イエスの借金

イエスの借金

こちらの転載https://www.facebook.com/100002534089583/posts/4648675561893534/

債務ヒエラルキーや通貨主權、租税貨幣論なども絡むので、MMT現代貨幣理論の触りくらいは知らないと、もしかしたら意味不明かも?
ちなみに以下の内容についてですが、私はクリスチャンではなく、専門の教育も受けてなく、うろ覚えで書いてることも多く、あくまで不遜な妄想のたぐいですのであしからず。


何故神殿前の両替所で暴れたのか?
カエサルのものはカエサルへ、神のものは神の元への意味は?
主の祈りの真意は?
イエスの背負った罪とは?

答え:外貨建ての租税債務

解決法:イエスの名義にして公式に死んだ事にしてチャラ


癒し手として知られるイエスは、人の痛みを我が事として身に受けてしまうために、他人事としておけなかったので、癒して回ったのだろう。

さて、人を最も苦しめ、命を蝕むのものの一つが、払う事の困難な債務である。

癒し手のイエスが、それを見過ごしたろうか?

そうとは思えない。というか、そうではないと言える記録上の傍証がある。

アラム語でアバとか、ホーバーという言葉は、負債、債務とか罪を意味する。罪人は、債務者という意味となる。
イエスが人々のホーバーを負うというと、普通は人々の罪を背負う、という意味で捉えられるが、、、罪を背負う?
まあ、辛さを身に受ける、というのは、あると言えばあるし、実を言えば分からないでもない。
が、もう少し卑近な、分かり易い負い方もある。

人々の負債、借金を肩代わりするという事。
これは現代でもある事だし、人々の生活を改善させるし、心も救う。
そして、伝えられている言葉と矛盾しない。

何故イエスは人々の借金を肩代わり出来るのだろう。

カナの婚礼の様子から察するに、豪族である事は間違いない。生まれたときに海外から使節が来るあたり、おそらく王族と考えていい。

何より、最後はユダヤ人の王と、ピラトに太鼓判を押されている訳だし。ヘロデも王の正統性はイエスだと知ってるから幼児のうちに消そうとしたのだろうし。

まあ、当時のイスラエルはローマの属国でピラトが総督なので、イエスが王族としても既に権力はないが、しかし権威や信用はある。なので、イスラエルや周辺の人々の債務の名義をイエスに書き換えても、貸主、この場合はローマの徴税官や、間に立つ金融屋はすんなり応じられただろう。

ところで、債務というが、何の債務、どう言う理由の借金で、どこの通貨か?
カエサルのお金、つまり、ローマの通貨だろう。
イエスも言っている、カエサルのものはカエサルへ、とは、ローマの通貨の意味。

ローマ通貨立ての、何の債務なのか?
租税債務である。

ユダヤ王国は、元々は、自国の発行するユダヤ通貨での課税であったろうが、ローマの属国後は、ローマの通貨で納税したのでは無いか。

属国なので自国通貨の発行権、通貨主権を奪われてる訳ですね。

属国になる前は、ユダヤ王国の自国通貨を使ってたはずです。それをローマの通貨で納税しないと行けない。
でも、持っていない。持っているのはユダヤの通貨。

ならば両替すればローマの通貨で納税出来るのですが、、、

問題は両替のレートです。
既に無い国のお金は、それはもう、レートは低くなる訳です。

それこそ、かつてその通貨を発行していた王の息子としては、強盗に掠め取られたと言いたくなるほどに。しかもそれが神殿(父の家)で行われる。

当時の債務の取り立ては、金がなければ家畜や妻や娘を取り立てるのだろうから、それは深刻な話に違いない。

という事でイエス激昂して両替屋で大暴れするわけです。
人の家を使って、人の作ったお金を、外国の金と二束三文で両替するとか、いい加減にしろよと言うわけです。

なので、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返せ、とは、ローマの通貨はローマに突き返して、自国通貨(天にまします父なる神、つまり亡くなった先王の発行したユダヤ王国の通貨)を返せ、と言う事でしょう。
見方を変えると、通貨主権を返せと言うこととも読めます。

現実には属国である以上、通貨主権は返してもらえず、ユダヤの民は、保有金融資産、元自国通貨を、ローマの通貨と酷いレートで両替され、したがって、ローマへの納税に足りなくなり、そのままだと、実物財産(土地や家畜や妻や娘)を取られる。

このままでは、人々、元国民が苦しむ。

そうだ、その租税の、滞納してる未払い債務、俺(イエス)の名義にすればいいじゃん。そしたら、民も救われる。

という事です。

でも、背負った借金、どうやって返すのか?
自国通貨なら発行すればいいが、ローマの通貨は他国の通貨なので発行出来ない。

そこでイエスはどうしたのだろうか?

いくら王族で信用あるとはいえ、イスラエル中の滞納額を払えるほどでは無い。
一件一件、肩代わりして行ってる内に、流石に徴税官も、これは支払い能力超えてるのでは、と気がつく。
取調べに来る。

実のところ、イエスはそれは織り込み済みだし、ユダを通して徴税官の動きも分かっているし、むしろユダを通して徴税官に情報を流している。捕まえに来てくれないと、その後の仕掛けに進まないのだ。

ロンギヌスに話は通しておかないといけない。

十字架刑とは凌遅刑で、死に至るまで数日は掛かる。
しかし、イエスは昼ごろに十字架に掛かって、午後3時ごろには降ろされている。

イエスは大工なので、身体は頑丈な筈で、数時間で事切れるとは考えにくい。

槍で脇腹を刺されて、死んだと判定されただけ。

さて、公式の刑で、公式に死んだ事になった以上、相続人がいなければ、イエス個人の債務はチャラである。
ジュビリーである。

年老いた母はいるが、息子を失った母の債務含めた財産放棄は認められただろう。
子供は将来取り立てられると困るので、存在は隠したかも知れない。
とは言え、大工が脇腹刺されてずっと寝たきりとも思えないので、数日で出歩いてるだろう。

主の祈りの、政治的解釈

御国がきますように。 みこころが天に行われるとおり、 地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの食物を、 きょうもお与えください。 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、 わたしたちの負債をもおゆるしください。 わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。

国と力と栄光は、かぎりなくあなたのもの。

何故、食べ物の次に負債(訳によっては罪)が出てくるのか違和感があったが、通貨主権の事を言ってると考えれば、自国の食料生産と自国の通貨発行(と租税免除)が出てくるのは自然だし、祖国防衛への加護の段落に繋がるのも自然だ。罪と訳すから変なのだ。

祖国を取り戻す誓いの台詞なのだ。

まあ、名も無きケア労働者のつぶやきです。

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