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短編191.『作家生活19』〜コンクリートジャングル篇〜

 たまに都会を離れてみるのも創作の為にはとても良い。

 普段読まない分野の本を何冊か集中的に読み込み、音量を気にすることもなく山に向けてトランペットを吹き鳴らす。(“こだま”が天然もののディレイを掛けてくれる)

 濃密な闇に目を凝らし、野生動物の息遣いに耳を澄ます。(ここにいる限りは虫にだって優しい眼差しを向けられる。何せ人間の領土ではないのだから)

 今そこにある自然に触れ、何十年も道端に放置されたモノから物語を掬い上げる。

 朽ちた四阿(あずまや)、今や錆の方が本体よりも多面積を占める農機具、壁に掛けっぱなしにされた埃だらけの写真。

 そういったもの達に囲まれて、最新鋭のスマートフォンでものを書く。

 都会の仕事場(私の場合、それは主に台所の片隅だ)では思いつかないような話が自分の中から次々と湧き出してくる。

 とても良い兆候だ。

 まるで自分がバルザックか何かにでもなったかのような気分を味わえる。

 でもそれも、二日三日の滞在だから良いのだろう。

 一週間もすれば、それは日常となり、物珍しさは単なる背景へと退く。

 帰ろう。

 コンクリートが俺を呼んでいる。

          *

「オリンピック終わっちゃいましたね」と担当くんが言った。京都弁ではなかった。
「私には一度も声を掛けずじまいだ。IOCもどうかしている」
「センセ、結構、批判的な作品を出してましたけど」京都弁ではなかった。
「別に好きでも嫌いでもないさ。ただ、人々の集合的無意識にアクセスするのが作家の仕事だからね。世の中が孕む心の声に敏感なだけさ」私はお茶を飲んだ。「でも、今まで生きてきて一度もスポーツに勇気をもらったことはないな。あの言葉はアスリートの自己満足だとは思っている」

 このオリンピックは人々の記憶に残るだろうか。残るとすればそれは負の記憶としてしか残れないだろう。いや、違うな。人は喉元過ぎれば熱さを忘れる、という便利な特性を備えている。何年かすれば案外それはコロナウイルスと闘った良い思い出として残るのかもしれない。若き頃の武勇伝を嬉々として語るみたいに。

 でも、そんなことは誰にも分からない。そう、今はまだ。




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