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ノマドランド('20・米)【“流浪の民”として生きていくという信念の決断】

リーマンショックの影響で居住地を失い、愛する夫も亡くした60代の女性ファーン。そんな彼女が選んだのは、キャンピングカー(バン)に乗って国中を回り、季節労働をしながら生活費を稼ぐという“ノマド”(現代の遊牧民、車上生活者)としての生き方だった。土地や現地の人間関係にとらわれない、ファーンの自由に満ちた旅の行方を描く。

金融危機や社会保障の問題など、資本主義社会にはびこる様々な影響を受けてしまった高齢者たち。そんな彼らが選択した(あるいは選択せざるを得なかった)“ノマド”としての生き方。
本来人は「家」に住み、そこで交友関係、仕事、家族との生活など発展させていくわけだが、ひとつの場所に留まれば留まるほど負担も増える。接する人やものが多ければ多いほど、関係が深くなればなるほど、それは喜びにもなり苦しみにもなるわけだ。「家」を失うことはとても辛いことである一方で、ひとつの土地に留まらないことでそういった“背負わなければならないもの“は最小限になり、ありのままの自分を保ちながら生きることもできるようになる。ありとあらゆる人生の喜びや悲しみを経験し、あえてその土地に捉われずに“流浪の民”として生きていくという選択をした彼らの決断を思うと胸が熱くなった。
本作の出演者のほとんどが役者ではなく実際のノマド、さらに撮影方法も実際に彼らの旅につき添って移動しながらだったという事実にも驚き。出てくる人すべての言葉や表情が切実なのはそれが理由、鑑賞後も思わずそれぞれが歩んできた人生に思いを馳せてしまう。

フランシス・マクドーマンド扮する本作の主人公ファーンもまた同じ。劇中で「ホームレスじゃなくて(単に)“ハウス”レスなの」と答えるシーンがあるが、“家を持たないこと”は決して恵まれていない、劣っているなんてことはなくて、彼女の人生における信念に基づく選択。そんな彼女の1年(冬からまた次の冬まで)にまるで観客も同行しているかのような、リアリティ溢れる映像体験だった。
Amazonでの段ボール封入の仕事や清掃員、キャンプ場の用務員など様々な仕事を続けながら、ネバダ、カリフォルニア、アリゾナ、サウスダコタ、ネブラスカ、そして諸事情で再びカリフォルニア…と旅は続く。土地に縛られない、と言っても、旅の道中でさまざまな人々との出会いもあって。「さよなら」じゃなくて「また会おう」と言い合える、ファーンと同じく旅を続ける人々との出会いはどれも尊いものばかり。彼女を包容力たっぷりに癒す存在リンダ・メイとの交流も印象深い。
中でも特に異色な出会いともいえるデイブとの交流は、本作のキーとなるエピソード。演じるのはジョージ・クルーニー監督作他での活躍も目立つ、いぶし銀俳優のデヴィッド・ストラザーン。抑えた演技がフランシスとの相性も抜群。

人は何かを失って初めて何か新たな発見をする、とよく言うが、旅の過程でファーンが目にする自然の数々は彼女にとっての大きな発見の一つ。ゼロに近い状態になったからこそ、ありのままの自然の雄大さだったり美しさに気づかされ、それとの調和を考えさせられるのかもしれない。クロエ・ジャオ監督の映像の切り取り方はどれも本当に息をのむ景色で、心癒されるばかり。

もちろん彼らと同じ状況にはないので100%共感した、なんておこがましくて言えないけれど、彼らの生き方に触れてみて自分自身のこれからの生き方についても深く考えさせられる、そんな作品。
それにしてもフランシス、目と背中だけで全てを語ってしまう素晴らしい女優さん。

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