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『スローターハウス5』:1972、アメリカ

 バーバラは夫のスタンリーと共に、父であるビリー・ピルグリムが暮らす家を訪れた。しかし玄関のドアをノックしても返事は無く、中を覗いても姿が見当たらなかった。スタンリーは「大丈夫だよ。本人が1人を望んだ」と軽く言うが、バーバラは父を心配して「この家に1人で残したのが間違いだったわ」と後悔を口にする。
 ビリーはタイプライターに向かい、イリアム日報の編集長に向けて手紙を書いている。彼は手紙に、「前回は説明が不充分でした。私は時間の中に解き放された状態です。人生の過去と未来を行きつ戻りつしています。どこに行くか、自分では制御できません」と綴る。

 その朝、ビリーはトラルファマドール星にいて、女友達のモンタナ・ワイルドハックと一緒だった。そうかと思えば、彼は世界大戦中にドイツ軍の前で立ち往生した。従軍牧師の助手として戦地へ赴いていた彼は、1人でベルギーの雪山を歩いていた。
 その途中、彼は米兵のポール・ラザーロとローランド・ウェアリーに捕まり、ドイツ軍と誤解された。ビリーがアメリカ人だと訴えていると、伍長が現れた。彼はラザーロとウェアリーに「偵察して来る」と言い、そのまま逃げてしまった。

 ラザーロの嘆きを聞いていたビリーは、トラルファマドール星に戻った。モンタナが「また時間の旅?戦争中へ行くのは苦しくない?」と尋ねると、彼は「仕方が無い」と答えた。モンタナがキスしようとすると、ビリーはベルギー戦線に戻った。
 ラザーロの怒りを買った彼は襲われるが、そこへドイツ軍が現れて3人とも捕虜になった。ビリーは戦争から戻った新婚時代に移動し、妻のヴァレンシアから妊娠したことを打ち明けられた。

 ビリーは他の捕虜たちと共に連行され、写真のモデルになることを強要された。ビリーが命じられたポーズを取っていると、自社ビルの開場式に移動した。彼は妻と2人の子供たちに囲まれ、多くの記者が取材に来ていた。
 ビリーが連行されている時代へ戻ると、ワイルド・ビルという大佐が小隊の部下を捜していた。彼はビリーを部下だと思い込み、「君は優秀な狙撃手だ。きっと生き延びる。ワイオミングに来たら、訪ねてくれ」と述べた。そこへドイツ軍の兵士が来て、ビルを汽車の専用車へ連れて行った。

 ビリーは大勢の捕虜と共に貨物車へ乗せられ、眠ろうとする。気が付くと戦地から戻った頃に移動し、病院のベッドで横になっていた。母は同室の患者であるエリオット・ローズウォーターに、「息子は酷い体験をしたの。ドレスデン大空襲よ。親友も命を落とした。ビリーの演習中に、父親は他界した」と語る。
 彼女は「裕福な婚約者がいるの。ヴァレンシアよ。父親のマーブルは、検眼医学校の経営者よ」と話した後、ビリーに向かって「戦争は終わった。出て来て」と呼び掛けた。

 ビリーはウェアリーに叩き起こされ、「お前のせいだ」と非難される。ウェアリーは足先が腐食しており、「俺は死ぬ」と言う。ラザーロが「俺が復讐してやる」と約束し、ウェアリーは死んだ。ビリーは戦後の病院に移動し、主治医は心的外傷の治療として電気ショックを与えた。
 ビリーは戦争中に戻り、収容所へ連行された。ラザーロはビリーに「復讐してやる」と凄むだけでなく、ドイツ兵にも反抗する。エドガー・ダービーという捕虜が叱責すると、ラザーロは「覚えてろよ」と睨み付けた。

 ビリーが収容所でシャワーを浴びていると、幼少期に移動した。父は友人たちの前でビリーを抱き上げ、「過保護は良くない」と言ってプールへ投げ込んだ。収容所では多くのイギリス兵も捕虜となっており、アメリカ兵を歓迎した。
 ビリーたちが兵舎に入ると、大量の食料が用意されていた。驚くビリーに、1人のイギリス兵が「赤十字のミスで、予定の10倍の物資が届く」と説明した。ビリーはドイツ兵から貰った外套を着ていたが、イギリス兵は屈辱を与えるために渡したのだと告げた。

 ビリーは食事を取ろうとするが、眠りに落ちてしまった。彼は若い時代に移動し、愛犬のスポットと庭で遊んだ。それからスポットと遊ぶ日々が、しばらく続く。やがてスポットは、すっかり年老いた。ビリーはラザーロに叩き起こされ、「復讐はいつがいい?」と凄まれる。そこは収容所の医務室で、ビリーはベッドに寝かされていた。
 ダービーが来てラザーロを追い出し、愛する妻のことや、志願して出征したことをビリーに話す。ビリーは徴兵されたこと、検眼医学校を卒業したいので受け入れたことを語った。

 ダービーがビリーの外套のポケットを探ると、ダイヤモンドが入っていた。ビリーは中年時代に移動し、そのダイヤモンドを結婚記念日のパーティーでヴァレンシアに渡した。ヴァレンシアは出席した友人たちに、夫がダイヤモンドを手に入れた経緯を語った。
 彼女はダービーが撃ち殺されたことも話した。家に入ったビリーがトイレを覗くと、息子のロバートが慌てて立ち上がった。ビリーはポルノ雑誌を発見して事情を見抜き、没収してトイレを出た。

 アメリカ兵の捕虜は集められ、ドレスデンへ移されるという説明を受けた。ドイツ軍の将校は、「美しい場所だ。戦争が終わるまで安全に暮らせる。リーダーを決めて命令に従え。ドイツ兵とのパイプ役だ。誰か推薦しろ」と言う。ラザーロの名が挙がると、ビリーはダービーを推薦した。
 将校が「問題が起きれば責めを負う」と話すと、ラザーロは辞退した。中年のビリーは、ライオンズクラブの会長に選ばれた。会員たちの拍手を受け、彼は壇上でスピーチした。ダービーがスピーチすると、ラザーロはバカにする態度を取った。

 中年のビリーは家族を連れてドライブインシアターへ行き、男女の裸が出て来る映画を観賞させた。ヴァレンシアは腹を立てて車を降りるが、ビリーは構わずに観賞を続けた。ドレスデンへ向かう汽車の中で、ビリーはダービーから妻に手紙を書いたことを聞かされる。
 反抗期に入ったロバートが14の墓石を倒し、ビリーは警官から連絡を受けて墓地へ行く。「立場を考えると、署に連行しない方がいいですよね。他の方法を考えます」と警官が言うと、ビリーは感謝して「警察の基金に寄付する」と約束した。

 護送の汽車はドレスデンに到着し、捕虜はドイツ兵の案内で町を移動する。中年のビリーはモントリオールの検眼医大会に出席するため、マーブルたちと共に飛行機へ乗り込んだ。ビリーは見送る人々に視線を向け、スキーマスクの男たちの幻影に気付いた。
 彼は飛行機が墜落すると確信し、慌てて操縦士に止めるよう要求した。操縦士に戻るよう促された彼は、仕方なく席に着いた。しかしビリーの予感は的中し、飛行機は雪山へ墜落した。

 捕虜が案内された場所は「シュラハトホフ5」、英語で「スローターハウス5」と呼ばれる場所だった。ダービーは「食肉処理場での労働は条約違反だ」と抗議するが、ドイツ兵は全く相手にしなかった。ビリーは墜落事故で大怪我を負いながらも生き残り、スキーマスクの面々に救助された。
 連絡を受けたヴァレンシアは、衝突事故を起こしながらも病院に向かって車を暴走させる。ビリーはヴァレンシアの誕生日に、彼女が欲しがっていた車をプレゼントする。ヴァレンシアは病院に到着するが、壁に激突して意識を失う。意識不明のビリーは、ストレッチャーで運ばれるヴァレンシアと廊下で交差する…。

 監督はジョージ・ロイ・ヒル、原作はカート・ヴォネガットJr.(カート・ヴォネガット)、脚本はスティーヴン・ゲラー、製作はポール・モナシュ、製作総指揮はジェニングス・ラング、撮影はミロスラフ・オンドリチェク、美術はヘンリー・バムステッド、編集はデデ・アレン、音楽はグレン・グールド。

 主演はマイケル・サックス、共演はロン・リーブマン、ユージーン・ロッシュ、シャロン・ガンス、ヴァレリー・ペリン、ホリー・ニア、ペリー・キング、ケヴィン・コンウェイ、フレデリック・レデブール、フリードリヒ・レーデブーア、ニック・ベル、ソレル・ブック、ロバーツ・ブロッサム、ジョン・デナー、ゲイリー・ウェインスミス、リチャード・シャール、ギルマー・マコーミック、スタン・ゴットリーブ、カール・オットー・アルバーティー他。

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 カート・ヴォネガットJr.(カート・ヴォネガット)の同名小説を基にした作品。監督は『モダン・ミリー』『明日に向って撃て!』のジョージ・ロイ・ヒル。脚本は『バラキ』のスティーヴン・ゲラー。カンヌ国際映画祭審査員賞、サターンSF映画賞、ヒューゴー賞映像部門を受賞している。
 ビリーをマイケル・サックス、ラザロをロン・リーブマン、ダービーをユージーン・ロッシュ、ヴァレンシアをシャロン・ガンス、モンタナをヴァレリー・ペリン、バーバラをホリー・ニア、ロバートをペリー・キング、ウェアリーをケヴィン・コンウェイが演じている。

 主人公が過去と未来を行き来する設定だし、トラルファマドール星という架空の星まで登場する。だからSF作品として定義されているし、それが間違いだとは言わない。しかし映画を見ても、「タイムスリップSF」という印象を受ける人は決して多くないだろう。むしろ本質的な部分を捉えると、これは「戦争」を描いた映画と言っていいのではないだろうか。
 実際、ビリーは様々な時代を行き来するが、「戦争中」と「別の時代」が交互する構成になっている。だから戦争中のシーンが圧倒的に多い。ジョージ・ロイ・ヒルが原作をどんな風に捉えていたのかは分からないが、きっと原作でカート・ヴォネガットが描きたかったのはドレスデン大空襲なのだ。

 「過去と未来を行き来する」という部分はフィクションだが、ビリーのキャラクターはカート・ヴォネガット自身がモデルになっている。彼は戦時中に捕虜となり、収容所でドレスデン大空襲を体験しているのだ。
 その体験をストレートに描かず、ひねくれたSFの形で表現しているのは、「カート・ヴォネガットらしさ」ってことだろう。それと、あまりにも悲惨で辛い体験だったので、真正面から取り上げることは難しかったという事情もあるんだろう。

 声高に反戦のメッセージを訴えているわけではないし、見終わっても「戦争反対」のスローガンが見えて来るわけではない。ただ、戦争の恐ろしさや愚かしさを描こうとしている意識が感じられる。
 映画ではビリーのモノローグを使う演出を採用していないが、原作の彼は何かに付けて「そういうものだ」という感想を抱いている。それは表面上、「諦念」と受け取れる。だが、戦争を含む全ての出来事を、本気で諦めているわけではないだろう。そんな風にでも思わないと、受け止め切れないぐらいの体験だったということだろう。

 ビリーは様々な時代を行き来し、様々な出来事を追体験しているはずなのに、スポットと遊ぶパートだけは同じ体験が続く。人生の様々な時代を移動しているが、ずっと「スポットと遊ぶ」という出来事が共通したままなのだ。そこは他から少し浮いた状態となっている。
 それでも、まだ「ビリーの出来事」というルールは順守しているが、「連絡を受けたヴァレンシアが病院へ行くため車を暴走させる」というシーンに至っては、もはやビリーの追体験から完全に逸脱している。そのシーンが入ることで、ルールが破綻してしまい、整合性が完全に取れなくなってしまう。

 「ビリーがヴァレンシアの誕生日に車をプレゼントした」というエピソードと結び付けたくて、その車でヴァレンシアが暴走するシーンを描いているんだろうとは思うのよ。だけど、ルールを破綻させてまで盛り込むほど、必要性が高い出来事とは思えないのよ。
 パニック状態のヴァレンシアは事故を起こして死亡するので、その事情を描く必要があると考えたのかもしれない。だけど、やっぱり「ビリーが過去と未来を行き来する」というのは絶対に守らなきゃいけないルールでしょ。だから、そこは「ビリーが手術を受けて回復したら、妻が事故死したことを知る」という形で処理するべきだと思うのよ。

 戦時中の出来事と、それ以外の出来事は、微妙にリンクさせてある。例えば「写真撮影でポーズを取る」「壇上でスピーチする」といった行動に共通点を持たせたり、同じアイテムで結び付けたりしている。いずれの場合でも最初の内は、戦時中以外のシーンは幸せだったり平和だったりする内容になっている。
 しかし時間が経つにつれて、それが変化していく。結婚記念パーティーのシーンでは、ダービーの死を妻が語ってビリーが暗い表情を浮かべる。それでも、そこで起きている出来事自体は結婚記念パーティーなので、幸せではある。しかし、ついに「墜落事故で重体になる」「妻が事故死する」といった出来事が起きてしまう。

 ビリーの人生は、「戦争体験を除けば順風満帆で幸せに満ちていた」というわけではない。楽しいことや幸せなこともあったが、一方で辛い出来事や悲しい出来事もあった。波乱万丈の人生と言ってもいいだろう。
 それでも、やはりビリーにとってドレスデン大空襲は特別な体験だった。それは嫌な意味、辛い意味での特別な体験だ。戦争というのは、それぐらい恐ろしい「非日常」なのだ。そして、あまりにも辛い出来事だから、やや滑稽とも思える手法によってオブラートに包んでいるのだ。

 墜落事故で入院したビリーが意識を取り戻した後、同室のラムフード教授が登場するシーンがある。ラムフードがドレスデン大空襲について本を執筆することを話していると、ビリーは「僕もいた」と口にする。ここだけは明確な形で、「ビリーの回想」という見せ方になっている。
 そしてドレスデン大空襲を描くシーンになると、そこだけは「1945年2月13日」という日付が表示される。それぐらい、この作品にとって特別な意味を持つ出来事だということが顕著に示されているわけだ。

 ラムフードは苛立った様子で、「戦争を始めたのは俺たちではなくナチスだ。ドレスデンでは13万5千人の死者が出たが、連合軍の犠牲は500万人以上だ。ロンドンではミサイル攻撃で大勢が死んだ。女子供もだ。ロッテルダムも爆撃された。ドイツ人はガス室付きの収容所を作った」と語り、ドレスデン大空襲の正当性を主張する。
 そんな中、空襲前のドレスデンで平穏に暮らすドイツ市民の様子が写し出される。そして空襲によって街が廃墟と化し、大勢の市民が死体となって転がる様子も描かれる。どちらが正義か、どちらが先に仕掛けたのか、そんなことは何の意味も無いのだ。

 終盤、ビリーがトラルファマドール星へ移動すると、謎の声が「新たな燃料の実験中、試験運転士が誤ってボタンを押し、宇宙は丸ごと消える」と話す。「分かってるなら、止めればいいのでは?」というビリーの問い掛けに、その声は「何をしてもボタンは押されるので、止めようがない。そういうものだと」語る。ここで初めて、「そういうものだ」という言葉が使われる。
 その後、ビリーは自分が殺されることを知りながらも、演説に立つ。そしてラザーロに射殺され、命を落とす。しかしビリーはトラルファマドール星へ戻され、そこではモンタナとの楽しい日々が待っている。「死は決して避けられないが、悲観するものではない」という着地になっている。ドレスデンでの辛すぎる体験から抜け出せなかったビリーが、最後は達観へと到達するのである。

(観賞日:2017年7月20日)

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