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空が泣く季節


偏頭痛が音沙汰もなくやってくる日が増えてきた。嫌な予感という音沙汰がないだけで、週間天気予報に映る傘のマークでだいたいは把握できるけど、「気圧くたばれ」なんて罵声を心の中で唱えるだけに留めるので精一杯。
雨の日は、朝起きたときから憂鬱で仕方がない。



天気が感情を左右しているのが癪に障るという変なプライドだけが根強く成長してしまった。あと一ヶ月もすればもう一つ年を重ねるのに、他にもっと成長すべきところはあったんじゃないかと自問してみるけど返事はない。遅めの反抗期かもしれない。
だったら、このプライドだけでも守ってあげないと、というかこれさえ私から排除してしまうと何も残らなくなるんじゃないかという恐怖が勝った。だからこうして今、雨の日を楽しく過ごす方法を探っている。



雨の何が嫌なのかを考えてみた。
まずは、濡れること。風が吹けば、どんなに大きい傘でも四方八方から飛んでくる雨の攻撃には敵わない。水たまりの地面をどんなに頑張って避けて歩いても濡れてしまう靴下を想像するだけでうんざりする。
あとは、空から落ちてくる雨が涙に思えて仕方がないこと。白と黒の配合を変えただけで、大きく言えばグレーでまとめられる色をする雨の日の空は、悲しみを連想させる。そこから落ちてくる水は、涙を思わせる。



どこかの誰かが流している涙と悲しみを空が代弁しているみたいで、私は「梅雨の時期だから雨がよく降る」という一般論で看過できないでいる。「なんで泣いてるの?」と毎回思って、知らないうちに自分事のように悲しくなってしまう。自然の摂理に感情移入してどうする、お人好しを超越してしまっているから困ったものだな。



ただ、雨は決して悲しみの総量が投影されているだけじゃなかった。
去年行った神保町ブックフェスで『雨を、読む。』という本に出会っていたのを思い出した。ちょっと不思議な日本語のタイトルに惹かれて買ってみた。そして、買ったまま積読として約半年も眠らせてしまっていた。

装丁も中身も魅力的
イチコロでした…


この本には、雨に纏わるたくさんの言葉が詰まってた。春夏秋冬に降る雨の名前、雨が入ることわざなど、聞いたこともない雨でいっぱいだった。
たとえば、

”空に知られぬ村時雨”
急に流れた涙のことを、「村時雨」にたとえた言葉。時雨の中でもとくに「村時雨」は、ひとしきり強く降って通り過ぎていく雨のこと。
粋な照れ隠し。

佐々木まなび 『雨を、読む。』 p126


この「粋な照れ隠し」の部分を読んで、頬がぽわーっと赤くなるのを感じた。一体何があって、どんな感情を隠そうと思ったのだろう。私は、照れ隠しを恋情的なものとしか結びつけられなかったけど、本当にそうかもしれないと思った。



他に、梅雨は梅雨でもこんなのもある。

“青梅雨”
木々の青葉をより鮮やかに、色を濃くして降る雨のこと。
「青」の言葉には「若いという意味での青い」も含まれている。

同上 P40


雨は邪魔ばかりするものだと思ってた。外出の予定を帳消ししてしまい、時間をかけて整えた身なりを一瞬にして台無しにしてしまう。
けど、雨があることで何かがより鮮明に映し出されることも、あるのかもしれない。
下を向いてる自分を映し出しているのも、雨粒がたまってできた水たまりだった。水たまりがないと下を向いている自分にすら気づけない。



空は泣いてなんていなかった。
今年の梅雨は、雨が降る度にこの本を開いては、今日はどの雨なんだろうと探して、妄想に耽る楽しみが増えた。雨が降るのが待ち遠しいなんて思ったこと、一度もなかったのに。
明日は雨予報だ、この偏頭痛も少しは許せそう。





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