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人は忘れるし変わるし死ぬから残しておく

絵を描く時の素材にするために、押し入れの奥にし舞い込んでた昔の写真を出してきてアルバムに纏めた。

昔カメラマンと長く付き合ってたことがあったし、自分でもカメラを持っていたので、写真はたくさんある。しかもちゃんと現像した写真。
それと、無くなった母親の家にあった写真も。

写真て「確かこんなの撮ったな」と記憶していても、時が経って見返すと全く違って見えたり、新しい発見があったり、完全に忘れてることがあったりする。

現像されて物として残ってる写真は、出てくると半強制的に「見る」ことになるけど、データだとそうはならないよね。
最近は、現像して物として写真が残してあることって少なくなってきてて、データのままスマホやPCやクラウドに置いてあることが殆どだけど、そうなると「残した本人が見に行かないと見れない写真」てのが大量にできるわけだ。

現像した写真てのは、失敗したのや気に入らなかったのも残ってて、それを後で見返すと思うことがあったりする。
データは、消してしまえばもう二度と誰も見ない。

あの時「いらない」と思った写真が、何年後かに「大切な思い出」になることもあるだろうにね。

データしかないと、誰かが亡くなったあと家から写真が出てくることもない。
その人のスマホやPCに入らないと見れない。
データが飛んだり、パスワードがわからなかったらそれまで。

母親が無くなった時、たまたま見つけた記念写真の写りが良かったからそれを遺影にした。
来た人みんなが「良い写真だ」て褒めてくれた。
母の家にデジカメもあったけど、その中を見るのは気が引けたからそのまま捨てた。
デジカメの中の記憶は、もう誰の中にもない。
物として残ってたからすぐに持って帰ったけど、データだったらゴタゴタの中で全部消えてただろう。

物で残しておくリスクってのもあるけど、物で残ってるから良いこともある。
物で残ってるから思い出せることもある。
物で残ってるから手に取れるものもある。

人の記憶ほど曖昧なものは無いから、思い出すための何かはちゃんと物として置いといた方が良い気がした。

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