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時系列のない日記


時系列が皆無の日記になってしまった。






嫌いなものの本質発見

食べ物の好き嫌いがなくなったのはいつからだろう。幼い頃は、ナスとパプリカ、牡蠣、レバー、肉の脂身が嫌いで仕方がなかった。食べ物が紫色ってどゆこと??と思ったり、ほんのちょっとの脂身さえも嫌すぎて、小学生のときに給食で牛丼なんて出た日には、昼休憩中も泣きながら食べていた。今では好んで食べないにしろパプリカとレバーは食べれるようになったし、ナスなんて大好物になった。これが大人になるってことならば、案外ちょろいもんだ。



それでも私の中には、まだ嫌いなものがあった。幽霊とゴキブリと自然災害はいつになっても嫌いだ。というか、もはや恐怖で仕方がない。最近は特に、地震が多くて嫌になる。震度1の揺れでも机の下に隠れるぐらいなのだから。地震が起こる度に母に電話をかける癖もある。今地震があったという報告以外に何も伝えることはないし、揺れは電話が繋がる前におさまることがほとんどなのに、恐怖のせいか、脊髄で動いてしまう。
南海トラフというワードは以前から聞いてはいたけれど、本当にやってくる兆候が見え始めると全身が竦む。もう少しで香川にある島への旅行なのに。その間に南海トラフが来るかもと考えすぎてしまった。そのせいで、島に行く船に乗ろうとしているときに津波に襲われる夢を見てしまった。正夢を一度見たことがあるから怖くなって、島ではなく香川本土だけの旅行に急遽予定を変更することになった。



危機を避けられないという点で、自分にとっての嫌いなもの認定がされているのかもしれないと気づいた今日は、穏やかな一日だった。




『夜明けのすべて』を観た

『夜明けのすべて』をネトフリで観た。本屋に立ち寄ったときの正面棚に"映画化決定"と並べられていたのは知っていたけれど、映画も観に行かず、本も読まず仕舞いだった。「ちょっと観てみるか~」程度で見始めた午後2時。めちゃくちゃ良かった。



まず、映像のフィルターと光の入れ方が大好きすぎた。少し粗くてフィルムっぽい感じが、この世界観を生み出しているなーと。話の内容もすごく好きなやつだ。男女が登場してくるとき、恋愛関係に発展するパターンはあまり好みではない私にとっては、刺さるものがあった。
痛みや苦しさの根源は違えど、それらを感じる強さは同じ。だからこそ、寄り添うことや理解しようとすることができる。同情や共感による繋がりより、もっと強固で揺るがない線で繋がっていた。そんな彼らが、輝いて見え始めたときには冗談抜きで心臓が揺れた。ほんとに。
あと、なんと言っても周りの人たちのあたたかさ。これに尽きる。




生きる糧は「金」か「本」か

明日から実家に約2週間の帰省が始まる。今までは「帰省まであとバイト〇回!」とカウントダウンをしていたのに、もうそんなことしなくても毎日ちゃんと生きてたら帰省する日がやって来ることを知った。どこまでも親のすねかじりで貯金の切り崩し生活で情けない。派遣バイトで使った分だけ稼ぐプラマイゼロ生活には限界があるのかもしれない。



それでも本を買ってしまう私を誰か止めて欲しい。本屋にふらっと流されるように吸い込まれるように立ち寄ってしまう。書店員さんのポップが新しくなってること、この前まであった本が正面棚にはもうないこと、夏のフェア本が一面に並べられていること。来る度、同じ本屋でも、全く違う本屋に出会うことができる。
今日は、ド正面に夕木春央の『方舟』の文庫が置いてあった。友達が面白いとおすすめしてくれた本で、ブックオフで探してたけど未だに買えていなかった。文庫化したなら買うしかないっしょ、と3秒で手に取った。そのあとは、大好きな朝井リョウの本を1冊と大学の図書館で借りようと思っていたのに先を越されて夏休みに借りられなかった坂口安吾の『堕落論』を手に取った。中々借りようと思わない類いの本(だと思う)から借りた人とお話ししたいと思った矢先、耳をすませばみたいなアナログ貸借システムではないことに肩を落とした。デジタルアンチ。



コスメやスキンケアには最低限しか費やさず、服も年に数着新調するだけなのに、本にはあっさりこっくりお金を使ってしまう。本がないと生きられない。私にとっては生きる糧なのだろう。どれだけバイトで稼いで貯金をしようとも、私の中の幸せの総量は変わらない。そこに費やしたとき、そしてそれを手にしたときにのみ、”生きてて良かった”という実感とともに幸せの総量が増えていく音が聞こえてくる。






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