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ギタリスト佐藤将文の履歴書。そしてここから。

どうも佐藤です。

突然ですが、7月から島村楽器に入社しました。

今年6月18日に約16年間続けたバンド“UNCHAIN“を脱退して、ここからまた新しい活動が始まります
なので改めて、この分岐点での”これまで“と”これから“をここに記録するつもりで少しお話しさせてください。

前にもここで書かせていただいた記事、"経験は三度。多い?少ない??ワシの場合"の時と少し内容の被る話もありますがお付き合い頂ければと。

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短パン裸足時代

中学で初めてバンドを組み、高校卒業まで夢中でコピーバンドをやっていましたが、卒業後は消防士を目指して専門学校に進学。正直、この辺りの話は少し恥ずかしいので記憶から消去中。いや、消火中。
この間、音楽からは遠ざかっていましたが、“音楽でプロになるんだ”と突き進む仲間を見ながら少し後悔というか、なんだか羨ましく思っていました。もちろん消防士は自分でなりたいと選んだ道ですが。
その心の揺らぎに気付いてか、高校時代のバンド仲間が一緒に”プロを目指そう“と本気で誘ってくれました。悩む間もなくその瞬間からワシのバンド人生がスタート。その時のバンドが現在も活躍中の“CONSTRUCTION NINE”です。ここで初めて”ライブハウス“という場所でライブをしました。
短パンに裸足でストラップ激短“これがこの頃のワシの勝負スタイル。対バンで出会う人達みんながバチバチの本気のぶつかり合い。そこに対抗する為の最初の手段がそれでした。そのスタイルでステージで大暴れ。
ここでは3ピース時代のUNCHAINとの対バンも度々。

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〜UNCHAIN加入と地獄のメトロノーム練

ある日、UNCHAINのベーシスト谷が盲腸で入院。ライブサポートにCONSTRUCTION NINEのベースが呼ばれ、ついでにギターももう一本入れようとなりワシが弾かせてもらったのが4人でのUNCHAIN、四CHAINの始まりです。しばらくサポートとして活動し、2004年冬に正式加入。この頃から短パンが長ズボンに変わります。。どーうでもいい。
そして正式加入して間もなくインディーズデビュー。あまりの順調さに驚きつつも、ここからは下積みの無さが重く重くのしかかってきます先日も書きましたが、狂ったようにメトロノーム練をしていました笑。デビュー直前にはプレッシャーで胃腸炎になり入院する事になってライブを急遽欠席してしまったことも。この入院中、谷は毎日お見舞いに来てくれました。一言も喋らずただ横に座ってるだけ。だけど看護師さんが来ると楽しそうに喋りだして看護師さんが部屋を出ると谷もそのまま帰ります。ワシのお見舞いじゃなかった。。。
そして初めての全国ツアーは“衝撃の宝石箱“。対バンの猛者達の数々、各所の打ち上げ文化、連日の車内泊。音楽的な事は勿論、体力面、精神面でのあらゆる洗礼を受けました。得るモノはたくさんありましたが、無意味なモノはその倍ありました。笑。それでも“毎日がライブ”というこの幸せがどんな疲れも忘れさせてくれました。

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〜メジャーデビューと華やかな日々〜

インディーズで2枚のミニアルバムをリリースして、2007年に「departure」でメジャーデビュー。
ライブ会場、レコーディング、MV撮影、アー写、取材、その他諸々、音楽活動を取り巻く環境が一気に華やかなものになっていきます。環境だけが前を歩き過ぎてワシらのイモ感はなかなか拭えず。。。この頃を絵で例えるなら『ミラーボールの下にじゃがいも』。って感じかな?わかる?
周りの人達の“ヨイショ”感に違和感を覚えつつ、この環境の中でまずは劣等感との戦いでした。今だから言えることですけどね。ちなみに今でもその戦いは続いていますが、あの頃よりも今はプラスに変えていく戦いとして消化できてるつもりです。劣等感はプラスになるんです、ポジティブ劣等感です。
そして事務所移籍に伴い上京。この目に視えて大きな環境の変化で、意識の変化も加速していきます。

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〜東京の刺激〜

「東京の街に出て来ました
あい変わらずわけの解らない事言ってます」♪ 東京/くるり

上京することがあればこの曲を流しながらって学生時代に決めてたので、夢の回収が一つできました。

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大きな事務所に移籍し、数々のアーティストの中に飛び込み、これまでとは全く異なる刺激の連続でした。どんどん加速していくスピード感に必死で食らいつきながら、周りに転がっているたくさんのお手本を必死に拾い集める毎日。そうやって沢山の人達と関わり、色んな意見を酌み交わして、色んな景色を観ていく中で保守的な性格から積極的な姿勢に変わっていった気がします。裸眼⇒伊達メガネ。太首⇒蝶ネクタイ。薄毛⇒髭&パーマ。少しずつ。少しずつ。
ここからたくさんのチャレンジを仕掛けていきました。バンドとしても個人としても。
日本語歌詞、カバーアルバム、サポート、曲提供、コスプレ、バク転、ワシがボーカル。撫で肩なのにサスペンダー。。。
やり過ぎたことも多々ありますが、この時に得た攻めの姿勢は今でも頭に刻んであります。大きな財産になりました。上京して数年、事務所やレコード会社の移籍はあったものの、その環境の変化すら楽しめるようになっていってました。

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~UNCHAIN脱退~

脱退発表の際にも文章で書かせて頂きましたが、心・技・体すべてが、バンドのスピードに追い付けなくなっていました。理想の自分に追い付けないモヤモヤなんてのは始めからずっと抱えていたけど、バカなりにずっと前を向いてやってきました。そしてそれは今回も同じで、前を向いて決めた結果が脱退という選択です。それが今必要な攻めの姿勢でした。メンバーに話をした時も、その姿勢はちゃんと見てもらえたはずで、快く背中を押してくれました。
そして何より皆さんがその姿勢をしっかり見てくれていてすごくうれしかったたくさん頂いた言葉が本当にうれしかった。
みなさんの心が今すごくワシの力になっています。
より理想を高めてギタリストを続けていくという覚悟の音を自分の内から聴いた気がします。

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~島村楽器入社~

島村楽器は何年か前にワシがHISTORYのアコギ”NT-C3”を買ったのをきっかけに、個人的にもバンドでも色々とお世話になっていました。脱退を発表して、これからどう恩返ししていけるかと考えていたところに、逆に「一緒にやりませんか?」とお声をいただき、恩返しどころかまたお世話になることに。「ギタリストとして、アーティストとして、色々と手伝って欲しい」と本当にうれしいお誘いをいただいて、この場所でギターを弾き続けようと決めました。
これまで通り弾き語りやsugar baby yab、YouTube配信、その他諸々ワシ個人の活動も続けつつ、島村楽器の一員として音楽をもっと身近に感じられるものに出来るようにたくさんのチャレンジをしていこうと思います。コロナが明けたらお店でイベントなどもできたらと良いなと。全国で!!
そしてせっかくなので、ワシのプロデュースモデルのギターもいっぱい作りたいですよね!!こんなの勝手に言うてたら怒られるかな??笑 いや!こういうのは勝手に口に出したもの勝ち!みたいなとこもあるので。こだわりとアイデアの詰まったこの新しい環境で、まだまだ新しい発見と新しい喜びをたらふく味わっていこうと思います。

かなり長くなってしまいましたが、最後までありがとうございました。これからもよろしくお願いします!!


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