対話と僕⑪:「送り手」と「受け手」の問題Ⅲ
・はじめに
前々回は「送り手」について、前回は「受け手」について書いてきた。
今回は両者に共通して必要なことを書いていきたいと思う。
その前に前回加筆したそれぞれに必要なことを書いておこうと思う。
改めて上記を意識しながら今回のテーマである「両者に共通していること」を整理していきたいと思う。
・両者に共通していること:矢印を相手に向ける
学術的な知見を意識して身に付ける「送り手」としてのスタンス、実践を通じて徐々に培っていく「受け手」としてのマインド。
いずれにも共通して言えることは「矢印が相手に向いていること」だと言えるのではないだろうか。
自分の言いたい事を「提案」という形で伝える前に相手の「前提」や「含み」を掘り下げてみる。
相手が受け取りやすいように配慮しながら異なる意見や批判的思考を伝える。
相手の生煮えの意見や自分と違った価値観を理解するように努力する。
自分と違う意見であっても理解したうえで受け入れられる寛容さを身に付ける。
聞いてほしいなら先ずは自分から聞く、相手の意見や考えに矢印を向けて深掘りするところから始める。
人は自分に向けられる好奇心や興味関心には好意的な反応を示す(≒承認要求etc.)場合が多いので、相手が話しやすい環境を作ることができる。
また、以前も触れた返報性の原理からすると相手に矢印を向けることは相手の為になる事はもちろん、最終的には自分の意見を受け入れてもらう事にも繋がるのである。
・両者に共通していること:相手への興味関心
前述の「矢印を相手に向ける」が意識して実行するタイプなのに対して、この「相手への興味関心」はマインドセットのような概念だと言える。
これは前回の『対話と僕⑩:「送り手」と「受け手」の問題Ⅱ』で述べた二つの概念と似た性質を持っていて、実践を通じて徐々に身に付けるものだと考えられる。
もっと言うと、対話の場において「矢印を相手に向ける」を繰り返していると自然と「相手への興味関心」に昇華してくイメージだ。
これを身に付ける為には「違い」の価値を認識する必要があるのだが、それには「違い」に触れる機会を増やす必要がある。
今までの流れを汲んだ表現をすると「違い」に触れることを繰り返す事でその価値を認識し、それを体験する為に相手が持っている自分との「違い」を掘り下げるのである。
つまり、自分の体験の為に相手に矢印や興味関心を向けるのである。
・両者に共通していること:「自分の為に」を意識する
マネジメントやコミュニケーション関連のビジネス書を読んでいると「相手の為に」という文脈で語られるケースが多いように思える。
「相手の為に」傾聴する、「相手の為に」肯定する、「相手の為に」受け入れる。
国民性と言ってしまうと月並みな表現になってしまうが、誰かに尽くす事が良しとされている風潮を肌で感じた事がある人は多いはずだ。
僕の経験上こうした考え方は大切だとは思うが、どうしてもスタンスで止まってしまいマインドまでは落とし込めないと思われる。
マインドと乖離しているスタンスを保とうとするとどこかで無理が生じる。
聞いてあげたのに、肯定してあげたのに、受け入れてあげたのに。
無意識的に抱えている「理想の反応」からかけ離れた反応が現れれると、矛先が相手に向いてしまう。
そうなると意識していたはずの「相手の為に」とは真逆の反応をしてしまうのである。
こうやって書いてみると今まで書いてきたような「対話」に必要なモノとは、誰かのために「対話」するというよりは「対話」自体が自分にとって価値があるものという認識を持つことなのかもしれない。
そうした意識が結果的に「相手の為」なるのではないだろうか。
こういった考え方は心理学者であるミハイ・チクセントミハイが提唱した「フロー体験」の要素として掲げている「自己目的的」という概念に似ているかもしれない。
「自己目的的」とは行為の先にある報酬ではなく、行為の達成自体が目的であるという事である。
つまり「対話」の結果得られる報酬に期待するのではなく「対話」自体を目的として取り組むという事だ。
矢印を相手に向けることで他者に興味関心を向けることを身に付け、それによって得られるモノに価値を感じる。
そしてそれを体験することができる「対話」という行為自体が価値のあるモノになっていく。
・書籍紹介
今回紹介したい書籍はケリー・マクゴニガル著の『スタンフォードの自分を変える教室』である。
自己コントロールのために必要な知識やノウハウを心理学をベースに実験等の実践知と共に説明されている。
悪習や感情が発生してしまうことは仕方ないという前提のもと、それを無理に抑え込むのではなく自覚して冷静に見つめる事が重要とされている。
また、人間の本能として将来の大きな報酬より目先の少ない報酬を選択してしまうといった特徴も述べられており、実践的な概念も述べられている。
個人的に非常に響いたフレーズは『「思考」を抑えつけず、「行動」だけ自制する』である。
これはここまで述べてきた「受け手」と「送り手」そしてその両者にとって必要なモノに通ずるものがある。
・最後に
三回に分けて「受け手」「送り手」「その両者」に必要なモノを書いてきた。
これまでの内容を踏まえて改めてまとめておきたいと思う。
こうしてまとめてみると、徐々に自分の中の「対話」というモノが整理できてきた気がする。
相変わらずまとまりのない散文的な文章なのはご愛敬だが、アウトプットを繰り返す事で見えてきたものがある気がしている。
自分が「対話」に何を期待しているのか、何が得られたのか、何が必要だと思っているのか、色々と言語化したことで新たに気付いたこともあった。
もう少しアウトプットを続けてみてから全体像を整えたモノにしていきたいと思う。
引き続き暖かく見守ってもらえると嬉しい。
ご意見ご感想も是非。
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