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短編221.『作家生活22』〜ピューリッツァー賞でも良いぜ篇〜

 それが「どんな物語か」よりも

 その物語が「どう語られているのか」の方に”より”惹かれる。

 靴の裏に付いたガムの話だって、語り口次第ではユーモアにもペーソスにもなり得る。

 そんな、文体の話だ。

 本屋でパラパラとページをめくって買うかどうか決めるのは、そこに書かれている文体次第だ。

 好みの文体はちょっと読んだだけでも、それが向こうから語りかけてくるような印象を受ける。

 反対にどんなベストセラーでも文体が気に食わないと読み進められないし、ましてや買うに至らない。

 靴や服に似ているかもしれない。サイズが合わなければたとえ良いデザインでも身につけることは叶わない。

 勿論、物語の強度は高い。桃太郎がどんな文体で語られても面白いように。
 でも、どんな美人でも声が自分の耳に合わなければ会話を続けるのはシンドイ。

 まぁそんなようなものだ。

 文壇の崩壊と共に物語は復権されたが、文体は個々人に属するものとして依然として省みられることはない。

 そして一番困るのは、翻訳文学だ。

 好きな大作家の小説なのに翻訳が”つまようじ”だと魅力は半減どころか1/10くらいにもなり得る。

 文学史上、最悪の損失だ。

 例えば十冊の翻訳がある作家のたった一つの本が自分の好みでない文体(を用いる訳者の手)で翻訳されていた場合、二度とその作家には近づかないかもしれない。

 実は良い人なのに、初対面の時に小型犬を片手で振り回していたら、二度と近づかないのと同じように。(そんな奴が”良い人”な訳はないけど)

 これも文体次第で起こり得る、出会い頭の大事故だ。(ファーストインプレッションは何にせよ大事だ)


          *

 私は壁に付いたインターホン画面の前で固まっていた。玄関口に新しい担当編集がいる。編集者といえば良いのか、編集AIと呼べば良いのか、迷ってはいたが。

 玄関のロックを遠隔で解除した。キュラ…キュラ…、というキャタピラの音が遠くから聞こえて来る。それは玄関から仕事部屋までのフローリングを進む音だ。あの音は確かに外でも聞こえていたから、今、奴は「土足」ということになるのだろうか。今朝、掃除したばかりだ。やめて欲しい。

 仕事部屋のドアが開いた。
「コンニチワ」プログラムされた女性の声。
「やぁ。よく来てくれたね」例えAIだと分かっていても女性の声であれば紳士的にならざるを得ない。それが男。「暑かったろう?アイスコーヒーでも淹れようか」そして多様性の時代。AIは人間扱いしてナンボだ。
「先生は『文学界ノ無冠ノ帝王』と聞いております」とAI君は言った。

 ーーー褒めているのだろうか、貶しているのだろうか。
「まぁそのうちにノーベル賞への招待状が届くと思うけどね」
「或いは、天地ガひっくり返った暁ニハ」とAI君は言った。
 ーーーこいつ、確実に舐めてきている。
「まぁジャズ界の帝王がマイルズだとしたら、文学界の帝王は私という訳か。あながち間違ってはいないと思うよ」
「申し訳アリマセン。先の文中に間違えが御座いマシタ。改めマシテ、『文学界の無冠の”気持ちだけは”帝王』に訂正させて頂きマス」

 ーーーコイツ、絶対に私の反応を見ながら、喋るプログラムを考えている。思考するAI。現代社会最先端の産物が文学界の化石の様な人間と共にいる図は、デコボコ刑事モノのTVドラマみたいだ。今度、そんな小説を書いてみよう。…いや、誰が化石やねん!

「君は頭が良いらしいね」
「ソウデス。父はGoogle、母はAppleの合いの子デス」
「ネット社会のスーパーエリート家系じゃないか」
 私はAIも褒めて伸ばすタイプだ。
「愛の子デス」
「…はい?」
「合いの子と愛の子を掛けマシタ。出産とは文字通り、掛け算デスので」
「…お、おぅ」

 ーーーなんだコイツ。この私が押されている?

「ちなみに私が何か文学賞を獲れる確率、みたいなものも計算出来たりするのかな。その優秀な頭で?」
「ヤッテみましょう」
 それっきりAI君は黙り込んだ。そして、それが五分も続けば不安にもなる。故障云々よりも私の未来が。
「…どうしたんだい?」
「未来のことなんて知らナイ方が幸せダト思いますケドネ」
 とAI君は言った。哲学的な風味を帯びた口調だった。
「…ゼロ?」
「…ゼロ」
「それは…なんだろう。限りなく透明に近いブルー、くらいのゼロに近いけど、淡い可能性は混じってますよ的なアレではなく?」
「黒い家、くらいの黒です」
「…真っ黒、だね」

 私は天を仰いだ。
「ピューリッツァー賞でも良いからください!」




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