【児童発達支援センターB園②】障害があっても見えてくる「自分らしさ」の輝き
このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介もぜひご覧ください)
前回に引き続き、A乳児院から異動を命じられ、勤めることになった児童発達支援センターB園のことを中心にお話しさせてください。
児童発達支援センターのB園には、身体障害、知的障害、精神障害などさまざまな障害のある2歳から6歳の子どもが毎日通園してきます。いわば、障害のある子どもたちの幼稚園です。
乳児院での仕事は養育、つまり、さまざまな事情で子どもと生活を共にすることができない保護者に代わって、子どもを育てることでした。児童発達支援センターでの仕事は療育、つまり、障害のある子どもが将来支援を受けながらも自立した生活を営めるように支援することです。
児童発達支援センターに通うすべての子どもには、何らかの障害があります。肢体不自由、自閉症、ダウン症、初めて聞くような内分泌疾患のある子どももいました。食事1つとっても「この子は全部刻んで」「この子はお皿を投げるから前に置かないように」など、一人ひとり求められる対応が違います。
療育では、そうした子どもたち一人ひとりに合わせて個別支援計画を作り、療育内容について月案、週案、日案と細かく作成しなければなりません。障害に関する理解を深め、支援の専門技術を向上させるためには勉強も必要です。最初の1か月は、今何をすれば良いのか、そもそも自分には何の知識が足りないのも分からないまま時間が流れていきました。毎朝、出勤するのが苦痛でした。
しかし、子どもたちと接するうちに、一人ひとりの個性が少しずつわかってきました。例えば、自閉症の子で、話しかけてもスルーで、あまりにかまいすぎると怒ってしまう傾向がある子がいました。最初はどう接すればよいかわからなかったのですが、毎日かかわるうちに「この子は、こういうときに怒る」「こんな時間が好き」と、「その子らしさ」がわかってきたのです。
障害のある子どもたちですが、障害のあるなしにかかわらず、一人ひとり個性は違う。保育者の思った通りの反応が来るとは限らないし、保育者の働きかけがすぐに変化や成長につながるわけではないけれど、でも、一人ひとりは個性、「自分らしさ」の持ち主だと気がついたのです。
いつしか私は、「今日も早くあの子たちと会いたい」と毎朝の出勤時間を楽しみに思うようになりました。ここでも、私を支えてくれたのは子どもたちでした。私はやっぱり子どもが大好きなんです。
障害のある子どもたちの「自分らしさ」に感動する一方で、新しい職場であるB園では「私らしさ」について悩むことが増えていきました。
A乳児院では職員は女性ばかりでしたから、仕事をする上で男女の区別が発生することはありません。力仕事も子どもの世話もみんなで同じようにします。そして、トイレも男女共用でした。
ところが、B園は職員の3割くらいが男性。重い物を運んだりするときには「男の先生、来て!」、室内の飾り付けなどをするときには「女の先生、お願い!」と声がかかります。そのたびに、私は「自分はどっちだろう?」といちいち考えてしまいました。そして、更衣室やトイレも男女別。共用の時には単なるトイレだったのに、男性トイレ、女性トイレと分けられると、トイレを使う度に「どっちに入る?」と尋ねられているような気がしました。
B園に異動した当時、私は、身体的性別と性自認が一致しないことを、人に知られてはいけないことだと思っていました。自分は悪いことをしているわけではない。だけど、このことはずっと隠しておきたい。まだ、性同一性障害についての知識も乏しく、当事者に会ったこともなく、身体的性別と性自認の不一致を周囲に知られたくないと思っていた私にとって、男女の区別が頻繁に起こるB園の毎日は決して楽ではありませんでした。
障害のある子どもたちの自分らしさ、心と体の性の不一致を抱えた私自身の自分らしさを考えたB園での日々を、次回も振り返ります。
※私が「障害」を「障がい」と記さない理由は、こちらをご覧ください。
【A乳児院での物語はこちらです!】
【仕事を通じて考えていることを以下にまとめています】
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