毒律独捕
テレビというとものは、弱っているときにつけたくなるものだ。
普段独立独歩を美徳としている私でも、岐路に立つ際には神経をすり減らしてしまい、なにかにたよりたくなってしまう。
普通であれば、友人、家族、恋人等々自分が心を許せる人間と話を交わし心をやすませる。
しかし、独り、一人、ひとり、でと決意して暗い道を楽しみながら歩いてきた私は今さら振り返ることはできない。
それは私の20年を否定することであり、つまりは根幹がなくなると言うことだからだ。
そんなわけで、私は一人テレビをつける。
ニュースの表現を嘲笑い、ドラマの演出に冷め、バラエティに笑い、音楽に心を酔いしれる。
たまにはいいものである。
そう思えたらしめたもので、その頃にはいくぶんか気持ちは晴れ、後ろを向いてしまいそうな自分を律し歩き始める。
毒律独捕
毒で律し、独りに捕らわれる。
変わることはないけれど、決して囚われてはいない。
そう思っている。
別に白馬の王子様なんて来てほしくもないのだけれど。
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