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『軍旗はためく下に』:1972、日本

 全国戦没者追悼式が執り行われ、天皇陛下も出席した。しかし三百万にのぼる戦没者の中には、未だに英霊の列に加えられない人々がいた。陸軍軍曹の富樫勝男も、その一人だ。昭和二十年八月のニューギニア戦線において、彼は敵前逃亡罪で死刑になっていた。
 昭和四十六年。富樫の妻であるサキエは厚生省を訪れ、新しく赴任したばかりの課長と係長に陳情する。これまで彼女は終戦記念日になると必ず厚生省へ行き、不服申立書を提出している。全て却下されているが、それでもサキエは諦めていなかった。

 サキエは昭和二十一年、幼い娘のトモ子を抱えている時に、富樫の死亡通知書を受け取った。書面に死亡日時さえ書かれていないことに困惑した彼女は戸籍係に抗議し、夫が処刑されたことを知らされた。彼女が富樫と暮らした時間は、半年にも満たなかった。
 昭和二十七年四月に戦没者遺族援護法が施行されたが、サキエには年金が出なかった。彼女はトモ子を連れて役所へ行き、戸籍係に抗議する。戸籍係は困惑し、処刑されている戦没者の遺族には年金が出ないのだと説明した。

 サキエは課長に、もう恩給が目当てではなく本当に富樫が脱走して死刑になったのかを知りたいのだと話す。彼女は連隊長からの手紙で、軍法会議の判決書さえ無いことを聞いていた。課長も脱走の証拠が無いことは分かっていたが、無罪が証明できなければ前任者の決定は覆せないのだと申し訳なさそうに言う。
 サキエは漁師の昭次と結婚して子供を産んだトモ子から、もう諦めるよう言われていた。村人たちから陰口を叩かれていることもサキエは知っているが、「オラが諦めたらウチの人が浮かばれない」と口にした。

 課長は係長から書類を見せられ、同じ部隊の面々に照会の手紙を出したことをサキエに教えた。敵前逃亡罪を覆すような手紙は無かったが、返答の無い面々が4人いた。そこで課長は、遺族であるサキエが自ら交渉に行けば新たな事実が分かるかもしれないと提案した。サキエは最初に、元陸軍上等兵で現在は養豚業を営む寺島継夫を訪ねた。すると寺島は照会の手紙など来ていないと言い、富樫は命の恩人だと告げる。
 増援に向かう途中で敵軍に襲われた時、小隊長は突撃を命じた。しかし富樫は「飛び出せば敵の思う壷だ」と反対し、銃を構えて小隊長に反抗した。小隊長は飛び出して敵陣に特攻し、銃撃を浴びて死んだ。

 その後、敵軍の攻撃で日本軍は徹底を繰り返し、大勢の餓死者が出た。富樫の分隊はジャングルて立ち往生を余儀なくされ、多くの兵士が栄養失調とマラリアで動けなくなった。そんな中、寺島は富樫から、総攻撃の命令が下ったこと、動けない者は自決するよう言われたことを知らされた。富樫は友軍の場所を教え、逃げるよう促した。
 寺島は富樫と別れ、分隊から逃亡した。それを聞いたサキエは、厚生省で話してほしいと頼む。しかし寺島は「街へ出て人と話す自信が無い」と言い、勘弁してほしいと告げた。彼はサキエに、きっと富樫は敵軍に斬り込んで死んだはずだと語った。

 サキエは元陸軍伍長の秋葉友幸と会うため、劇場を訪れた。秋葉は漫才師になり、ポール・槙という男と組んで軍人を題材にしたネタを披露していた。楽屋でサキエと会った彼は、富樫の名前は覚えているが詳細は分からないと告げる。
 「敵に斬り込んだ」という寺島の証言をサキエが伝えると、秋葉は「斬り込んで戦士できるような状況じゃなかった」と全面的に否定した。彼は武器も食糧も不足していたこと、敗戦が重なると戦線を離脱する者が増えたこをサキエに語った。

 師団本部は逃亡者が増えたことに激昂し、「逃亡する兵士は軍法会議無しでも殺せ」と命じた。しかし将校も逃亡するようになり、精神を病む者も現れた。秋葉たちはジャングルに迷い込み、何でも食べた。ネズミを巡って喧嘩になることさえあり、体力がある兵士は地元民の畑を狙って殺された。
 秋葉はサキエに話している最中、芋泥棒の集団と遭遇した出来事を思い出した。逃げる集団を追い掛けて発砲した時、遺体の中に富樫の姿があったと彼は言う。サキエが信じられずに泣くと、秋葉は「証拠があるわけじゃない」と力無く笑った。

 サキエは元陸軍憲兵軍曹の超智信行を訪ね、話を聞く。超智は視力を失って按摩になり、仲居として働く女と結婚していた。超智はサキエに、妻は板前と浮気しているのだと教えた。超智は富樫の名を聞いても、まるで覚えていないと言う。
 彼は帰国してからも憲兵だったためアメリカ人に追われる日々が続き、闇酒に溺れたせいで盲目となっていた。超智は戦争の終わり頃に忘れられない事件があったと言うが、関係者が富樫かどうかは分からないと告げる。

 分かっているのは男が軍曹だったことだけだと超智は言うが、それでもサキエは詳しく話してほしいと頼んだ。すると超智は、男が戦友を殺して人肉を食べたのだと打ち明けた。昭和二十年八月、十名ほどの兵士が空腹で海岸にいると、その軍曹が現れた。軍曹は野豚の肉を見せ、塩と交換してほしいと持ち掛けた。兵士たちは快諾し、その肉を食べた。
 一人の兵士が不審を抱いて軍曹を尾行し、そのまま戻って来なかった。しばらくすると、また軍曹が来て肉と塩の交換を持ち掛けた。怪しんだ兵士たちが捕まえて尋問すると、軍曹は戦友や尾行の兵士を殺して肉を食べたことを白状した。軍曹が処刑される時、超智は立ち会っていた。

 超智と別れたサキエは、元陸軍少尉で高校教師になっている大橋忠彦の元を訪れた。大橋は彼女に、教師として何も出来なかった。全てが私を追い越していく。置き去られていくだけだった」と話す。
 彼が「島で死んだ者は、敵弾に倒れた者も、自決した者も、処刑された者も、飢え死にした者も、みんな同じ戦死者なんです」と言うと、サキエは富樫だけが違うのだと告げる。なぜ富樫が処刑されたのか知りたいことをサキエが説明すると、大橋は終戦後に発覚した事件のことを教えた。

 大橋が所属していた部隊に、後藤少尉という小隊長がいた。ある時、彼らの陣地に米軍パイロットが不時着し、師団参謀の千田武雄は斬れと命じた。後藤は首斬り役を志願するが、なかなか殺せずに米軍パイロットが暴れたので千田が射殺した。
 それ以来、後藤はヒステリックになり、部下を扱き使ったり理由も無く暴力を振るったりするようになった。食料を独占し、重症のマラリア患者を働かせて死なせたこともあった。分隊長の富樫が抗議すると、後藤は激怒して激しい暴行を加えた。

 富樫は仲間に「このままでは殺される」と相談し、一緒に後藤を殺害した。戦後、部隊の生き残りの富樫や堺、小針たちは千田から尋問を受け、1人が後藤の殺害を自白した。千田は捕虜殺害の罪が露見するのを恐れ、軍法会議無しで富樫たちを処刑した。
 そんな話を大橋から聞いたサキエは、衝撃を受けた。千田は戦犯として追及されることを免れ、数年前まで東南アジア開発公団の役員を務めていた。今は悠々自適の生活を送り、孫娘と散歩に出掛けるのが日課になっていた。

 サキエは千田の元へ行き、富樫たちの処刑について話すよう頼む。千田は軍法会議の結果だと告げ、秩序を守るために処刑は正しかったと主張する。サキエが抗議しても、彼の考えは全く揺るがなかった。千田は彼女に、捕虜の殺害は後藤の独断であり、自分は関知していないと述べた。
 さらに彼は、処刑されたのは5名の内の3名であること、1人は病死したこと、残る1人は後藤の殺害を自白した寺島であることを話す。サキエは寺島の元へ戻り、嘘をついたことを責めた。すると寺島は、新たな事実を打ち明けた…。

 監督は深作欣二、製作は松丸青史&時実象平、原作は結城昌治(直木賞受賞作品 中央公論出版)、脚本は新藤兼人&長田紀生&深作欣二、撮影は瀬川浩、美術は入野達弥、照明は平田光治、録音は大橋鉄矢、編集は浦岡敬一、音楽は林光。

 出演は丹波哲郎、左幸子、中村翫右衛門(三代目)、江原真二郎、夏八木勲、三谷昇、内藤武敏、中原早苗、藤田弓子、山本耕一、関武志、ポール・牧、寺田誠、市川祥之助、藤川八蔵、梅津栄、北見治一、北相馬宏、小林稔侍、陶隆(陶隆司)、藤里まゆみ、秀島由子、内海和子、田中世津子、杉義一、相馬剛三、岡部正純、南川直、三重街恒二、元山裕隆、松本隆、持丸繁、ジャック・モーリス、滝左太郎、三島新太郎ら。

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 直木賞を受賞した結城昌治の同名小説を基にした作品。配給は東映だが、製作したのは山本薩夫や今井正たちの東宝退社組が設立した独立プロダクションの新星映画社。監督は『血染の代紋』『博徒外人部隊』の深作欣二。脚本は『裸の十九才』『甘い秘密』の新藤兼人。
 富樫を丹波哲郎、サキエを左幸子、千田を中村翫右衛門(三代目)、後藤を江原真二郎、堺を夏八木勲、寺田を三谷昇、大橋を内藤武敏、超智の妻を中原早苗、トモ子を藤田弓子、秋葉を関武志、ポールをポール・牧(ポール牧)、小針を寺田誠、超智を市川祥之助が演じている。

 深作欣二の持ち味はほとんど感じられず、「新藤兼人が脚本を手掛けた作品」としての色を強く感じる。もはやATG作品なのかと思ってしまうほどだ。深作欣二監督の作品としては、かなりの異色作と言っていいんじゃないだろう。
 深作欣二は第二次世界大戦を少年時代に体験しており、「理不尽な上官に対する憎悪」ってのを描きたくて原作の映画化権を取得したらしい。ただし、それは結城昌治が原作に込めたメッセージとは異なるため、サキエが「兵士たちの戦場」を追体験するシナリオに改変したそうだ。ようするに深作欣二は反戦映画を撮りたかったわけじゃなくて、ホントは後に彼がヤクザ映画で取り扱うような「暴力の肯定」が描きたかったんだね。

 「富樫は本当に脱走して処刑されたのか」という死の真相を、サキエが探るミステリー仕立てになっている。サキエが疑念を抱いて調べる話なのだから、「脱走して処刑された」ってのが間違いなんだろうってのは何となく分かるだろう。
 しかしサキエは同じ部隊だった4人から話を聞くが、相手によって内容がまるで異なる。富樫の死の真相が、余計に分からなくなっていく。ちょっと『羅生門』を連想させるようなトコもある構成だ。

 ただし、実はミステリーの部分に主眼があるわけではない。サキエが同じ部隊だった面々の元を訪ね回る形を取りながら、その中で様々な戦争体験を語らせ、それを通じて反戦のメッセージを訴えることを目的とする作品だ。
 何しろ1972年に製作されているわけだし、その頃に第二次世界大戦を題材にした映画を作るってことは、「反戦映画」とイコールだと断言してもいい。まあ日本の場合は「1972年だから」ってことじゃなくて、それ以降も第二次世界大戦を題材にした場合は基本的に反戦か厭戦の映画だよね。

 当然っちゃあ当然だが、富樫と同じ部隊だった面々は、戦場で過酷な体験をしている。ここで重要なのは「敵軍のせいで酷い目に遭った」ってことではなく、むしろ上官や本部の理不尽さや横暴さが兵士を追い込む様子が描かれるってことだ。
 また、戦後の後遺症についても触れている。4人は全員、「戦争が終わって解放され、幸せになった」という状況になく、ずっと戦争体験を引きずって暗くい思い人生を歩んでいるのだ。

 寺島はゴミ溜めのような場所に暮らし、綺麗な街が怖くて人と会うのを避けている。秋葉は「本当の人生は戦場で済ませた。今は余りの人生だ」と考え、前向きに生きる意欲を完全に失っている。超智は憲兵だったせいで帰国してからもアメリカ人に追われ、悪い酒に溺れて視力を失う。
 彼はサキエに、「自分が何のために生きているのか分からなくなった」と漏らす。大橋も全く前向きな気持ちになっておらず、「死んだ戦友たちの青春は何だったのか」と悩み続けている。

 さらに大橋は、「戦争の悲惨さを訴えるのが、教師としての役目だったはず」と、戦後の自分に対する無力さも吐露する。そして再軍備に走る日本の様子、血のメーデー、激しいデモ活動、三島由紀夫の蜂起などのニュース映像が挿入され、「戦後の国や国民の様子」が提示される。具体的な説明の台詞は無いが、「戦争を忘れてしまった日本や、戦争を知らない国民が、また争いを起こすような方向へ進んでいる」ということへの危惧を訴えようとしているんだろう。
 また、大橋の「一方じゃA級戦犯が総理大臣にまでなっているのに、下っ端が浮かばれないのは今も昔も変わらないんですね」という台詞でも、別の方面から「戦後の日本」を批判している。

 終盤、寺島はサキエに、狂った後藤が襲い掛かって来たので富樫や堺たちが殺害したこと、事実を説明すれば富樫たちが処刑されずに済むはずだと考えて寺島が千田に告白したこと、処刑の担当者が越智だったことを打ち明ける。
 サキエは越智に話を聞こうとするが、トラックにはねられて死んでいた。富樫が処刑された時の様子を寺島から聞いた後、彼女は「国が始めた戦争なのに、後始末は全部、オラたちにひっかぶってるだねえ」と呟く。映画の最後を飾る彼女の言葉が、最も重要なメッセージとなっている。

(観賞日:2021年3月24日)

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