なっとく、誰とく
(1パック目)
2010年4月から2012年3月まで、県東京事務所に勤務していた。
その頃、東日本大震災で被災した方々が東京近郊で開設された避難所に避難されていたので、避難所を訪問し「困りごと」や「要望」をお聞きして、本庁に報告するという業務にも従事した。
ある避難所でお話をお伺いした際に、
「いろいろ支援していただき、助かっています。ただ、納豆が食べられないのが残念です」
との話を受け、心の中で叫んだ。
(俺も納豆が食いたいよー。もう、しばらく食べていないよ)
福島県民にとって、納豆がソウルフードであることを実感した瞬間だった。
当時、あまり話題にならなかったと記憶しているが、電力不足に対応する「計画停電」のために、納豆工場が操業できない状態が続いていたのである。おそらく「一定時間温めて発酵させる」必要があるのに、電力供給が止まるため、温める時間が確保できなかったのだろうと考えている。
今は、当たり前のように納豆があることに感謝。
(2パック目)
企業の創業者による「自伝ビデオ」を観ていたところ、駆け出しの頃のエピソードとして
「結婚はしたものの、当時は、おかずを買うお金が無いから、毎日のように1パックの納豆と1個の卵を二人で分けて食べていたよ。今でも、納豆卵ご飯が好きなんですよ」
と笑顔で話す姿に、
「納豆卵ご飯が幸せを感じる食事なんだ」
と考えた。
一流企業の社長として美味しい、贅沢なご飯も食しているだろうけど、奥さんと二人で食べる「納豆卵」を幸せと感じることを羨ましいとも思い、敬意を新にした。
(3パック目)
昔、横浜に「野毛」という飲み屋街があり、名物店と一つに「武蔵屋」という居酒屋があった。
【のれん無、ちょうちん無、看板無、メニュー無、コップ酒3杯まで】
というスタイルで、69年間経営を続けた名店である。
横浜にいた平成初期に時々お邪魔させていただいた。当時は最初に出されるツマミが小鉢に入った納豆だった。
チビチビと納豆を食しながら、熱燗を啜る。その次は湯豆腐。3杯目のツマミは漬物だったろうか。
一度だけ、女性を連れて店を訪問した。
店は魅力的だったと思うが二度目は無かった。
2015年7月31日で営業を終えたことをネットニュースで知った時は、僕の青春というページが閉じられてしまった気がした。
(本文ここまで)
ということで、お読みいただきありがとうございました。
勘の良い方は、タイトルを呼んだ時から既にお気づきと思います。
「なっとく 誰とく」の真意が「納豆食う、誰と食う」にあると言うことを。
そして、さらに勘の良い方は
「また、めいさんに被せてきた」
ということをお気づきかと思います。めいさんにバレないようにリンクは埋めません。ちなみに、「めいさん」だけではなく「凡筆堂さん」から繋がる納豆ネタなので「3人目として3パック」にしたところです。
読者の方に「面白い」と感じていただけるかはわからないですが、書いていて楽しかったです。めいさん、凡筆堂さん、ありがとうございました。感謝申し上げます。
そして、このような楽しくて自由な場を運営しているnoteスタッフに感謝して
#何を書いても最後は宣伝
今日はkindle作品ALLで宣伝です。今月は、かなり読まれていません、売れていません。自分では2冊購入しました。
けど、みらっちさんから、温かい感想をいただくことができました。みらっちさん、感謝申し上げます。
そして、このような体たらくにも関わらず、福島太郎は「文学フリマ東京36(5月21日)、文学フリマ岩手(6月18日)、文学フリマ大阪11(9月10日)」に出店を予定しています。
お近くにお住まいの方、遊びに来ていただけたら嬉しいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
納豆も納得も無いとは思いますが、文学フリマの会場では作品説明(裏話)ができたら嬉しいです。