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【子ども時代のちーちゃん12】女性として生まれたことに感謝し、女性として生きることをやめた成人式の日

このnoteでは、LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。
男性になりたいという思いを持ちながらも、「なれないならば女として生きていくしかない」と思っていた私。ついに20歳を迎えます。そして、ある決意を固めたのですーーー。
※これまでの【子ども時代のちーちゃん】の物語はこちらのマガジンから

恋愛対象になるのは中学、高校とずっと同性の女性。でも、その「好き」という感情は、女性が女性を好きになっているというよりも、男性として女性を好きになっている感情に思えてしかたない……自分がトランスジェンダーであるということをまだ知らない短大時代の私が、唯一、「この人なら女性として恋愛感情を持てるかも」と思ったのが、Zくんでした。

しかし、Zくんと過ごした一夜は、私に「自分は、女性として男性を好きになることができない」という事実を確信させるものでした。Zくんとの一夜をきっかけに、私は「女性」として生きていくことはやめようと決心しました。

男性との恋愛に夢中になる同性の女性たちを見て、私も同じような気持ちになれるのかもと考えたことはありました。トランスジェンダーという存在についてまだ理解できていなかった私は、自分を同性愛者かもと思うこともありました。でも、私の心は女性ではなく男性に思える。身体は女性なのに。

いったい自分は何者なのか? この疑問を抱えながら、もしかしたら男性を好きになれるかも、もしかしたら「普通」の女性になれるかもといろいろ試してきました。でも、「治った!」とも「勘違いだった!」ともならないことがZくんとの時間で明らかになったのです。

女性として生きていくのはやめよう、私はそう決意しました。女性として男性を好きになろうとするのはやめよう、お化粧や高いヒールの靴、女性らしい服装はやめよう、と。

とはいえ、男性として生きていこうと決意したわけではありませんでした。自分の心が男性であるという確信もありませんでしたし、ホルモン治療などもまだ考えたことはありませんでしたから。ただ、女性として生きていくのはやめようと決意したのです。

女性として生きる最後の日として選んだのは、成人の日でした。成人式での振り袖姿を、母に見せてあげたかったのです。成人式を迎えられるのは産んでくれた母のおかげであり、そのことに素直に感謝の気持ちを伝えたいと思いました。小さな頃から「私のフランス人形」とかわいいドレスをたくさん買って、私を着飾ってくれた母が、最も喜んでくれる姿で成人の日を迎え、「女の子として生んでくれてありがとう」という気持ちを伝えようと思いました。

すでに父と離婚していた母は、「自分は結婚には失敗した。結婚なんかするものじゃない」とよくこぼしていました。ただ、その際にこう付け加えました。「子どもは産んだ方が良い」。その言葉を聞く度に、私はきっと男性と結婚できないし、子どもを産んで母に抱かせてあげることもないのだろうと、母に対して申し訳ない気持ちになっていました。男性ではなく女性を好きになる自分、花嫁姿を見せられない自分、孫を抱かせられない自分、世の中で「普通」「当たり前」と言われることをしてあげられないことを、申し訳ないと思いました。

だから、せめて成人式では振り袖を着ようと思ったのです。振り袖を着ることで、自分が少しでも親の期待に応えられること、ありがとうという気持ちを伝えられることは、私にとっても意味のあることでした。

振り袖に合うようにアップヘアにした私に、母の友人が振り袖を着付けてくれました。母はその様子をずっとそばでニコニコしながら見ていました。着付けが終わると、母が運転する車に乗って、親戚やお世話になった人のところに成人の日を迎えられたお礼を言いに行きました。母はとてもうれしそうでした。そして、私も、母を独り占めしている満足感を味わっていました。母が「きれいね」「かわいいね」とつぶやく度に、母が自分だけを見てくれている喜びを感じました。

図1

成人式の日の私

振り袖姿になることにそれ自体に対して、苦痛や嫌悪感を感じることは、意外なほどありませんでした。成人式が終わり、自宅に戻って着替えて、夕方からは中学校、高校の仲間と遊びました。女の子たちはみんな着飾っていました。私も彼女たちと同じように着飾って出かけました。みんなと同じように1日を楽しんでいるという喜びを味わっていました。女性として生きる最後の1日を謳歌していました。

夜通し遊んで、朝帰りして、目を覚ましたのは昼過ぎでした。振り袖をクリーニングに出すと、「女性として生きなければならない日々がこれで終わった」とホッとしました。初めて「女の子」として母の期待に応えることができた。母もそれを喜んでくれた。だからもうこれで終わりでいいのだ……。

振り袖に合うように伸ばしてきた髪は、その日のうちに短く切りました。そして、女性らしい服、靴は全部捨てました。

〈次回からは、性同一性障害の診断、ホルモン治療、そして性別適合手術について私の経験をお話しします。noteは、5月11日(水)から再開します。
4月20日は特別編でDAIKIの今をUPします。また、それまでは時々、twitterで過去の投稿を振り返りたいと思います。
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