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【特別編】私がカミングアウトできた理由

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。
高校卒業を目前に控えたある日、私は、仲良しの同級生に「私が好きになるのは男性ではなく、同性の女性であること」「ただ、好きという気持ちは、女性として同性を好きになっているのではなく、男性として異性を好きになっている感覚だと思っていること」を初めてカミングアウトをしました。今回は、「カミングアウト」という行為について私の考えをお話しします。

性的マイノリティが自分の性自認や性的指向を自らの意志で明らかにする行為は、一般に「カミングアウト」と呼ばれています。私にとって初めてのカミングアウトは高校3年生の時。相手は、親でもきょうだいでもなく、また恋人でもなく、何でも気兼ねなく話せる友人C子でした。

当時、女子高生として日々を過ごしていた私が、「自分が好きになるのは同性である女性だ」「その好きという気持ちは、男性が女性を好きになる気持ちなのだと思う」と、C子に打ち明けることができたのは、彼女が2つの点で信じられたからだろうと今は思います。

それは「私の存在を否定しないこと」、そして「私の秘密をほかのだれかに勝手に明かさないこと」です。

女性として生まれてきた私が女性を好きであるという性的指向。そして、自分は女性としてではなく男性として、好きという感情を抱いているという性自認。どちらもC子にとっては「普通」のことではありませんから、彼女が私の告白に驚くかもしれないなとは思いました。でも、驚いたとしても、否定はしないだろうなと信じていました。

自分とは違うもの、普通ではないものを、すぐに受け容れられなかったとしても、否定はしない。これはとても大切なことです。

私のようなトランスジェンダーをはじめ、性的マイノリティにとってカミングアウトは命がけの行為だと言われています。それはカミングアウトが性自認、性的指向という、個人のあり方についての告白だからです。

私のカミングアウトに対して、C子は「驚いたけど、私に言ってくれてありがとう」と言ってくれました。自分とは違う存在をすぐに理解したり、共感することはできなかったとしても、否定はしない。それが「言ってくれてありがとう」という言葉になったのだと思います。だから、私の初めてのカミングアウトは、成功したのだと思います。

では、カミングアウトの失敗とはどういう状態でしょうか。例えば、「うそ! 気持ち悪い!」といった言葉が返ってきたとき。あるいは「そんなのあなたの思い込みだよ」という言葉が返ってきたとき。言葉のトーンは違いますが、どれも相手の存在を否定する言葉だからです。

繰り返しますが、「自分と違う」ということに、驚いたり、戸惑ったりするのは私は当然のことだと思います。でも、驚いたり、戸惑ったりしても構わないけれど、否定はしないでほしいのです。

しかし、現実には、性的マイノリティの存在を否定するような言葉を耳にすることは少なくありません。私自身、「あなたたちトランスジェンダーは、間違って生まれてきた存在なのだ」と言われたことがあります。

C子は、私の存在を否定したりしない。心の中でそう信じていたから、私はC子にカミングアウトできたのです。逆に言えば、自分の存在を否定されないという信頼、安心感がなければ、カミングアウトなどはできません。カミングアウトは、だれかれ構わずできるものではないからこそ、カミングアウトを聞いた人が「私の秘密をほかのだれかに勝手に明かさないこと」が重要になるのです。

カミングアウトに関する私の経験と考えを、次回もお話しします。

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