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短編325.『オーバー阿佐ヶ谷』25

25.

 招待されたバーは西麻布のメインストリートからは外れた住宅街の一角にあった。会員制らしいが会員でもなければまずバーだとは分からない造りをしている。そう、全身で場末の飲み屋感を出している『ソルト・ピーナッツ』とは大違いだった。

 隣り合った人間の顔が辛うじて分かるくらいに抑えられた照明。壁に備え付けられたライトは自動で回転を繰り返す仕組みのようで、ゆっくりと店内の有りようを照らしていく。
 静かに流れるピアノの調べ。注意して聴くと、とても良いメロディだと思うのだが、二秒後には靄となって思い出そうにも辿れないような種類のメロディ。まさにキングオブBGM。
 バーテンダーはきちんと正装をしている。赤のネクタイに黒いベスト。頭蓋骨に沿うように撫でつけられた髪の毛。これ以上ないくらいバーテンダーだった。

 店内を見回しながら「わぁー。オシャレ〜」と真妃奈は言った。確かにデートの最後に連れてこられるバーとしては完璧だった。この後に辿り着くところは一つしかない。とはいえ、
 ーーーこいつはここに来た意味を分かっているのか?不安だ。
 芸能人と飲みに来た訳じゃないんだぞ、と小声で釘を刺す。
 並べられたウィスキー瓶を可動式の間接照明が照らしていく。光が当たる度、鈍く光る琥珀の液体は美しい。オシャレ〜、と思った。

  我々は俳優を間に挟んでカウンターに座った。各々の飲み物を注文し終わると、「主催に」と俳優は言った。「ウィスキーのストレートを」

 酒が来るまでの間に改めて自己紹介の時間があった。俳優は小牧亨(こまき・とおる)といった。この度の通夜のメインアクトだった演出家の主催する阿佐ヶ谷の小劇団【演劇集団 暗愚裸座】にかつて所属しており、十七年ほど前にそこを辞め、紆余曲折あって今はテレビや映画などの映像の仕事をメインにしているそうだ。真妃奈曰く、「なんであんたそんなことも知らないのよ」らしい。

 ソルティドッグとマティーニとアプリコットオレンジがカウンターに揃った。誰もいない席に誰も口のつけないウィスキーが置かれた。
「主催の繋げてくれた縁に」俳優はグラスを掲げた。「献杯」
 掲げられた三つのグラスを可動式のライトが順に照らし、カウンターに置かれたウィスキーグラスのところで一旦停止した。全てが演出された賜物のような気がして気持ち悪かった。

 各々、沈黙を噛み締めるようにしてグラスを口元に近づけた。酒の味はーーー。阿佐ヶ谷のみならず中央・総武線沿線のどの駅で飲む酒より酒だった。各酒造メーカーは中央・総武線と西麻布では下ろす酒の等級を変えているのかもしれない。そう思えるほどに酒が酒だった。ーーーそれ以上、私には判断出来かねた。

 皆のグラスが空になり、ウィスキーグラスに注がれた0.0数%が蒸発した頃、リニアモーターカーのような滑らかさで俳優が口を開いた。
「では、本題といきましょうか」
 私はバッグに忍ばせておいたアイスバーグ・スリム『PIMP』を取り出し、真ん中あたりのページを開いた。そこには黒い四本の毛が挟まっていた。ーーー増えていたら面白いのに、と思ったがその数はきっちり四本だった。
「なにそれ。汚い」と真妃奈は言った。
 久々に見たそれは確かに益々、陰毛感に拍車が掛かっていた。



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