【児童発達支援センターB園12】自分以外のトランスジェンダー当事者との初めての出会い
このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介もぜひご覧ください)
前回に引き続き、児童発達支援センターB園についてお話します。ここで私は、性同一性障害である自分自身と向き合い、具体的に歩み始めるのです。
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26歳のときに異動した児童発達支援センターB園での経験は、福祉の世界で働く私の土台となりました。B園で働かなければ今の私はなかったと思います。
B園では、私のその後の人生を決定づける大きな出来事もありました。自分以外のトランスジェンダー(性同一性障害)当事者との初めての出会いです。
その頃、私には「彼女」がいました。彼女は、私のことを、身体は女性でしたが男性として受け容れてくれていました。その彼女のお姉さんが、私と同じトランスジェンダーの当事者でした。彼女はすぐに私をお姉さんに会わせてくれました。
心と身体の性が一致しない人が、自分以外にもいる。しかも、こんなに身近に……私にとっては人生が一変するような出来事でした。
お姉さんと話す中で、私は、心と身体の性が一致しない状態を解決するための今後の道のりを理解していきました。男性ホルモンを打つと身体がどう変化するのか、それはどこの病院でやってもらえるのか。性転換手術はどこで受けられるのか、戸籍の性別はどうすれば変更できるのか……これから何をすればいいのかが初めてわかったのです。
それまでの私は、心と身体の性が一致しない自分の状態を見て見ぬふりをしていました。それは、普通の人と違うことを受け容れることが怖かったからではありません。受け容れたとしても、その後どうすればいいかわからなかったから、自分についてできるだけ考えないようにしていたのです。心は男性だけど、身体は女性。とても違和感はあるけれど、どうしようもないこと。しょうがないことなのだ、と。
ところが、自分以外の当事者と初めて出会い、情報を得たことで、そんな状況が変わり始めたのです。この先どうなるのか、どうすればいいのか、どうやって生きていけばいいのかが見えてきたことで、ようやく私は「性同一性障害」という事実を受容する準備ができたのだと思います。
お姉さんとの出会いを経て、私は早速、GID外来(GIDはGender Identity Disorderの略。性同一性障害のことです)に予約をしました。
当時、GID外来は今よりももっと少なく、予約から初診まで数か月かかりました。GIDの診断を確定して、性別適合手術が行える医療施設も限られていました。
ちなみに、2018年4月から、日本では、性別適合手術や乳房切除など性同一性障害の手術に対する健康保険の適用が開始されています。しかし、保険の適応を受けるためには数の限られた認定医療機関で診察を受ける必要があり、予約から初診まで1年以上かかるという話を聞いたこともあります。
また、性別適合手術の前に、ホルモン療法を開始し、自分が望む性に身体を近づける人もいます。ただ、日本では、「性同一性障害」という疾患に対して投与が認められたホルモン製剤が存在しないという理由から、ホルモン療法は自費で受けなければなりません。ところが、混合診療禁止の規定によって、性別適合手術の前に、ホルモン療法を開始すると、保険適用による手術が受けられず、全額を自己負担しなければいけなくなるのです。
ホルモン療法は性別適合手術の後も長期間必要になります。不可逆的な性別適合手術を行う前に、ホルモン療法を先に開始して、副作用の有無などを調べることは本来認められてよいことではないでしょうか。
GID学会によると、公的医療保険の適用が始まってからの1年間で、保険が適応された性別適合手術は、わずか4件にとどまったそうです。社会としては「性同一性障害」の治療を、認めているようで認めていないように私は感じます。
B園で働いていた当時の私は、100万円を超える手術費のめどが立っていませんでしたが、ホルモン療法を始めることにしました。人生が大きく変わる中で、私はB園での仕事について1つの決断をします。次回はそのことについてお話しします。
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