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【A乳児院①】初めて飛び込んだ"乳児院"という福祉の世界

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。
前回に続き、私が福祉の仕事の現場で見て、感じたことをお伝えします。

短大を卒業して、保育士として就職したのがA乳児院です。

ここで私は、人が生まれることの意味について考えさせられました。今の私の原点となる時間を過ごした場所です。

乳児院は、貧困、ひとり親家庭、若年による出産、虐待、そして親の自殺など、さまざまな理由で保護者と生活することができない0~2歳ごろまでの乳幼児の養育を行う児童福祉施設です。全国乳児院入所状況実態調査によると、現在、全国に約140か所の乳児院があり、およそ3,000名の乳幼児が生活しています。約半数の子どもが病児・虚弱児で、何らかの障害がある子もいます。

A乳児院は少ないときで10人くらい、多いときは20人くらいの子どもが生活していました。入所理由も乳児院で生活する期間もさまざまで、乳児院での生活は短期間で終わって、すぐに親元に戻っていく子どももいれば、生まれてからずっと乳児院で生活する子もいました。

乳児院で働く保育士の仕事は、子どもの生活にかかわることすべてに及びます。食事(授乳)、排泄(おむつ交換、トイレトレーニング)、入浴(沐浴)から洗濯、日中の遊びや外出、時には旅行などあらゆる活動にかかわります。乳児院の食堂で、栄養士さんが作ってくれた食事を子どもたちと一緒に食べます。子どもたちは24時間乳児院で生活していますから、保育士は交替で夜勤も行います。まさに寝食をともにする仕事です。

もともと子どもが好きだった私は、短大を選んだ時点で、将来は保育士になろうと考えていました。でも、保育園、幼稚園ではなく、乳児院の保育士を目指したのは、短大在学中、ある女の子との出会いがきっかけでした。

その子は、教育実習に行った児童養護施設で暮らしていました。貧困や虐待などの理由から親元を離れて生活をしなければいけない子どもたちの前に初めて立ったとき、「こんな世界があるんだ!」「この子たち、これからどうやって生きていくんだろう」と思いました。

その女の子は、私のことをすごく慕ってくれました。これまで自分にあったことや今の気持ちをたくさん話してくれました。教育実習が終わっても、しばらく手紙のやりとりをしていました。彼女が慕ってくれた理由はわかりませんが、「自分でも人の役に立てるんだ」と思いました。それがきっかけで、乳児院か児童養護施設で働こうと決めたのです。

そして、そのころの私はもう、「自分が子どもを産むことはない」と考えていたように思います。子どもを産み、育てるということが自分とは無縁なこと、特別なことだからこそ、赤ちゃんのために働いてみたい。そんな思いで、乳児院への就職を希望したのです。

しかし、乳児院で見た世界は、約20年間の人生で培ってきた私の考えを根底から覆すほどの厳しいものでした。今までは、この世の中で自分が一番可哀そうだと思っていたのに、まったくそんなことはない、ということを知ってしまったのです。そして、厳しい現実に生きる子どもたちと、子どもたちを厳しい現実に追い込んでしまう親、そして社会を知ったことで、それでも生きることの意味を考えるようになったのです。

次回は、A乳児院で出会った子どもたちの中でも、決して忘れることができないA君のことをお話しします。

【自己紹介もぜひあわせてご覧ください】

【前回記事はこちらです】


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