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わたしのこと

「noteに登録して4周年です!記念バッチどうぞ!」っていう通知が来てました。

バッチはいつもらっても嬉しいよね。

「わー、4年間何ひとつとしてnoteを書いていない・・・。」ということに気づきました。別に書かなくても良いのですが、せっかくなのでわたしについてダラダラと書いていこうと思います。

わたしは熊本県のあさぎり町というところで育ちました。
小さい頃は何故か国旗の絵本を擦りまくってました。国旗大好き芸人です。今でも国旗を見ると、8割位の精度でどこの国か言い当てることができます。(密かな特技です)ただ、首都と県庁所在地を覚えるのは苦手でしたし、今も苦手です。。

アンティグア・バーブーダの国旗。色使いが良い。

そしてもう一つ大好きなものが有りました。それが特撮です。

幼い頃の私(昭和じゃないよ、平成生まれだよ。)

ウルトラマンティガ・ダイナ・ガイアという平成ウルトラマンシリーズが始まっているにも関わらず、うちの母親はなぜか初代ウルトラマンや、セブン、帰ってきたウルトラマンなどのクラシックウルトラマンシリーズをたくさん見せてくれました。(理由は謎です。)
仮面ライダーも同様に初代仮面ライダーから、V3、ストロンガーなどのVHSをひたすら見せてくれました。(理由は謎です。)
おかげでわたしにとってのウルトラマンは「胸につけてるマークは流星」だし仮面ライダーは「迫るぅ〜ショッカー」なのです。

小学〜中学校の9年間は、がっつりいじめられていました。頭も悪く運動もできなかったですし、みんなが面白いと言っているものがつまらなく感じており、話も合わずハブられていました。
最近になってようやく「あははぁ!わたしが小中学校で勉強や運動ができなかった理由はこれですぅ!早生まれだったからなのです、ハンマーカンマー」と生年月日のせいにして落ち着いていますが、当時全てにおいて出来損ないだったわたしは、生きることに関してまったくやる気がなかったのです。

そんな「恥の多い生涯はまだ送っていませんが、絶賛人生絶望キャンペーン期間中です、はい。」という小学6年生の時に、テレビでブルーハーツを観て「わお!これはすごい!これがいい!これをやりたい!」と衝動が走り、ギターを買ってもらいました。ギタレレみたいなやつでした

ブルーハーツが救ってくれました。入信してそろそろ20年くらい経ちます。

友達がいなかったので、家に帰るとギターを弾いて、ひとりごとをひたすら言いながら小さいフィギュアで遊び、またギターを弾いて、週末になると国分太一さんのラジオにはがきを書いて送り、読まれたら発狂し、またフィギュアで遊び、たまにギターを弾くという日々でした。
気がつくとひとりで遊ぶ癖が勝手に身に付いていました。ひとり遊びが得意でした(今も得意です。)
ひとりぼっちだったので、劇団ひとりに勝手に同情し、応援していました。初めて買ったエフェクターはルーパーでした。多分これもひとりで擦りまくるためだったのかなと思います。


勉強ができないよ.com
中学生の時の成績の悪さは異常でした。両親が教員なので「勉強しろ!」と耳にタコとイカとエイができるくらい言われていましたが、めっちゃ勉強した(つもり)の理科のテストで 19点/100点満点 を叩き出し、普通高校に通うことを断念。地元の商業高校に進学しました。
こうやって書くとわたしの進学した商業高校は偏差値が低いように見えるかもしれませんが、その通りです。35くらいかな?まあ今となっては別にどうでもいいのです。というか偏差値ってなに?
商業高校での成績はオール5でした。別に何も頑張ってないのです。嫌いな理科と数学は週1コマしかありませんし、世界史の授業はルネッサンスだけで1年費やす最高の学校でした。なにより商業科目である簿記会計が楽しかったです。情報処理科目であるコンピュータパチパチ!電卓カタカタ!楽しかったです。おすすめの電卓は👇これです。

高校での成績がいいもんだから調子に乗って大学に進学したのですが必修科目である英語がマジで意味わからなかったのです。
結局ミュージシャンになる!と(無茶を)言って大学中退後はそのまま上京しました。
上京して夢のために生活を始めたつもりが、気づいたら生活のために生活をしていました。
貧乏は楽しい
わたしの好きな人達は皆口を揃えて言っていました。西村賢太さんとか、人間椅子の和嶋さんとか。「宝石のような日々だ。」と言っていました。

西村賢太さんの作品はどれもとてもおもしろいですよね。最近読んだのは「どうで死ぬ身の一踊り」です。


そんなに貧乏ってのが素晴らしいのなら、、と思ってわたしはそれに飛び込んでみましたが、現代の貧乏って本当に地獄でした。
みんなある程度お金は持っていました。マジ貧乏の人って少なくて。みんなオートロックに住んでました。
お金がないって最高に嫌でしたが、今思えば電気ってマジで止まるんだなぁとか、ロウソクって明るいんだなぁとか、人の金で食う寿司ってめっちゃ美味いなぁとか、いよいよ水も止まっちまったぁね、未払だもの みつを
とかいい経験になりました。

貧乏は地獄でしたが結局「いい経験」と綴っちゃうあたり、すでに宝石のような日々になりつつあるのかもしれません。
きちんと宝石に昇華したら高山質店に買い取ってもらおうと思います。2万円位になるといいです。

そんな地獄の東京生活は2年ほどで諦め、熊本へ帰ってからは、なんやかんやありまして←(急に端折った。また気が向いたら書きます。)
今はなんとか楽しく幸せに生きています。

2023年は少しずつポロポロと書いていけたらと思います。

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