ出掛けた。信吉が来ると、おときは「あんたに逢いたかったの」と誘惑した。

 それ以来、信吉とおときは逢瀬を繰り返すようになった。おときが「あたしたち、来年の今頃、どうしてると思う?」と漏らすと、信吉は「僕たちのこと、うちのおふくろに頼んでみようよ。きっと許してくれるよ」と言う。
 おときは「あたし、そんないい娘じゃないの。あなたの様な方と一緒になれる値打ちなんかない女なのよ」と言い、最初は騙そうとしていたことを打ち明けた。信吉は「はじめなんか、どうだっていいじゃないか」と、彼女の手を取った。

 小料理屋を訪れた喜八は、かおやんから「信吉がこの4、5日、毎晩のように出掛けている」と告げられた。小料理屋を後にした喜八は、信吉がおときと親密そうに話しているのを目撃した。
 喜八は小屋に戻ってきたおときを待ち受け、ビンタを食らわせた。「手前とあいつとは一体どうだっていうんだ。金でも欲しかったのか」と、喜八は彼女を問い詰めた。

 おときは「あたしなんてそう思われても仕方が無いわね」と口にした後、「おたか姉さんがあの人を誘惑しろって言った。でも今ではお金なしに信ちゃんに夢中なのよ」と告げた。喜八はおときに、おたかを呼びに行くよう指示した。
 おたかが来ると、喜八は「俺の倅をどうしよっていうんだ」と怒った。おたかは「お前さんの倅のことなんか知るもんか。お前さんに似て立派な息子さんだよ。旅芸人を情婦に持ってさ」と憎まれ口を叩く。喜八は激しく殴り付けた。

 おたかは「口惜しいかい。骨身にしみて覚えとくがいいさ」と言う。彼女が「仲直りしておくれよ。これでお前さんとは五分五分じゃないか」と持ち掛けると、喜八は彼女を突き飛ばした。
 喜八は楽屋へおときを呼びに行くが、外出したという。小料理屋へ行くと、信吉はおときと一緒に出ていった後だった。かあやんは、喜八からの迎えでおときが来たのだと思っていた。

 ずっと雨に降られて客が入らないため、一座は解散することになった。古道具屋に芝居の道具を売り払い、それで得た金を喜八は座員に分配した。別れの盃で、喜八は「堅気になれる奴は堅気がいいぜ。俺はもうこの稼業はこりごりだ」と口にした。
 喜八はかあやんの元へ行き、劇団解散の話を告げる。かあやんは「もう旅に出なくていいなら、当分ここにいりゃいいじゃないか。信吉だってよく話せば分からない年頃でもなしさ」と言う。「親子三人仲良く暮らそうよ」と持ち掛けられ、喜八は頬を緩ませた。

 そこへ信吉が帰宅する。おときも一緒だった。喜八はおときに近付き、「どの面下げて帰ってきやがったんだ」と何度も平手打ちした。止めに入った信吉にも、「おっかさんの心配が分からねえのか」と思い切りビンタを食らわせる。
 反発した信吉は、喜八を突き倒した。かあやんは思わず「この人を誰だと思ってるんだい。この人は本当のお父さんなんだよ」と明かした。

 驚いた信吉は、「そんなお父さんがあるものか。もしあれば二十年もの永い間僕たちを放ったらかしておくわけがないじゃないか。そんな勝手な父親ってあるものか」と感情的になった。
 かあやんは「でも自分の子の幸せを思って父とも言えないお父さんを考えてごらんよ。お父さんはお前に自分の商売をやらしたくなかったんだ。お前だけは学問さして堅気で身を立ててもらいたかったんだ。だからこそ心にもない嘘ついて淋しく旅で暮らしていたんだよ」と語る。

 「何時も貧乏しながらお前の学費だけは欠かさず送って下すったんだよ」と聞かされた信吉は、目を潤ませて2階に駆け上がった。喜八は「あいつの言うのももっともだよ。ふだん構いもしねえで、勝手なときにこれが父親でございなんて言ったところで、通用しないのが当たり前だ。矢っ張り俺は旅に出るよ」と口にした。
 かあやんは「信吉だってお腹の中じゃもう折れてるよ」と引き止めようとするが、喜八は「でもあいつに肩身のせまい思いをさせたくないからなあ」と漏らした。

 喜八は「はじめから出直して目鼻が付いたらまた来るぜ。こんどは信吉の親父と言っても不足のねえ大高鳥でやって来るぜ」とかあやんに言う。おときは「あたしも一緒に連れてって下さい。色々お世話になった親方にこんな不義理のままでお別れ出来ません」と頭を下げた。
 喜八はかあやんに、「骨折ついでにこいつの面倒も見てやってくんねいか」と頼んだ。そして、おときに「さっきは殴ってすまなかったな。倅は偉え奴にしてやってくれよ」と告げた。

 おときは2階へ駆け上がり、信吉に目をやった。急いで信吉が降りると、もう喜八は立ち去った後だった。かあやんは「止めなくったっていいんだよ。お前さえ偉くなってくれればそれでいいんだよ。あの人はいつもそんな気持ちでこの家を出て行った」と言う。
 喜八が駅に到着すると、おたかの姿があった。どこまで行くのか問われ、喜八は上諏訪と答える。喜八が「どうだい、もう一旗一緒にあげてみる気はねえかい。乗るか反るか分からねえけど」と持ち掛けると、おたかは駅員に「上諏訪一枚」と切符を注文した…。

 監督は小津安二郎、原作はジェームス・槇、脚色は池田忠雄、撮影編集は茂原英朗、美術監督は浜田辰雄、舞台装置は大谷弥吉&角田民造、舞台装飾は三嶋信太郎&日野芳男、配光は中島利光、衣裳は斎藤耐三、タイトルは藤岡秀三郎、タイトル撮影は日向清光。

 出演は坂本武、飯田蝶子、三井秀男(三井弘次)、八雲理恵子(八雲恵美子)、坪内美子、突貫小僧(青木富夫)、谷麗光、西村青児、山田長正、青野清、油井宗信、平陽光、若宮満、懸秀介、青山万里子、池部光村ら。

―――――――――

 小津安二郎が松竹蒲田撮影所で撮った無声映画。喜八という男を主人公にした“喜八”シリーズとしては『出来ごころ』に続く2作目となるが、そのキャラクターは全く異なっている。
 原作のジェームス・槇は小津安二郎の別名義。1959年には『浮草』という題名で小津自身がセルフリメイクしている。
 喜八を坂本武、かあやんを飯田蝶子、信吉を三井秀男(後の三井弘次)、おたかを八雲理恵子(八雲恵美子という別名義もある)、おときを坪内美子、富坊を突貫小僧(後の青木富夫)が演じている。

 この映画をちゃんと理解するには、当時の日本において旅芸人がどういう存在だったかを知っておく必要があるだろう。
 さすがに河原乞食と呼ばれることは無かっただろうが、それに近い存在だった。「役者になる」なんて言ったら、普通の親なら烈火の如く怒り出すような時代だった。劇中のセリフでも触れられているように、役者ってのはヤクザな商売だった。
 俳優の地位が高まっている現在でも、旅回りの役者となると、まだ評価としては低いだろう。しかし、そんな生易しいレベルじゃなかったのだ。

 だから、喜八は信吉に、実の父親だとは明かしていない。自分の商売を継いでほしくはないし、旅芸人が父親だと知ったら息子の将来にも悪影響を及ぼすだろうと懸念しているからだ。
 楽屋へ遊びに行こうかと軽いノリで信吉が言い出すと、真剣な表情で反対する。学問で身を立ててほしいから、息子が旅芸人と仲良くなることなんて絶対に避けたい。
 それは父親のエゴイズムかもしれないが、しかし息子の幸せを心から思っていることだけは確かだ。

 叙情溢れる物語だが、ユーモラスなシーンも織り込まれている。着物姿で小料理屋へ向かう喜八を、町の子供たちがゾロゾロと付いてくる姿などは、なんともいえず可笑しい。
 だが、子供と言えば、やはり突貫小僧だ。彼はコメディー・リリーフの役割を担っている。やたらと小屋でスイカを食っている富坊を見て、とっつあんが「また晩に寝小便をしたら姐さんに頼んでお灸をすえて貰うから」と言う。喜八が肩凝りでお灸しているのを見て、富坊は「ちゃん、親方ゆうべ寝小便したのかい?」と訊く。

 『慶安太平記』の演目で、出番を忘れていた富坊が慌てて犬のキグルミで登場する。しかし立ったままなので、喜八が叩いて座らせる。また立ち上がるので喜八が殴ると、富坊は泣き出す。
 雨が降り続く中、とっつあんたちは富坊の招き猫の貯金箱のことを思い出し、金を盗む。だが、富坊は招き猫の向きを覚えていて、金が盗まれたことを見抜き、奪い返して元に戻す。

 信吉は「今とてもハヤが出るんだぜ」と喜八を魚釣りに誘うと、場面転換で一気に川の様子へと移る。喜八と信吉はカメラに背中を向けて川に入り、全く同じタイミングで釣竿を右から左へ振る。
 このシーンだけは、サイレント映画ではなくSE(川のせせらぎなど)が入ったトーキーだったら、そして白黒ではなくカラーだったら、もっと美しいだろうなあと感じた。自然の美しさや雄大さが表現されていたら、もっと映えるだろうなあと。

 出来ることなら、おときが策略で信吉を誘惑したのに、次第に本気になっていくというところまで描写されていれば良かったのだろうが、でも、線路沿いの逢瀬で「あたし、そんないい娘じゃないの。あなたの様な方と一緒になれる値打ちなんかない女なのよ」と、どこか済まなそうに言うだけでも、もう本気になっていることは伝わって来る。
 ただ、「あなたをだまそうとしてかかったのよ」と、そこまでバラしてしまうのよね。もうしばらく、それは隠したまま粘ってほしかったんだが、時間的に余裕が無いからしょうがないのかな。そこは本筋じゃないし。

 終盤、喜八が旅に出ることを決めた後、おときは2階へ駆け上がり、信吉に目をやる。急いで信吉が降りると、もう喜八は立ち去っている。信吉は「おじさんは?」と、二度続けてかあやんに訊く。
 かあやんが「お父さんかい?」と言うと、彼は無言で力強くうなずく。かあやんが旅に出たことを告げ、「止めなくったっていいんだよ。お前さえ偉くなってくれればそれでいいんだよ」と言う。
 セリフは無くても、そこは涙を誘う名シーンだ。それだけ表情の芝居が素晴らしいってことだ。特に信吉の「涙を堪えるが、堪えきれない」という頬や唇の震える様子が、こっちの涙腺を刺激する。

(観賞日:2010年3月2日)

この記事が参加している募集

#おすすめ名作映画

8,207件

#映画感想文

67,412件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?