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【嫌なこと】は、あえて言語化する

私は普段、毎日のやること、やったこと、あったこと、考えてること、引っかかったことなんかを全部1冊のノートにまとめて書いている。

前は手帳と思考やアイディアのノートその他に分けてたけど、1冊にまとめた方がいいと気づいたので、ノートを手帳とメモと日記にしている。

手帳や日記を書く時に、割と重視してる事として「ネガティブな事と向き合う」という作業がある。

たまに日記に愚痴や悪口や不満しか書かない人がいたり、逆に「良いことしか書かない」ていう所謂「感謝日記を付けましょう」みたいなポジティブに全振りのタイプがいたりするけど、どっちかに偏りすぎるのは自分には合わない。

自分の中の「憎しみ、ネガティブ、嫌な感覚」を再確認だけし続けるのって、不幸を確認して「やっぱりそうだ」て言ってるみたいでイヤだし
「嫌だ、辛い、悲しい」を無視してポジティブポジティブやってると、心の中に閉じ込めたネガティブが暴れそうで怖くなる。

私のノートには、嬉しいことや楽しかったことは必ずハートマーク付けて書いてあるけど、なんかモヤっとしたなと思ったときのことや、嫌なことがあった時、嫌いな人のこともかなりな文量で書いてある。

ネガティブなことはガッツリ書いてあるけど「嫌だなぁ」で終わらせずに「なんで嫌なんだっけ?」とか「じゃあ、何ができるか、これからどうして行けばいいか」まで掘り下げて終わるようにしてる。
そこまで分解していけば、嫌なことは大体もうそんなに嫌じゃなくなってることが多い。

同じテーマについて何度も考えることもあるし、別の嫌なことが前々からのテーマに繋がることもある。
すぐに正解にたどり着くものばかりでは無いけど、ちゃんとそれに向き合ったという事実だけで心が楽になることもある。
すごく長く恐れてたことが、何も怖いことではなかったと気づけることもある。

ネガティブ感情には必ず理由があったり、知るべきことがあったりすると思う。
そこに目を向けることで自分の心の扱い方がわかってくる。
今まで重たくて黒くて嫌なものとして自分の中にあった色んなものが、ちゃんと向き合うことで正しく整理されて、ただ嫌なだけのものではなく「役割があって生まれたものなんだな」と分かったりする。
見たくなくても、ちゃんと見てみると変わることもあると思う。

人間、下手に沢山考えられるが故に面倒なことも多いけど、言語化することで幾らか生きやすくなる気がしている。

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