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【児童発達支援センターB園13】新しい自分への一歩を踏み出す

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介もぜひご覧ください)
児童発達支援センターB園の最終回となる今回は、性同一性障害へ具体的にどう向き合ったのかをお話しします。
★★これまでのB園の物語はこちらのマガジンからご覧いただけます★★

身体、知的または精神に何らかの障害のある子どもたちが通う児童発達支援センターB園で保育士として働いていた私は、初めて自分以外のトランスジェンダー(性同一性障害)当事者と出会ったことをきっかけに、GID外来(GIDはGender Identity Disorderの略。性同一性障害のことです)の受診にたどり着きます。そして、性別適合手術を受けることを念頭に、男性ホルモンによる治療を開始しました。

男性ホルモンの効果を実感するまでの期間は人それぞれです。私の場合、投与開始1か月くらいで生理は止まりましたが、外見に変化が現れ始めたのは1年くらい経ってからでした。

男性ホルモンの副作用の問題がクリアし、そしてお金が貯まれば、性別適合手術になります。戸籍も「長女」から「長男」へと変更しますから、女性として雇われた私は、男性として雇い直してもらうことが必要です。

私は、園長先生に、GID外来を受診し、ホルモン療法を開始したこと、将来的には、性別適合手術を受けようと考えていることを打ち明けることにしました。

勤務時間後、園長先生と二人でファミレスに行き、カミングアウトをしました。園長先生は「そうじゃないかなと思っていた」と特に驚いた様子はありませんでした。ただ、私の今後については、園長先生は「心配だ」と率直に思いを口にしました。

私のいたB園を運営する社会福祉法人はとても大きな組織で、たくさんの人が働いていました。園長先生や同じクラス担任の保育士は私のことを理解し、受け止めてくれていました。しかし、今後、いろいろな人たちとB園で働く中で、女性から男性へと変わっていく私を、だれもが受け容れることができるだろうか、と。

園長先生は、「田崎さんのことをよく知らない人、性同一性障害について知識がない人の中には、あなたを受け入れられず、心ない態度をとる人がいるかもしれない。ここで働きながら性別を変えるよりも、職場を変えた方がスムーズなのではないだろうか」と言いました。

B園での仕事はとても楽しく、同僚にも恵まれていましたから、B園を辞めることを考えると本当に悲しい気持ちになりました。しかし、ホルモン療法によって次第に外見が男性らしくなっていく中で、変わらずB園で働き続けることを私が心の底から求めていたかと言われると、そういうわけでもありませんでした。

私のことをよく知らない同僚や保護者にいちいち自分のことを説明するのは大変だろうなとも思っていました。また、「保育士は女の仕事だ」「自分は男になるのだから男らしい仕事をした方がいい」と、当時は自分の中にジェンダーバイアスがあったのも事実です。

なにより、治療を始めたばかりのころは、生まれ持った身体の性を変えようとしていることに対して、「悪いことをしているのではないか」と罪悪感に似た感情を抱いていました。自分の性を変えることで、いろんな人に迷惑をかけるのではないか。そもそも、やってはいけないことをしているのではないか。性を変えてまで生きてはいけないのではないか……トランスジェンダー(性同一性障害)について知識も理解も乏しかった当時、そんなふうに思ってしまうことも、正直あったのです。やはり、生まれてきた時の性を変えるのは怖かったんです。

性別適合手術を受けることは私自身の決心です。しかし、その気持ちはまだまだ揺れ動くものでした。こんな状態で、今までと同じ職場で働き続けるよりも、思い切って環境を変えた方がいいのではないか。私は、園長先生に退職の意思を伝えました。B園に来てちょうど1年が経つころでした。

この先、どうやって生きていくことになるのかはわからないけど、ずっと抱えてきた心と身体の性の違和感を解消する見通しは立ったのだから、これからの日々を前向きに考えようと思いました。

同僚の保育士や保護者を前に、退職の挨拶をした時、私は「心機一転、新たな人生を歩きます」といったつもりでした。でも、数年経ってからあるお母さんに「田崎さん、退職の挨拶で、『紅一点、新たな人生を歩きます!』って言うから、自衛隊みたいに男性が多くて女性が少ない仕事に転職するのだとみんな思っていた」と言われました。「紅」じゃない色に変わろうとしていた最中だったのに、すごい言い間違えをしてしまったものです。

27歳でB園を辞め、その後、私は、31歳の時に性別適合手術を受け、身体を心の性(男性の性)に近づけました。そして、今も福祉の世界で働いています。

次回から、時計の針を大きく巻き戻して、子ども時代の自分を振り返ります。母親から「私のかわいいフランス人形」と愛された「ちーちゃん」の成長について、そして少しずつ心の中で大きくなる「私はほかの子とどこか違う」「私は何かが変だ」という思いについて、お話ししていきます。

B園の物語を最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

※「子ども時代のちーちゃん」編として、11月17日から再開します。


【B園編ご覧いただきありがとうございました! こちらのマガジンにすべてまとまっています】

【前作A乳児院編もどうぞ】


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