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人新世における人間の安全保障と経済のミライ

人類の歴史は戦争と平和の歴史でもあった。近代の国際関係と国際法の歴史は三十年戦争におけるウェストファリア条約の締結によって、主権国家体制が確立したものとされている。2020年から拡大している新型コロナウイルスによるパンデミックは、ウイルスとの戦争であるとのメタファーも存在する。たとえばテクノロジーの発展は移動の自由を拡大させ、国境の境界線がこれまでより開かれるようになったと考えることもできる。英国のウィンストン・チャーチル首相が、戦後のヨーロッパにおける東西の緊張状態を表した「鉄のカーテン」は心理的な国境とみなすこともできる。また、1960年代初めにドイツに建設されたベルリンの壁は物理的な国境と考えることもできる。そして米ソ冷戦が終結し、グローバリズムが進んだ結果、世界はフラット化したとの意見がある一方、グローバル化は進んだがフラット化はしていないとの意見もあった。

たとえば、世界でもっとも有名なハンバーガーチェーン店にマクドナルドがある。マクドナルドは世界各国にチェーン店があり、それぞれの国で販売されているハンバーガーの品質には大きな差がないと考えられる。そこで、米国のビッグマックを基準として、比較する国でのビッグマックの価格を比べることで、その国の経済力を測るというものがビッグマック指数である。同様に、コーラという世界的に人気がある飲料が存在する。しかしコーラの味は世界で異なっているとされている。文化的、制度的、地理的、経済的な隔たりはグローバル化が進んだ現在でも残っているというのだ。

それでは国境はどうだろうか。心理的な国境や物理的な国境だけでなく、国境の概念が拡張されることも考えられる。戦後の米ソ冷戦期における東西の対立では、宇宙開発競争も存在した。さらに、現在ではメタバースと呼ばれる仮想世界も注目されている。マーク・ザッカーバーグ氏がこの仮想世界における大統領就任を宣言したらどうなるだろうか。スマートフォンであるiPhoneはライフスタイルを変え、人々の生活を豊かにしたが、iPhoneは米国でデザインされ、中国で組み立てられ、世界各国へと輸出されている。国境は曖昧になるが、世界の相互依存関係は強まり、人や企業の争奪戦や紛争のリスクは加速している。ビジネスはパイを作りだすときには協力し、パイを分け合うときには競争するものであるという、ビジネスを戦争と平和に例える者も存在する。世界はこれまでの時代よりも確実に豊かになっているが、環境や格差、運か実力かの不平等の問題などの課題を抱え、紛争の種類も拡大している。

本稿では、これからの安全保障や新しい資本主義と経済などについて検討を行うこととする。

1 日本の地政学

戦後、米ソ冷戦の時代では米国が超大国として世界の警察の役割を果たしていた。ユーラシアグループのイアン・ブレマー氏が指摘するように、現在では米国が超大国として世界の警察の役割を続けるのか、あるいはマネーボール・アメリカとして現実主義的な外交方針を取るのか、世界における役割の修正を迫られることもある。さらに、中国が世界第2位の経済大国として安全保障だけでなく、経済分野でも覇権国となりつつある。これまで、日本は1960年に締結された「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(日米安全保障条約)に基づく日米安保体制が安全保障の基軸となり、国民の生命や財産だけでなく、国際社会の平和と繁栄に大きな役割を果たしてきた。今後、日米同盟を深化させるだけでなく、憲法第9条の改正により、侵略目的を禁止し、国際平和活動や自衛権のための軍を保持することは課題であると考えられる。

安倍晋三内閣総理大臣は、2016年8月にケニアで開催されたTICADⅥ(第6回アフリカ開発会議)において、「自由で開かれたインド太平洋」(Free and Open Indo-Pacific、以下FOIPという。)を打ち出した。当初は戦略と言われていたが、のちに構想と言われるようになり、現在では日本外交の中心的な構想として定着しつつあるとされる。

安全保障について検討する上で、まず各国国防費の推移等を概観する。

1.1 各国国防費の推移や安全保障政策

はじめに、各国国防費の推移を確認する。2017年から2021年までの各国国防費の推移を表したものが下図である。

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図を確認すると、国防費は各国ともに横ばい、または増加の傾向にあることが分かる。

さらに、2017年から2021年までの各国国防費の推移の対前年度伸び率を表したものが下図である。

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図を確認すると、この期間における日本の国防費の伸びは1%前後である。また、国防費の伸びの平均値が大きい国は中国となっている。習近平政権における中国では2013年に一帯一路の構想を打ち出し、2015年には57ヵ国を創設メンバーとしてアジアインフラ投資銀行(AIIB)が成立した。この構想は、インフラ等の対外投資により周辺諸国、諸地域における経済的、文化的な影響力の拡大などを目的とするとされる。中国は2010年に日本のGDPを追い抜き世界第2位の経済大国となった。2015年には中国製造2025の経済政策を掲げ、それ以降も経済成長を続けている。さらに、中国版のテックジャイアントであるBATH(Baidu、Alibaba、Tencent、Huawei)と呼ばれる企業の世界的な影響力の拡大や、中国国内におけるデジタル化は世界でもトップであると評価されている。中国の経済的な影響力の拡大は、安全保障上の懸念ももたらす。中国国内には人権問題があるだけでなく、民主主義や法の支配、自由といった基本的価値観の共有が不十分であるとされることもある。さらに、中国は東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国などと領有権について争いのある南シナ海における動向なども抱えている。中国の膨張は太平洋の安全、秩序の安定についての不安定化をもたらす懸念がある。日本はFOIPによる外交やQUADと呼ばれる日米豪印戦略対話などによりインド・太平洋地域における国際社会の平和と安定を図ることも重要だろう。QUADはルールに基づく秩序の維持・強化のみならず、民主的価値を共有し、インド太平洋地域の繁栄したものとするビジョンを推進するためにも有効である。

続いて、自衛官の定数と現員数などを確認しよう。2010年から2020年までの自衛官の定数と現員数の推移を表したものが下図である。

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国防費の推移が1%前後の伸びであったことと同様に、図からは自衛官の定数と現員数は2010年以降ほぼ横ばいの傾向を示していることがわかる。日米安保体制は日本だけでなくインド太平洋地域の平和と安定に大きな役割を果たしているが、近隣国である中国の影響力が増す中で、国民の生命と財産、領土・領海・領空を守るための適切な防衛力の確保は重要だろう。また日米同盟をより強固なものとするため、自衛隊や防衛力の整備は課題であると考えられる。外交政策および防衛政策を中心とした国家安全保障の基本方針とする2013年12月に初めて策定された国家安全保障戦略に基づき、積極的平和主義を基本理念としながら米国をはじめとした関係国との緊密な連携は重要である。

北岡伸一氏は西太平洋連合(Western Pacific Union)を提唱している。これは、FOIPを中心に、日本、東南アジア諸国、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋島嶼国などからなる緩やかな連合体を作り、EUとならぶものとする構想である。この構想はアジアにおける地域主義であり、この地域の政策協調や地域協力により域内の平和や繁栄の実現を目指すものである。アジア地域における安全保障の重要性は、中国の台頭による影響も受ける。東南アジア諸国を始めとするアジア地域の経済成長により、アジアの世紀が到来するとの予測もある。日本の安全保障は地理的な距離が近く、共通の価値観やビジョンを有するアジア各国との協調や協力による戦略が重要となる。

1.2 メタバースと新しい安全保障

SF作家のニール・スティーヴンスンが1992年に発表した小説『スノウ・クラッシュ』に登場する架空の仮想空間サービスに付けられた名前であるメタバース(metaverse)と呼ばれるものが存在する。メタバースは英語の「超(meta)」と「宇宙(universe)」を組み合わせた造語であり、インターネット上に構築された仮想の三次元空間において、利用者はアバターと呼ばれる自分の分身を介して仮想空間に入ることでその世界の他の利用者とのコミュニケーションを図ったり、仮想空間内で仮想通貨を用いた買い物をしたり、さまざまなコンテンツを楽しむことができるとされている。

経済産業省が2021年7月に取りまとめた「仮想空間の今後の可能性と諸課題に関する調査分析事業」報告書では、仮想空間について「多人数が参加可能で、参加者がその中で自由に行動できるインターネット上に構築される仮想の三次元空間。ユーザはアバターと呼ばれる分身を操作して空間内を移動し、他の参加者と交流する。ゲーム内空間やバーチャル上でのイベント空間が対象となる」と定義している。また同報告書では、xRを(1)VR(Virtual Reality)、(2)MR(Mixed Reality)、(3)AR(Augment Reality)の三つに定義している。

VRはゴーグルやヘッドセットの端末を利用し、視界を覆って現実に近い仮想空間の世界に没入することができる。ゲームや音楽ライブなどのエンタテイメントのコンテンツや、アバターを使ったコミュニケーションを通じて会議を行うことなどもできる。ARは、たとえば『Pokémon GO』にも利用され、同ゲームではカメラで映したその場の風景にアプリのデータやキャラクターを表示させることができる。このほか、家具量販店のIKEAはスマホアプリにAR技術を活用し、部屋にバーチャルな家具を置いて、部屋全体をコーディネートすることで家具の新しい購入方法を提案しようとしている。MRは複合現実と呼ばれ、ARが現実世界をベースにしているのと異なり、MRは現実世界に独立した仮想世界を表示することができる。MRはARとVRの融合のイメージであり、現実と仮想をクロスさせる技術である。

2021年10月28日、ソーシャル・ネットワーキング・サービスの最大手である米国のFacebook社が社名をMetaに変更することを発表した。ソーシャルメディア企業としてのイメージから、人々をつなぐ技術を構築する企業としてブランドを再定義することも狙いにあるようだ。

2000年代にはインターネット上の仮想世界の住民となって生活を送ることが出来る『Second Life』というゲームも話題となった。そこではリンデンドルという仮想通貨があり、その仮想通貨を日本円へ交換するシステムも導入された。しかし、Second Lifeは失敗に終わったと評価されている。現在、NFT(Non-Fungible Token)と呼ばれる非代替性トークンに注目が集まっている。このNFTはデジタル資産にブロックチェーン上で所有証明書を記録し、固有の価値を持たせる。NFTはデジタルアートやビデオゲームのアイテム、音楽ファイルなどに現在利用されている。たとえば、Twitter社の共同創設者でCEOを務めるジャック・ドーシー氏による最初のツイートをNFTにして売買したところ、約3億円の値がついている。その後、販売で得た資金は非営利団体に寄付されている。NFTによる仮想通貨は唯一無二の固有の価値を持ち、推しエコノミーを創造し推進することも考えられるだろう。また、メタバースによる仮想世界と現実世界の経済がクロスする時代が到来するかもしれない。最近ではメタバースの事例として『あつまれ どうぶつの森』や『フォートナイト』が挙げられることが多い。オンライン空間上に街を再現したりし、ライブコンサートやイベントを楽しむこともできる。

Facebook社の社名変更はメタバースと呼ばれる仮想空間を強化する狙いがあるとされるが、メタバースは安全保障上のディストピアをもたらす可能性も考えられる。

たとえば、『ソードアート・オンライン』(以下、SAOという。)という人気のライトノベルがある。

SAOはナーヴギアと呼ばれるゲームハードを利用し、VRMMORPG(仮想大規模オンラインロールプレイングゲーム)を動かす。ナーヴギアの構造は、頭から顔までを覆う、流線型のヘッドギアだ。このマシンにより仮想空間へ接続し、ユーザーは完全ダイブする。ナーヴギアは肉体への命令信号を、アバターを動かすためのデジタル信号へと変換する。そして、ゲームの舞台となるアインクラッドという戦場を自在に飛び回り、剣を振り回したりする。第1巻で描かれている世界には第1層から第100層まであり、それぞれの階層には異なる世界観がある。アインクラッドではプレイヤーがパーティを組んだり、ソロでゲームを攻略する。しかしゲームをクリアするまで、ナーヴギアのロックは解除できない。ゲームをクリアできない場合は、ログアウトできず、現実世界でもゲームオーバーだ。

SAOの基本的な考え方はMMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game)と呼ばれる大規模で多人数が同時に参加するオンラインのロールプレイングゲームがもとになっていると考えられる。MMORPGは複数のプレイヤーが一つの世界に参加し、そのゲーム内の仮想世界ではアバターによるチャットでコミュニケーションをとったり、また経済システムも存在する。NFTが通貨としての価値や機能を果たすようになった場合、VRMMORPGの世界では、エクスカリバーのような伝説の武器やプレイヤーに付与された特殊スキルの金銭的価値が大きくなることも考えられる。レアアイテムや特殊スキルは希少性が高く、現実の世界におけるのと同様に影響力が大きい。

このように、仮想世界における安全保障はミッションを達成するまでロックを解除できなかったり、ゲームを止めることができないというディストピアな世界になる可能性もある。

メタバースの進展により仮想世界が拡張し、現実世界と融合したとき、地政学は陸・海・空だけでなくバーチャル世界の覇権も重要となることが予想される。2050年、日本の自衛隊はMeta軍を創設し、アインクラッドの世界の戦いを現実でも行っている可能性もあるだろう。Meta軍は国境がないボーダーレスな紛争を解決し、メタバースの経済圏は現実世界でも大きな力を持つ。仮想世界における力は軍事力のようなハードパワーだけではなく、文化や魅力といったソフトパワーも重要となることも考えられる。仮想世界における安全保障では、日本のアニメやゲームといったコンテンツ文化が力となることも考えられる。

1.3 メタバースと暗号資産

Googleトレンドで「仮想通貨」のインタレストについて調べてみると、2017年頃から人気度の上昇が見られ、2018年1月にピークを迎えている。

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日本国内で新しい情報技術を金融サービスに活用していくFinTechが注目されるようになったのは2015年頃である。FinTechは金融を表すファイナンスと技術を表すテクノロジーを組み合わせた造語であり、米国のシリコンバレーから始まった。金融には金融仲介機能や資金決済機能があり、FinTechによる金融のデジタル化は、従来の金融機関が担っていた金融の機能を分解するアンバンドリングするとも言われた。当時は一時的なブームで終わると思われたFinTechであるが、代表的な技術であるブロックチェーンは暗号資産を支える技術として活用されている。サトシ・ナカモトが生んだとされる暗号資産の先駆けであるビットコインの普及は、中央銀行デジタル通貨(CBDC)の発行の議論を巻き起こしたと言えるだろう。中央銀行デジタル通貨を巡っては2016年頃から各国で議論が行われ、同年に日本銀行から「中央銀行デジタル通貨について―海外における議論と実証実験―」のレポートが公表されている。その後も中央銀行デジタル通貨に関する議論や実証実験は進展し、2021年のG7ではリテール中央銀行デジタル通貨(CBDC)に関する公共政策上の原則が策定されている。CBDCはステーブルコイン等の民間発行のデジタル通貨と異なり、決済手段としての移転や価値保蔵手段として保持されたりする中央銀行が発行する手段であるとされる。

現在ではNFTを担保とするステーブルコインも発行されるようになっている。ステーブルコインに対する規制強化の動きもあるが、同暗号資産を採用する政府も現れた。ステーブルコインとCBDCが共存するようになった場合、メタバースにおける経済圏が拡張し、現実の金融、経済における影響力を増すことも予想される。そして、安全保障は現実世界と仮想世界の相互依存関係が強まることも考えられる。

2 日本の貿易

現代の安全保障は軍事力だけでなく、経済や地政学の相互関係が高まるジオエコノミクスの世紀とも言われる。GAFAと呼ばれるテックジャイアントは国家を超えるパワーを持ち、地政学の新しい力になるという指摘もある。さらに、中国のBATHもGAFAと並ぶ国際競争力を持つ可能性があるテック企業である。GAFAと呼ばれるプラットフォーマーはデジタル経済において、Winner takes all(勝者独占)の支配力を持つ。デジタル経済では、財やサービスを追加的に増やす費用である限界費用は限りなくゼロに近づいていく。そしてネットワークによる外部性により影響力は増し続け、規模が拡大していく。GAFAは国家と同様の影響力を持つと言われるまでとなった。米国と中国における新冷戦は、安全保障上の問題だけではなく経済の衝突でもある。現在、たとえば半導体不足が問題となり、サプライチェーンの確保や協力も経済では課題とされる。他国に過度に依存する状況を変え、国の戦略的な自立性の確保を図ることや世界におけるプレゼンスを高め、優位性を確保することは、経済安全保障において重要であると考えられる。安全保障は軍事や経済力などの対外的な強制力であるハードパワーだけでなく、その国の有する文化や魅力などのソフトパワーにも依存する。今後、経済分野を含む様々な領域において米中のさらなる対立が深まり、安全保障上の懸念が大きくなる可能性もある。

ここでは経済安全保障について考える上で、日本の貿易などについて概観してみることとしよう。

2.1 日本の貿易を概観する

まず、2000年、2010年、2020年の日本の貿易相手国(輸出)の上位5か国は次のとおりである。

2000年(輸出)
1位 米国(142,911,163、29.7)
2位 台湾(36,054,697、7.5)
3位 韓国(30,785,740、6.4)
4位 中国(30,427,526、6.3)
5位 香港(27,251,425、5.7)
(国名、輸出総額(1000ドル)、シェア(%))
2010年(輸出)
1位 中国(149,086,369、19.4)
2位 米国(118,199,405、15.4)
3位 韓国(62,053,705、8.1)
4位 台湾(52,206,626、6.8)
5位 香港(42,145,232、5.5)
(国名、輸出総額(1000ドル)、シェア(%))
2020年(輸出)
1位 中国(141,248,918、22.1)
2位 米国(118,011,939、18.4)
3位 韓国(44,587,236、7.0)
4位 台湾(44,326,215、6.9)
5位 香港(31,947,251、5.0)
(国名、輸出総額(1000ドル)、シェア(%))

2000年には米国が約3割を占め、中国、韓国、台湾のアジア各国が1割弱であった輸出総額は、2020年には中国が20%を超え、米国を上回り輸出総額で1位となっている。現在の国際貿易は主にグローバル・バリューチェーン(GVCs)を通じて行われている。GVCsとは、複数国にまたがって配置された生産工程の間で、財やサービスが完成されるまでに生み出される付加価値の連鎖を表すとされる。バリューチェーンという言葉は、マイケル・ポーター教授が1985年に発表した著書『競争優位の戦略』で初めて用いられ、企業活動を、(1)主活動(購買物流→製造→出荷物流→販売・マーケティング→サービス)、(2)支援活動(全般管理(インフラストラクチャー)、人事・労務管理、技術開発、調達)の二つに分類し、機能別に生み出される付加価値を分析して、価値連鎖を最適化するフレームワークである。経済活動は国内外を通じて行われ、複数国にまたがって財やサービスの供給や調達を行う機能は生産性や付加価値に影響を与えている。

2021年12月、日本マクドナルドでは、フライドポテトのミディアム(M)とラージ(L)サイズの販売を制限すると話題になった。新型コロナウイルスの影響は、企業の供給活動であるサプライチェーンにも及んでいる。バリューチェーンは機能が生み出す価値に注目した考え方であるのに対して、サプライチェーンは商品やサービスの原材料の仕入れから、消費者に届くまでの一連の供給プロセスを指す。バリューチェーンにおけるロジスティクスの課題のひとつに、サプライチェーンの問題が存在するとみることもできるだろう。日本マクドナルドで販売されているフライドポテトは、米国で生産されたジャガイモを収穫し、それを北米の工場で加工し、カナダのバンクーバー近郊の港を経由して日本に輸送されている。今回のフライドポテトの販売制限は、同年11月にカナダで発生した洪水被害の影響もあるとのことだ。

GVCsの深化により世界は複雑化し、相互依存関係が強化されている。令和の時代は黒船との関係も重要である。

次に、2000年、2010年、2020年の日本における輸出の貿易相手国を地域ごとに表したものが下図である。

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図を確認すると、2000年の米国の一国主義貿易から2020年には多国間主義への貿易の変化もみられる。特に、2000年代以降の経済成長が著しい中国への依存が強まっている。また、2050年にはアジアの世紀が到来すると叫ばれることもあるが、距離的にも近いアジア各国への輸出総額が大きいことも分かる。

続いて、2000年、2010年、2020年の日本の貿易相手国(輸入)の上位5か国を確認しよう。

2000年(輸入)
1位 米国(72,432,078、19.0)
2位 中国(55,303,392、14.5)
3位 韓国(20,529,525、5.4)
4位 台湾(17,967,748、4.7)
5位 インドネシア(16,440,169、4.3)
(国名、輸入総額(1000ドル)、シェア(%))
2010年(輸入)
1位 中国(152,800,714、22.1)
2位 米国(67,170,633、9.7)
3位 オーストラリア(45,002,770、6.5)
4位 サウジアラビア(35,762,553、5.2)
5位 アラブ首長国連邦(29,183,328、4.2)
(国名、輸入総額(1000ドル)、シェア(%))
2020年(輸入)
1位 中国(163,701,277、25.8)
2位 米国(69,466,849、11.0)
3位 オーストラリア(35,686,721、5.6)
4位 台湾(26,725,363、4.2)
5位 韓国(26,540,403、4.2)
(国名、輸入総額(1000ドル)、シェア(%))

輸入総額について確認すると、輸出総額と同様に、2000年に1位であった米国から2020年には中国が1位となっている。輸出総額と比較すると、米国とアジアのほか、オセアニアや中東への依存も高くなっている。これは、エネルギーや天然資源などを同地域に依存しているためであると考えられる。

また、2000年、2010年、2020年の日本における輸入の貿易相手国を地域ごとに表したものが下図である。

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輸出と比較すると、輸出入で品目が異なるため依存する貿易相手国の差異がみられる。しかし距離が近く、世界第2位の経済大国となった中国の影響が大きいだろう。たとえば、貿易は雇用に影響を与えるとする研究もある。中国からの輸入の増加は、ドイツ、ノルウェー、メキシコにおいて、経済に負の影響を与えたとする研究がある。また、距離的にも近い日本や韓国では中国からの輸入競争は労働市場にプラスの影響を与え、雇用が増加したことが示されている(Tanigchi 2019 : Choi and Xu 2019)。

2022年1月1日、地域的な包括的経済連携(RCEP)協定が発効される。RCEPは2012年11月に交渉が開始され、2020年11月15日に署名された。その後、2021年11月2日に協定の発効要件が満たされた。RCEPは日本、中国、韓国のほか東南アジア諸国連合(ASEAN)、オーストラリアなど15ヵ国が参加する。RCEPはGDP、貿易額、人口のいずれも世界全体の約3割を占める世界最大規模の経済連携協定となる。また、中国が参加する初めての大型自由貿易協定でもある。RCEPによりアジア太平洋地域の多くの国に適用される貿易や投資に関するルールができることで、域内のビジネス環境の改善も期待される。2021年3月に公表された外務省を中心としたRCEP協定の経済効果分析では、同協定によって日本の実質GDP水準は、同協定がない場合と比較して、最終的に約2.7%増加することが期待されると試算されている。この数字は2019年度の実質GDP水準で換算すると約15兆円の押し上げになり、その際、労働は約0.8%増加すると見込まれている。たとえば、2019年の訪日外国人旅行消費額、いわゆるインバウンド消費は4兆8,135億円となっており、RCEP協定の発効による経済効果は大いに期待される。

日本の貿易は日米同盟関係にある米国や中国を含むアジア各国、オセアニア等への依存が大きいことが分かった。FOIPやQUADの参加国のほか、東南アジアなどとも協調して、民主主義、法の支配、自由および人権といった共通の価値観を共有し、インド太平洋地域の安定と繁栄を図ることは経済安全保障においても重要であると考えられる。

続いて、経済安全保障における戦略について考えてみることとしよう。

2.2 ハードパワー、ソフトパワー、スマートパワーによる戦略

安全保障政策を考える上では、ジョセフ・ナイ元米国国防次官補が定義したハードパワー、ソフトパワー、スマートパワーの概念も参考になると考えられる。ハードパワーとは、軍事力や経済力の飴と鞭を使って他を自らの意志に従わせる能力を指し、ソフトパワーは軍事力や経済力などの対外的な強制力によらず、その国の有する文化や政治的価値観、政策の魅力などに対する支持や理解、共感を得ることにより、国際社会からの信頼や発言力を獲得し得る力を指す。ソフトパワーは力ではあるが軍事力などの防衛であるハードパワーを代替するものではなく、両者を活用することで安全保障政策は維持されるが、外交戦略上は魅力であるソフトパワーを強化することも重要となる。また、スマートパワーによる影響力は、これら二つの力を適切に行使することで実行される。

たとえば、ソフトパワーの事例では韓流が挙げられるだろう。韓流という表現は1990年代末から韓国のドラマや映画、音楽が流行した中国で誕生したとされるが、日本国内では映画『シュリ』、ドラマ『冬のソナタ』等のヒットによりブームが生じたと言われている。韓国で制作された文化コンテンツが国境を超えて人気となり、海外でも注目を集めるようになった。2021年にNetflixで配信されたドラマ『イカゲーム』は、同社史上最大の視聴者数を獲得した作品となったことも発表されている。また、音楽市場ではBTSが世界的な人気を獲得している。BTSの熱狂的なファンは「ARMY」と呼ばれ、BTSの成長ストーリーに共感してきた。また、BTSは独自のコンテンツをYouTubeやSNSを通して配信している。2021年、日本国内ではプロセスを共有し、その物語が顧客を巻き込むというプロセスエコノミーの概念が注目を集めたが、BTSの人気はこのプロセスエコノミーの成功事例として考えることもできる。韓国は韓流等による文化振興政策により成功を収め、ソフトパワーの国際競争力は強いとみられる。

それでは、日本はどうだろうか。2010年、日本では経済産業省にクール・ジャパン室が開設され、クール・ジャパンが推進されるようになった。クール・ジャパン戦略では外国人がクールととらえる日本の魅力、たとえばアニメやマンガ、ゲーム等のコンテンツ、ファッション、食、伝統文化、デザイン、ロボットや環境技術などを発信し、世界の共感を得て、日本のブランド力を高めるとともに、日本のファンを増やすことを目的としている。このほか、クール・ジャパンにより日本のファンを増加させることは、外国人観光客によるインバウンド需要の増加に寄与する効果なども考えられる。クール・ジャパンの事例として、東京の若者の街である原宿を中心としたKawaii文化の発信が挙げられるが、韓国の韓流と比較すると大きな成功を収めたとは言い難い。

ここでは、ソフトパワーに含まれるアニメ、ドラマ、スポーツ、清酒の輸出額を確認してみることとする。下図は、2013年から2019年までのソフトパワーの輸出額の推移を表したものである。

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図を確認すると、ドラマおよびスポーツは横ばいの傾向にあるが、アニメおよび清酒の伸びは大きい。特に、アニメの輸出額はこの期間だけでも輸出額が5倍以上の増加となっている。

それでは、アニメはどのような地域への輸出額が大きいのだろうか。これを表したものが下図である。

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2019年度におけるアニメ輸出額は442億円であるが、このうちアジアが249億円、中南米が114億円となっており、これらの地域の国だけで約80%を占めている。世界には国ごとに差異が存在し、文化的な隔たり、地理的な隔たり、経済的な隔たりもあるが、日本の魅力であるソフトパワーの影響はこれらの地域において大きいと考えられる。

最後に、日本で最も成功したソフトパワーの事例である『ポケットモンスター』(以下、「ポケモン」という。)について検討する。

ポケモンは1996年2月に任天堂のゲームボーイ専用のゲームソフトとして販売されたのが最初である。1996年、家庭用ゲーム産業にはSONYのプレイステーションやSEGAのセガサターンといった最先端のハード端末が存在しており、当時のユーザーは映画のように表現されたビジュアルや3Dによって実現されたグラフィックなどに魅了された。一方、携帯型ゲーム機であるゲームボーイはモノクロによる画像や電池が電源となっており、プレイステーションなどと比較すると機能が大きく制限されている過去の機種であった。ポケモンの企画書はゲームフリークを設立した田尻智氏が1989年に書き上げていた。しかしポケモンの開発はしばしば中断され、田尻氏が企画書を書き上げてから5年以上を経て、シリーズ最初の作品である『ポケットモンスター 赤・緑』が発売された。田尻氏はゲームボーイの通信機能に着目し、「交換する」をコンセプトにゲームの着想を得ていた。既に時代遅れであるとみなされていたゲームボーイでの発売のため、当初は大きな期待をされていなかったポケモンである。だが、田尻氏がコンセプトとした「交換する」というアイデアは、ポケモンの「収集、育成、対戦、交換」という機能として実装され、ユーザーの支持を徐々に獲得し、口コミにより人気が広がり爆発的な大ヒットとなった。1996年当時にあった初代のプレイステーションやセガサターンは高機能であったが、現在あるプレイステーションとは異なりインターネットによる通信機能を備えていなかった。他方で、携帯型ゲーム機であるゲームボーイは小型でポータブル性に優れており、田尻氏がコンセプトとした交換するというアイデアを実現するために役立ったと考えられる。そして、現在では全ポケモン関連ゲームソフトの累計出荷本数は3億8,000万本を超えるまでになっている。ポケモンに登場するピカチュウは世界中で愛され、人気があるキャラクターとなった。

このポケモンというコンテンツを利用し、ARと位置情報の技術により新しい体験を生み出したのが『ポケモンGO』である。ポケモンGOは米国のNiantic社を中心に開発され、2016年にサービスが開始された。現実世界を歩きながら、スマートフォンに現れるポケモンを収集したりする。さらに、収集したポケモンの育成もできる。のちにポケモンの交換の機能なども実装された。現実世界に現れるポケモンを探すために、寄り道をしたり、散歩をしたりする。Niantic社のCEOであるジョン・ハンケ氏はナッジ(Nudge)と表現している。ナッジにはそっと背中を押したり、肘で軽くつつくという意味がある。2017年にリチャード・セイラー教授がノーベル経済学賞を受賞した理由はナッジ理論にある。ポケモンGOによるナッジは、人々の生活習慣を改善する力になる可能性も考えられる(Ida and Ishihara 2019)。

ポケモンによるソフトパワーは、生活習慣の改善による生活の向上という人間の安全保障にも寄与しているだろう。

3 新しい資本主義と経済

2019年に中国の武漢から始まったとされる新型コロナウイルスは、2020年に入り感染が拡大し、同年3月11日には世界保健機関(WHO)によってパンデミックが宣言された。多くの国では都市閉鎖(ロックダウン)が実施され、金融市場や経済にも大きな影響を与えた。また新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため移動の制限など私権の制限も議論された。そして、新型コロナウイルスの感染症リスクからの回復では、民主主義の限界や独裁の優位を述べる者も存在した。コロナ禍は格差の拡大と憎悪の拡大、SNSによる情報汚染、ポピュリズムの台頭により民主主義にとどめの一撃を加え、世論に耳を傾ける民主主義的な国ほどコロナで人が亡くなって、経済の失速も大きいとされる(Narita et al 2020)。

民主主義の限界も叫ばれるが、まず実質GDPの変化率を確認し、経済について概観することとしよう。下図は、1980年から2020年までの実質GDPの変化率を表したものである。

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図を確認すると、1990年代以降の日本のGDP変化率は他国と比較して低下していることが分かる。また、米国はこれらの時期を通してGDPの成長率を維持していることも分かる。米国の経済学者であるロバート・ゴードン教授は著書『The Rise and Fall of American Growth』(邦訳名『アメリカ経済 成長の終焉』)の中で米国の経済状況を描き、1870年以降の100年で起きた発明や技術革新は人間の生活や生活水準に広範な影響を及ぼしたとしている。発明や技術革新はTFP(Total Factor Productivity:全要素生産性)を改善し、GDPを成長させる。一方で、ロバート・ゴードン教授は1970年代以降に経済成長が減速したことも描いている。コンピュータやスマートフォンなどのIT機器が日常生活に及ぼした影響は1940年までの発明よりも影響力が小さかったとしている。

日本の1990年代以降の低迷はイノベーションのジレンマによっても説明できるかもしれない。クレイトン・クリステンセン教授は、従来製品の改良である持続的イノベーションと新しい価値を生み出す破壊的イノベーションの二つの側面がイノベーションに存在することによって説明する。市場のリーダーとなった企業は破壊的イノベーションを軽視し、持続的イノベーションのプロセスにより事業を成り立たせているとしている。イノベーションのジレンマを別の側面からみると、既存技術により市場を支配している企業は新技術を開発、導入しても、既存技術があるため新技術による利益が喰われてしまうと考えることもできる。これはイノベーションにおけるシュンペーター効果と呼ばれるものである。一方、新興企業が新技術を開発、導入した場合、その利益は大きくなる。また、特許の事例ではあるが、追随者は先行者が費やしたコストの平均65%のコストで模倣可能であることを発見した研究もある(E Mansfield et al 1981)。追う者の方が逃げる者より優位な場合も存在すると考えられる。

また、イノベーションにはA-Uモデル(Abemathy and Utterback 1975)と呼ばれる考え方も存在する。A-Uモデルでは縦軸にイノベーションの発生率、横軸に非連結ステージからシステムステージという工程の進化段階をとり、製品イノベーションの比率は初期の段階が最も高く、ステージが進むにつれて低下していくとしている。また、工程イノベーションは初期の非連結ステージでは低い発生率であるが、その後のステージでは発生率が上昇し、さらにステージが進むとまた発生率が低下するという形になっている。A-Uモデルにおける製品イノベーションと工程イノベーションを、それぞれ破壊的イノベーションと持続的イノベーションと見做し、スマートフォンであるiPhoneを事例に考えてみよう。iPhoneは2007年1月にApple社の当時のCEOであったスティーブ・ジョブズ氏が端末を披露し、同年6月に発売が開始された。iPhoneは携帯電話と音楽プレーヤー、インターネット機能を備えた端末であった。その後、多くの企業がiPhoneを模倣し、スマートフォンの開発および販売を開始した。革新的な製品の登場は私たちのライフスタイルを大きく変え、多くの企業はスマートフォンのためのアプリの開発やビジネスを始めるようになった。現在では当初備わっていた機能から大きく増え、また検索などの機能は日常生活に欠かせなくなっている。次世代のスマートフォンの登場も期待されているが、破壊的イノベーションは簡単には起こりそうもない。しかし、スマートフォンの機能は拡大し、たとえば金融アンバンドリングは、デジタルの力によって新しい金融のビジネスモデルを提案する。持続的イノベーションにより社会が改善されている事例であるだろう。

経済学ではジェネラル・パーパス・テクノロジーと呼ばれる幹の太い技術が存在する。ジェネラル・パーパス・テクノロジーは汎用性の高い技術のことであり、その代表例は蒸気機関であるとされる。ロバート・ゴードン教授が指摘した米国の経済成長の減速は、成熟化した社会ではテクノロジーのスピルオーバーの影響が縮小することによって説明することも可能であるだろう。経済は成長と衰退を繰り返すため、新しいマーケットを創造することによりテクノロジーの果実を大きく得ることができる。チャールズ・オライリー教授らは両利きの経営を述べ、既存事業の深化および新規事業の探索(スピンアウト)について指摘している。現状維持は衰退であり、変わり続ける国や企業、人のみが生き残る時代が到来する可能性もある。

現在、「成長と分配の好循環」と「コロナ後の新しい社会の開拓」をコンセプトとする新しい資本主義が議論されている。新しい資本主義における分配のためには経済の成長も課題である。また成長のためには民主主義を取戻し、分厚い中間層を再構築し、格差を減らすことで潜在成長率を上昇させることも重要である。これからの新しい資本主義の時代には、知識主導型のイノベーションがより重要となることも予想される。たとえば、ポール・ローマー教授が2018年にノーベル経済学賞を受賞した理由は、経済成長理論に知識を織り込み、知識の生産が社会を豊かにするとしたことにある。知識はモノと違って使っても無くならない。私たちがお米を食べれば、他の誰かはお米を食べることが出来なくなるかもしれない。しかしお米の作り方は知識として共有できる。さらに、その知識を誰かが改良して、一年中いつでもお米を作れるようにもなるかもしれない。知識の流通は外部へ好影響も与える。ヨーゼフ・シュンペーターはイノベーションを新結合であると述べた。知識やアイデアを結び付けることはイノベーションを生み、経済成長を促す。また知識やアイデアを結び付けるためには「場」も重要であると考えられる。

SNSの発達は格差の可視化や憎悪を生み、分断を大きくするとされることもある。たとえば、イーライ・パリサー氏が述べるフィルターバブルは、SNSは私や私たちが見たいものしか見ないというような効果を発生させるとする。さらに、エコーチェンバーやサイバーカスケードには、私の考え方―たとえばバイアスや偏見、差別などを増幅させるものであっても―をより強固なものとし、分断や排他性を生じさせる可能性や効果がある。しかし、SNSは負の側面だけでなく正の側面もあると考えられる。そのひとつには、スモールワールド理論があるだろう。いわゆる「六次の隔たり」とも呼ばれるものだ。六次の隔たりとは、友達の友達を介していくと6ステップ以内で世界中の人と知り合いになることができるという考え方である。

政治学者の丸山眞男は著書『日本の思想』において、西洋と日本の文化・思想についてササラ型とタコツボ型に類型化している。ササラとは竹や細い木などを束ねて作製される道具であり、台所用品の洗浄のほか、楽器や日本の伝統的な大衆舞踊の際の装身具の一部として用いられることもある。タコツボは、タコを捕獲するための壺である。丸山は、西洋は古代ギリシア、中世、ルネッサンスという長い文化的伝統の根幹を共有した上で、19世紀後半に様々な学問が開花したものが西洋文化であるとし、ササラになぞらえた。一方で、個別化や共通の根がないとして、日本をタコツボと表現している。丸山眞男が述べるタコツボ型の文化や思想は学問だけでなく、現代の日本企業や労働者などにもみられる根深い問題であると考えられる。SNSの正の側面であるスモールワールド理論はタコツボ化された日本社会を開き、デジタルの力により民主化された場を創造し、知識の生産を増してより豊かな社会を生み出す可能性もある。

知識を生産するためには人的資本への投資も課題である。2016年に総務省から公表された社会生活基本調査では、社会人の1日の勉強時間は6分であるとされている。また、リクルートワークス研究所による2021年の調査では、勉強しない日本の社会人がコロナによってさらに状況が悪化しているとの結果が示されている。日本の社会人はなぜ勉強しないのか。勉強しない理由は様々存在すると考えられるが、ここではゲーム理論を用いて同調圧力から検討してみることとする。

ゲーム理論とは、経済社会では人々が一定のルールの下でそれぞれの目的を実現しようとする一つの「ゲーム」であり、人々の意思決定は互いに影響を及ぼし合うという意味で相互依存的であるという社会認識を持つという考え方である。

たとえば、中根千枝は『タテ社会の人間関係』において、「場」の強調や、ウチとソトを意識する日本的社会構造について指摘している。ジェイムズ・アベグレンが日本的経営における三種の神器とした年功制、終身雇用、企業別組合は戦後高く評価され、1979年にはエズラ・ヴォーゲルが著書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を発表するなど、日本経済は大きな成長を遂げた。年功制や終身雇用のもとでは、同じ釜の飯を食う仲間であるという家族のような関係を企業内で作り、場の維持やウチとソトの区別をすることが効率的な経営でもあったと考えられる。しかし、これは同調圧力という空気による支配も生み、長期停滞を続ける経済下においては、衰退という囚人のジレンマに陥る結果にもなっている。

まず、誰かが現状維持から抜け出すために努力をすると仮定しよう。社会や企業のこれまでの慣習等から抜け出そうとする者は、場を壊すものとして評価されるかもしれない。一方、現状維持を選択する者は努力や変化をしようとする者に対して、フリーライド(ただ乗り)することで利益を得ようとする可能性もあるだろう。変わることが経済再生における方法のひとつであるはずが、場の秩序を維持することなどが目的となり、多くの人が変化を望まずにブラック化しているのが現在の日本社会でもあると言えるだろう。

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知識や情報は企業戦略においても重要であると考えられる。たとえば、企業内では優位な地位を占める者が情報や知識を独占することが多く、劣位な地位の者に対して情報等の格差を利用することで権力というパワーを利用することもあっただろう。これは日本社会におけるタテの関係と同様と考えられるだろう。マイケル・ポランニーが述べる言語化されない知識である暗黙知は人の日常的な知覚や学習、行動を可能にするだけでなく、倫理等を探求するための原動力となるとされる。暗黙知の形式知化は仕事を標準化することでもあり、経営の効率性を高めたり、場におけるタテの関係を見直すことにもつながる。暗黙知を形式知化するためには、野中郁次郎教授らが提唱するSECIモデルの方法を導入することも有効であると考えられる。また、知識の共有にはトランザクティブ・メモリーという視点も重要である。トランザクティブ・メモリーとは誰が、何を知っているかということであり、入山章栄氏はチャラ男と根回しオヤジのコンビが最強のタッグであるとしている。チャラ男と根回しオヤジのコンビは、タテとヨコの関係を改善する効果も期待される。

さらに、企業の外でも知識や情報は競争優位を築くための有効な戦略となり得る。たとえば、ジェイ B. バーニー教授は経営資源を(1)財務的資源、(2)物的資源、(3)人的資源、(4)組織的資源の4つに分類するが、V(Valuable:経済的価値)、R(Rare:希少性)、I(Imitability:模倣困難性)、O(Organization:組織)であるVRIOというメカニズムを用いて、企業の競争優位の源泉を分析する。企業の競争力はICT投資によるTFP(全要素生産性)の上昇にも影響されると考えられるが、令和2年度経済財政白書ではOECD諸国と比較して日本企業はICT投資が少ないことも指摘されている。さらに投資する対象である資産を広義に捉えると、知識やナレッジマネジメントも無形資産に含まれると考えられる。たとえば人的資源における経済的価値や希少性、模倣困難性は、企業の人的資本への投資による無形資産の蓄積でも変化すると考えられる。

無形資産投資の主流は1990年代以降、IT革命に対応した組織変革や人材育成であり、米国ではこうした投資がサービス業の生産性向上に大きな役割を果たしたと考えられるが、日本ではこのような分野での投資は活性化されていないとの指摘もある(Miyagawa et al 2010)。このほか、一般的に日本企業は人的資本への投資である教育訓練が少ないと言われることもある。昨今、ESGやSDGsが注目されるようになっているが、企業の社会的な側面やガバナンスの観点から知識や情報など人的資本への投資を拡大する必要性も考えられる。

GoogleやUberはアカデミアと企業の境界を超えて、ビジネスに経済学の理論を導入している。Googleなどの強さの秘密はこの学者集団であるとの指摘もある。他方、日本企業では博士の採用が増加すると生産性が低下すると示した研究もある。しかし、日本国内でも東京大学エコノミックコンサルティング株式会社(UTEcon)や東京大学マーケットデザインセンター(UTMD)、Economics Design Inc.は、経済学のマッチング理論などをビジネスに実装しようとする動きをみせている。たとえば、UTMDは新型コロナウイルスの配布をマッチング・マーケットデザインの問題として捉え、望ましいワクチン配布政策のあり方を議論している。また、星のやが有名であり、若者にも人気が高い総合リゾート運営会社である星野リゾートの代表である星野佳路氏は、経営学の教科書を実際の経営に生かしていることで知られる。日本企業の課題として、アカデミアと企業の架け橋となることが出来る人材を増やすこと、また、そのための人的資本へ投資する必要性が考えられる。

学び続けることで、強く、魅力的な企業や人を増やし、ブラック化の同調圧力を脱却することが日本経済再生のアニマル・スピリットとなる。

タコツボ化したタテ型の社会や文化はセクショナリズムを生み、協力に乏しくなる。革新的な技術等を開発するため既存の研究組織とは別に設置された独自の研究開発チームをスカンクワークスと呼ぶ。Googleに存在した20%ルールはスカンクワークス同様のものであると考えられる。同社のこのプロジェクトはGmailやGoogleニュースなどのサービスを生んだ。戦後日本の品質管理に取り組んだデミング博士によるQCサークルも、スカンクワークスとみなすこともできる。人や事業のスピンアウトや出戻りは、これから増えていくことも予想される。知識やアイデアのつながりが増えることで、生産性の向上なども期待される。

開かれた社会では知識がスピルオーバーし、知識の生産が増幅することで社会は豊かになる。また、私たち自身もより豊かにする。新しい資本主義の実現は、人を中心とした豊かな生活を取り戻すきっかけになる。

4 仕事の未来

3では新しい資本主義などについて検討したが、次に仕事の未来を考えてみることとする。

まず、2002年と比較した場合の2020年の産業別就業者数を表したものが下図である。

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図を確認すると、男女ともに建設業や製造業の就業者数の減少が大きく、医療や福祉のほかサービス産業の就業者数の増加が大きいことが分かる。医療や福祉における就業者数の増加は、日本社会の少子高齢化による影響もある。高齢化は経済成長を低下させる要因になると考えられるが、成田悠輔氏は高齢化と経済成長には大きな関係はなく、日本の問題は高齢化の問題から逃げ、仕事を自動化して効率化することを実施しなかったためではないかと指摘している。

就業者数の変化は、ロバート・ゴードン教授の著書にあるように、1970年頃までに社会の工業化が進み、人々の生活水準が大きく向上したこと。さらに1970年代以降も社会の高度化が進み、工業からサービス産業や知識産業が優位な時代が到来し、産業構造に大きな転換があった影響なども考えられる。

産業構造の転換はこれまでの時代にもあった。たとえば、英国を中心として18世紀半ばから19世紀にかけて起こった産業革命が挙げられる。産業革命における重要な技術革新のひとつは、蒸気機関の開発による動力源の刷新である。たとえば蒸気機関を応用した交通機関の発達は、余暇の消費のあり方を変化させた。一方で、労働はそれまでの手作業から機械使用が普及することとなり、失業の恐れがある労働者たちは機械を破壊し、資本家に対して機械の使用を止めさせる運動を起こした。これがラッダイト運動と呼ばれるものである。現代における技術革新のひとつにAI(人工知能)の発達があり、AIを労働に活用する動きは進んでいる。AIが人間に対する大いなる脅威として認識された出来事に、GoogleのDeepMind社が開発したコンピュータ囲碁プログラムAlphaGoが最強の棋士であるイ・セドル九段を打ち負かした事例が挙げられるだろう。近年、最も大きな注目を集めている将棋の棋士である藤井聡太竜王は、トレーニングに深層強化学習を導入しているとも言われている。そして、これまで定跡とされていた指し方以外の新たな一手を生み出す原動力になっているとされている。このように、AIは人間に対する脅威となるが、他方では人間の能力やタスクを補完する技術にもなり得る。

AIの普及は、仕事の自動化により雇用に影響を与えるとする研究もある。たとえば、2010年に米国の全雇用の代替可能性を調べた研究では、米国人の総労働者数の約47%が、今後10年から20年のうちに機械に代替される可能性が70%を超えることが推計されている(Frey and Osborne 2013)。また、労働市場において機械による自動化がある一方、他方では人間による複雑な新タスクの創出がある。そして、自動化と新タスク創出は格差の拡大に繋がり得る。また、この格差の拡大の影響は低技能労働者ほど機械との競争の負担が大きいとする研究も存在する(Acemoglu and Restrepo 2016)。

このような現代の技術革新のひとつであるAIの普及は、新たなラッダイト運動を発生させる恐れとなる。このため、新技術の普及に伴う新タスクのための訓練は重要であると考えられる。しかし、変化の速度が速く、将来の予測が困難な現代では、訓練よりも学ぶことを恐れないマインドセットを重視する必要もある。私たちはこれまで受けた教育の違いにより自身の可能性を否定している可能性もある。固定的な思考に陥るのではなく、新たなことに興味、関心を持ち、年齢や性別などに関わらず成長できるという思考や粘り強さといったグリットを持つことが生産性を改善すると考えられる(Kawanishi and Tamura 2019)。このような思考方法は、DXやデジタル人材の育成にも同様に必要である。

定型的な仕事を機械や海外労働者に置き換える定型偏重型技術変化(RBTC)は、需要が高技能職と低技能職にシフトしている。また、この影響は米国の労働市場に雇用の二極化をもたらし、不況期にはこのプロセスを加速させているとする研究がある(Hershbein and Kahn 2016)。日本の採用市場においてもコロナ禍は同様の影響をもたらし、スキルの高度化が進んでいるとの指摘もある(Okuyama 2021)。このため、新技術のためのリスキリングや職業訓練の充実は求められる。また、2020年3月から厚生労働省により職業情報提供サイト(日本版O-NET、以下「日本版O-NET」という。)が公開されている。日本版O-NETは職業の解説だけでなく、求められる知識やスキルなどの数値データを盛り込んだ職業情報を提供している。このような職業情報の提供は、Job Searchのコストを低下させるだけでなく、求職者と求人者のマッチング向上の役割も果たすと考えられる。さらに、日本版O-NETは就労困難者に対する就労支援の充実、コンピュータスキルやICT、AIに代替されないスキルの開発、育成などに活用できる可能性も指摘されている(Komatsu and Mugiyama 2021)。

戦後、社会の工業化の進行とともに育ったベビーブーマー世代の価値観は物質主義的な傾向もあると考えられるが、政治学者のロナルド・イングルハートは著書『静かなる革命』において1960年代から70年代にかけて脱物質主義的な価値観が進んだと述べている。これからの社会変革の担い手になると予想されるミレニアル世代やZ世代と呼ばれる現代の若者の価値観は、これまでの世代の価値観とも異なり、社会貢献や環境問題などに対する意識や関心が高いことも指摘されている。今後、AI(人工知能)の使用が普及することなどにより、新しい働き方を求める労働者も増えると予想される。

たとえば、2021年に調査された小学生がなりたい職業ランキングでは、YouTuberや漫画家、芸能人、ゲームクリエイター、先生などが上位にランクインしている。2021年9月、サントリーホールディングスの新浪剛史社長が「45歳定年制」の導入について提言したところ、この提言は大きな波紋を呼んだ。しかし、この提言は否定的に受け止める必要はないと考えることもできる。独学の達人としても知られ、経済財政諮問会議の有識者議員なども務める東京大学の柳川範之教授が「国家戦略会議フロンティア分科会」報告書で提唱した「40歳定年制」と同様の趣旨であると考えられるからだ。

それは、次のように解釈することもできるだろう。多くの日本人は大学の受験勉強のために勉強をする。良い大学(偏差値が高いという意味で)に入学することは、その後の就職活動などにも有利となる可能性が高い。大学なんか行っても意味はないとする議論もあるが、良い大学の学生は優秀に違いないというシグナリング機能を持つ。一方で、良い大学の学生はよく勉強しており、良い教育を受けたことによる人的資本の蓄積という面から優秀であるはずだろうと考えることもできる。教育は、シグナリングおよび人的資本に関する機能も持つ。多くの日本人は高校や大学を卒業したら企業に就職する。しかし、企業に就職したらほとんどの社会人は勉強しなくなる。勉強とは受験のためのものであり、また勉強は楽しいものではなく苦役と同様のものであると考えている人が多いからだ。しかし、現代はVUCAと呼ばれる不確実な時代でもある。企業に就職してからも学びを止めず、新しいことに挑戦することで三毛作の人生を送ることができる可能性がある。

現在の小学生はYouTuberや芸能人、先生などになりたいと考えている。これからの社会では、企業で働きながらYouTuberや漫画家として活躍するビジネスパーソンが増えることも考えられる。芸能人よりも人気があるビジネスパーソンが、世界的なインフルエンサーとして活躍する時代の到来である。企業の競争戦略ではマイケル・ポーター教授が述べる3つの基本戦略がある。それは、コストリーダーシップ、差別化、集中である。私たちの人生における競争戦略もポーター教授の3つの基本戦略のように捉えてみよう。たとえば、ある特定の分野や地域において資源を集中的に投下して存在感を高める方法もあるだろう。また、特定のニーズに対する供給で差別化を図り、「推し」による熱狂的な人気を高める方法も考えられる。さらに、複数の得意分野をつくり、それらを掛け合わせることもレアキャラ化する方法だろう。

現在の小学生が大人になった頃には三毛作の働き方が一般的になり、企業や職業という国境は無くなっているかもしれない。

ここで、ミライの仕事について想像してみることとしよう。坂口博信氏が生みの親である『FINAL FANTASY』というRPGは日本国内で最も人気があるゲーム作品のひとつであり、これまでに全世界で累計1億5,400万本以上の出荷、ダウンロード販売を達成している。同作品には中世風ファンタジーの世界観があり、魔法や化学が融合した世界が存在する。同作品にはジョブという役割が存在するシリーズもあり、ジョブには異なるアビリティが備わっている。たとえば、ナイトというジョブは物理的な攻撃力に優れ、白魔導士や黒魔導士は物理的な攻撃力や防御力は劣るが、回復や攻撃に特化した魔法を使用することができる。ストーリーを進めるためには、モンスターと戦ったりしながらレベルを上げる必要もある。現実世界と仮想世界がクロスオーバーし、同作品のようなVRゲームが実現した場合、ミライの仕事のひとつになるだろう。ミライのゲームであるこの仕事を遊ぶためには、たとえばSAOにおけるナーヴギアのような端末を利用し、ゲームにログインするためには現実世界における個人の情報(性別、年齢、職業など)を登録する。個人の情報により、VRゲーム内における能力値が異なる。職業が異なれば、ミライのゲームで使用できるスキルも異なるのだ。それぞれの職業には特徴があり、パーティーの組み方次第でミッションを攻略するための難易度も変わる。ミライのゲームで得られる暗号資産は現実世界でも利用可能となっている。2000年代に注目され、失敗に終わったとされる『Second Life』のバーチャルの世界観が、2050年にはミライの仕事として生まれている可能性もある。

それでは、これからはどのように働くことが重要であろうか。たとえば、ハンナ・アレントの『人間の条件』、ヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』の議論が参考になると考えられる。まず、ハンナ・アレントは人間の活動的生活を「労働」、「仕事」、「活動」の三側面から考察し、近代では仕事と活動が人間的意味を失い、労働の優位となっていることを指摘している。労働とは生存のための消費財の調達や生産行為である。要するに、必要性による奴隷化と考えることもできる。労働は仕事や活動の下位の概念である。アレントは公的領域である活動が多数性や差異性を規定し、人間は平等に異なる存在になることができるとしている。また、ヨハン・ホイジンガは人間活動の本質を遊びと捉え、人類の文化は遊びの中から生まれたと述べている。

日本企業の課題のひとつに、世界で最も低いと言われている従業員エンゲージメントの問題が存在する。たとえば、マネジメント理論にはダグラス・マクレガーが提唱したX理論、Y理論がある。X理論は人は本来怠け者で、命令されないと仕事をしないという性悪説に基づく考え方であり、Y理論は仕事をするのは人間の本性であり、自ら積極的に働くという性善説に基づく考え方である。たとえば、タバコ休憩が話題になることもある。タバコ部屋はトランザクティブ・メモリーを高める効果もあるとされるが、旧来型の男性優位のコミュニケーションの企業文化であり、改善も必要であると考えるが、タバコ休憩についてズルいと指摘する労働者も少なくない。タバコ休憩についてのこのようなズルいという考え方は、デスクに長時間座り続けることが―たとえデスクに座って仕事をしていない時間があっても―仕事をしているフリにもなるという我慢大会になっているのではないだろうか。ある企業がまぶたを監視して居眠りを防止するシステムを開発したことが話題となったこともある。これらは、人は仕事が嫌いで監視、命令していないと働かないというX理論に基づく考え方である。一方で、インドで実施されたRCTによると、夜間の睡眠時間を延ばしても労働生産性は向上しなかったのに対し、30分の昼寝は労働生産性を改善したとの結果もある(Bessone et al 2021)。日本企業でも昼寝の導入により同様に生産性が向上するとは限らないが、マネジメントのあり方を考える上で、参考になる事例である。また、管理の行き届いた農場ほど経営者に抑うつ傾向がみられるとする研究もある(H Kato 2021)。20世紀初頭にフレデリック・テイラーが提唱した科学的管理法(テイラーリズム)という管理の手法がある。科学的管理法は課業管理などによるマネジメントを行い、後にフォーディズムと呼ばれる大量生産・大量消費の時代へと繋がるが、非人間的な管理であるとの批判もあった。現代におけるマネジメントはデジタル・テイラーリズムを克服し、さらに人間性を回復させることが重要であることも考えられる。

たとえば、仕事をしながらコーヒーを飲んで雑談をすることもよいだろう。

さらに、人間らしい働き方をする上では、週休3日制の導入が進む可能性がある。この制度を導入するためには、Netflixのculture deckのような企業文化を築き上げる必要もある。Netflixで大切にされているテーマのひとつに自由と責任がある。トップレベルの人材であれば自分自身に対する自律性や自立性が高いため、管理の必要性は少ないという考えに基づく。これは同社における無限有給休暇制度などにも反映されている。現在、大学生の就職先の人気ランキングではコンサルティングファームが上位にランクインする。コンサルティングファームにはUp or Outという文化があるとされる。これは、昇進するか、もしくは退社するかという文化である。Netflixやコンサルティングファームのような文化は学習する組織を作り、人的資本への投資に対する考え方を改めるきっかけになるかもしれない。日本的経営における長期雇用のよさを残しながら、このような企業文化を取り入れることも従業員エンゲージメントの向上に必要であると考えられる。

スポーツチームのような企業文化を作り、遊ぶように働くことも生産性向上のためには大切だろう。世界で最もグローバル化された市場であるサッカー界では、リオネル・メッシ選手とクリスティアーノ・ロナウド選手の二人が現在の世界最高の選手であると評価されている。最高のパフォーマンスを発揮するためには厳しいトレーニングを行い、ピッチ内では誰よりも楽しく、遊ぶように魅せることが重要である。しかし、時には走ることを止めてサボることも大切だ。

5 おわりに

現代は「人新世」と呼ばれる人類の時代であると叫ばれている。人類の時代では環境や格差の問題がビッグテーマとされている。ジョン・ロールズは格差について、現在の不平等が最も不利な状況にある人々の利益に効果的に資することを要求し、さもなければ不平等は許容されないとしている。ジョン・ロールズの思想は、分配のルールを最も不遇な立場にある人の利益を最大にするというマキシミン・ルールに従っていると考えられる。マキシミン・ルールでは少数派の利益に対する考慮の可能性もあるだろう。このほか、アマルティア・セン教授は不平等についてケイパビリティ(潜在能力)の観点から検討する。ケイパビリティとは、個人が自由を可能とする機能と捉えることもできる。これは、実現可能な選択肢と実際に選択肢し実現したものという二つの概念に分けられる。人間らしく生きることができ、また、個人ができることによって人の豊かさは変わる。政治学者のアイザイア・バーリンは自由について、積極的自由および消極的自由の二つの側面から述べている。積極的自由は「~する自由」であり、自己実現などに関するものである。一方、消極的自由は「~からの自由」であり、他人に干渉されない状態を指す。

格差や不平等を別の視点からみると、能力や自由の問題であると考えることもできる。能力や自由を拡大させるためには、人へ投資し、人の成長によって得られた果実を分配する必要がある。この果実を大きくすることは、次世代にも繋がる。私たちは社会をよくしようと思っていなくても、結果的に市場を通じた行動は果実を大きくしているかもしれない。アダム・スミスが『国富論』で述べた「見えざる手」が市場では機能しているのだ。たとえば、お米をつくる人、お米を流通させる人、お米を調理し飲食店で提供する人が社会には存在する。多様性に満ちた市場では交換や取引が行われ、社会全体の果実は最大化される。しかし、この見えざる手によるメカニズムも完全ではなく、人々が助け合うことで社会はより豊かになる。

日本は1990年代以降の長期停滞から脱却できず、失われた30年と言われ続けている。これからの成長のためには何ができるだろうか。国家や現実世界と仮想世界の境界、企業や人と人との境界が失われるマルチバースの時代が到来するかもしれない。人々は世界を超えて繋がり、囚人のジレンマから脱却する必要がある。戦争と平和の歴史は、競争と協創によって塗り替えられる。

人類の時代における日本再興のために、

先進国としての誇りと、途上国としての向上心を持ち

再起動しよう!

さあ飛び乗れ!そして人新世の時代を駆け抜けよう!!Virtual Generation!


【参考文献】
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■内閣府(2020)「令和2年度 年次経済財政報告(経済財政政策担当大臣報告)」
■総務省(2017)「平成28年社会生活基本調査」
■リクルートワークス研究所(2021)「Works Index 2020」
■「グローバル・サプライチェーンは変わるのか」『経済セミナー』2021年10・11月号、日本評論社。
■「国際貿易は雇用と格差をどう変えるか」『経済セミナー』2021年10・11月号、日本評論社。
■「中央銀行デジタル通貨」(日本銀行ホームページ)
■「TwitterのドーシーCEOの初ツイートNFT、3億円超で落札 全額寄付」『ITmedia NEWS』2021年3月23日
■「ミャンマー亡命政府、仮想通貨テザーを公式通貨に指定」『CoinPost』2021年12月14日
■「イアン・ブレマー氏「GAFAが地政学の『新パワー』になる」『日経ビジネス』2021年12月16日
■「日本のマクドナルドでフライドポテトが不足、サプライチェーン危機の影響」『BBC NEWS』2021年12月22日
■「10億ダウンロード突破 ポケモンGOは世界をどう変えたのか?」『日経ビジネス』2021年10月21日
■「「チャラ男」と「根回しオヤジ」のタッグこそ、企業イノベーションの源泉だ!」『日経ビジネス』2019年9月19日
■「【深層】ウーバーの秘密兵器は、超エリートの「学者集団」だった」『NewsPicks編集部』2019年1月7日
■「日本企業、博士使いこなせず?採用増で生産性低下」『日本経済新聞』2018年2月11日
■「COVID-19ワクチンの配布計画とマッチング・マーケットデザイン」(東京大学マーケットデザインセンター、2021年1月13日)
■「社会に役立て経済学 ワクチン配布や待機児童問題」『日本経済新聞』2021年11月3日
■「星野リゾート、スノーピーク...経営の「教科書」を持つ会社はなぜ強いのか」『日経ビジネス』2021年12月24日
■「藤井聡太「人間が囚われてきた"常識"という名のブレーキを、AIが外してくれる」『現代ビジネス』2021年12月9日
■「スキル高度化へ学び直しを ポストコロナの雇用」『日本経済新聞』2021年9月24日
■「小学生がなりたい職業ランキング2021、ユーチューバーが総合1位に 僅差で2位は女子で1位のあの職業」『ベネッセ 教育情報サイト』2021年12月17日
■「違うことを「3つ」やれば、1000人に1人のビジネスパーソンになれる。安田洋祐さんに聞く、経済学者の仕事術【イベント(大阪開催)】」『ハフポスト』2019年6月21日
■「居眠りさせないオフィス開発へ まぶた監視→室温下げる」『朝日新聞デジタル』2018年7月26日
■「Netflix創業者の新著『No Rules』から学ぶ企業文化の3つの指針」『Coral Capital』2020年10月20日
■Eisenmann, T. R., G. Parker, and M. van Alstyne. "Strategies for Two-Sided Markets." Harvard Business Review 84, no. 10 (October 2006).
■成田悠輔・須藤亜佑美(2021)「民主主義の呪い:2020年の教訓」RIETIディスカッション・ペーパー ノンテクニカルサマリー。
■依田高典・石原卓典(2019)「金銭的インセンティブとナッジが健康増進に及ぼす効果:フィールド実験によるエビデンス」『行動経済学』11:132-142。
■Mansfield, E., M. Schwartz, and S.Wagner(1981)."Imitation costs and patents: An empirical study." Economic Journal, 91, pp.907-918.
■秋池篤(2012)「A-Uモデルの誕生と変遷」『赤門マネジメント・レビュー』11(10):665-680。
■岡田章(2007)「ゲーム理論の歴史と現在 人間行動の解明を目指して」『経済学史研究』49(1):137-154。
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■Acemoglu, D., and P Restrepo(2016)."The Race Between Machine and Man: Implications of Technology for Growth, Factor Shares and Employment." NBER working paper No.22252
■小松恭子・麦山亮太(2021)「日本版O-NETの数値情報を使用した応用研究の可能性:タスクのトレンド分析を一例として」JILPT Discussion Paper 21-11.
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■Pedro Bessone & Gautam Rao & Frank Schilbach & Heather Schofield & Mattie Toma, 2021. "The Economic Consequences of Increasing Sleep Among the Urban Poor," The Quarterly Journal of Economics, Oxford University Press, vol. 136(3), pages 1887-1941.
■L'Arc~en~Ciel(2008)『NEXUS 4/SHINE』

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