エッセンシャルワーク✕MMT=ケアニューディール(改)

ケアニューディールは、2020年に発表したやつを、手を変え品を変え表現し直して発表してます。今回は2023年の日本ベーシックインカム学会の年次大会で発表したスライド。
ええと、実は昨年の年次大会の発表の『持続可能なUBIの条件』https://note.com/taomorohoshi/n/n6d5d754ae753 と や、「声を出せない人の部屋から問いかける」https://note.com/taomorohoshi/n/n6eb8477453de と大体方向性は同じなんですが、2020年の最後の方でやった、実物リソースの制約による命の選別の許容論への反論を、再度やってる感じです。そこを強調した。何でかと言うと、発表の数日前から、やたらとTwitter(X)で、子育てと医療介護のトレードオフが煽られてまして、ええ加減にせえよという気持ちでした。
なので、二日くらいで内容をかなり戦闘的に作り直して、そのまま発表に。全然時間おいて整えてないので、ぶっちゃけ粗いし荒い。あんまり荒いので少しはトゲをなくそうというのが、色々混ぜた各見出しに伺い知れます。
本当は、2020年の「ケアニューディール」https://note.com/taomorohoshi/n/n022e9aa48349 で立ち入れなかったというか税財源論という迷信による予算調達の困難さをひとまずの理由に上げてお茶を濁した、〈なんでケアは無償や安いのが当然だという扱いなのか〉を詳しめにやるつもりだったのだけど、まあそこは「魔女たちを見よ〜負債と性差と資本主義」https://note.com/taomorohoshi/n/n4cb3a84e2e60 でやったから、命の選別(とそれに結果的に流される真面目なふりして実は不真面目な財政論)への反撃の狼煙の性格を強くさせた。
ご笑覧下さい。
各スライドには、気が向いたら補足コメント付け足すかも。



エッセンシャルワーク✕MMT=ケアニューディール
うん、これ以上なんか説明イルカ?てかんじね。タイトルで全部表してる。
なお、(改)というのは、発表直前にかなりスライドの内容作り変えたから。何でというと、直前にまたしても命の選別を正当化する風潮をTwitter(X)で立て続けに見たから(なんか誘導してる人達がいるのかと邪推するほど、短期間に複数見た)。諸星怒りの発表。


こまけえことはいいんだよ!
と言ってしまいたいお気持ち。特にMMT部分。まあソコソコ細かくも論じれるんだが、それやると30分で足らんから(この発表、質問時間含めて30分制限でして)。
ぶっちゃけ、Care New Deal の3語で十分よね。


はい、似つかわしくない物騒な言葉が出てますね。
まあこれ、ケア責任の分担より、費用の支払い責任を論う風潮への、反撃の狼煙なんですよ。悉く認識が転倒してる。
ケアは経済のついでじゃなくて、ケアがなければ経済も社会も存在し得ない、て話です。


ケアとマネーでケアマネ〜
はい、ケアマネさんの賃金問題が放置されて久しいですが、そのことではなくて。
依存するっていうより、寄生なんですよね。資本主義のケアとの関係は。


また語呂合わせ。。
ところで、制度政策を考える国会や省庁が悉くケアレスマンモデルでして。
そらケアとか置き去りにされますよ。だから躓く。挙げ句、頭の上にギリギリのバランスで保ってる荷物を、なんか持たないとあかんかなって、ジェンガ引っこ抜くみたいに手を出して、全部崩壊させそうな始末。
ちなみに、そんなケアレスな国会にとてもケアを必要とする三人を送り届けた政党がありましたね。あれ程の改革はそうそうないんじゃないでしょうか。


あんあんペイペイやかましわ!
企業内賃労働と、家庭や地域内無償労働、ぐらいの意味で。
ペイドワークが低賃金化すると、生活の必要をアンペイドワーク(まあ例えば家庭菜園で食費節約、とか。遠いけど特売日にチャリ漕いで買い貯め、とか。捨てようかおもてた洋服、夜鍋して繕う、とか。)を増やして乗り切る、そうせざるをえなくなるのだが、それは大体女性のダブルワークでカバーされる。しかし女性を疲弊させ、その姿を見る娘は、家事育児と仕事の両立は不可能と心に刻まれる。


今回、このタイトルが言いたいが為、てのが半分くらい?
ケアの逆襲です。
ガンダムの、逆襲のシャアが浮かんだんですよ。言葉だけ。アニメの内容はよく知らん。ごめんなさい。
ともかく、一日が24時間しか無いという基本的な事を忘れてる。24時間をペイドワーク中心に費やせば、アンペイドワークに費やす時間は無くなる。生活の足し算引き算が出来てない、というか意図的に忘却している。
忘れたふりした宿題から逃げることは能わず、あとから襲いかかってくるんだ。


酒と泪と〜みたいな、急に浪花節が。
元々は、ここの内容がメインのはずだった。土地、共有地の囲い込み独占、私的所有の不正義を、みんなに土地からの成果物配って是正、てのは、魔女裁判で完成した女性の囲い込みという不正義の是正には弱くないか?という。あと先進国のBIで消費する商品をこれまで通り途上国から収奪(外部不経済)して調達するなら、それ不正義の拡大やん?ていう。
ケア責任の再分配と途上国先行のBIでないと不正義は正されないのでは?という話。
あとね、社会保障系の女性の活動家や学者乃方々の中でもBIに賛同する人はいるのだけど、なんとなくね、自分たちが割を食ってるのは変わらないけど、それよりも皆のために、っていう、自己犠牲が背景にあるBI肯定論な気がするんですよね。
それをほっといて、MMTで財政制約クリアしたからBI行ける!みたいなのは、なんか、申し訳ない気持ちになる。


見てくれ。

あ、写真はオイラ撮影です。
資本主義の展開段階で、女性が収奪され、魔女裁判で家庭内に押し込まれ、ケア責任の烙印が押された。
そうして労働者の生命再生産を家庭に無償で丸投げした。ここが資本主義の本源的資本蓄積だが、、、別に国家は金融的資本を蓄積する必要はない。なぜなら自らそれを発行する主体だから。
にも関わらず、ケアを市場化して、買い叩いてる。そうすることで、国家が蓄積すべき生産資本を失っている。
なおここのタイトルは下記から。
https://note.com/taomorohoshi/n/n4cb3a84e2e60


成田何とかといい、よくわからんインフルエンサーといい、実物リソースには限りがあるんだから、ジジババはよ死ねよ論が、若者や子供たちを口実に正当化されるのろくでもない。
それって中東の悲劇と何が違うん?て。
あとね、一度でも生命の選別を肯定したら、選別せざるを得ないと思ってた理由が理由足り得ないと分かっても、認められなくなる。認めたら単なる誤解で人を死に追いやった、単なる人◯しの加担者になっちゃうからね。認められなくて、正当化するために、選別を拡大するよね。


負担って、働く負担?支払う負担?
支払いは国の通貨発行で良いよね?
インフレは労働者に金払われてるなら影響は軽いでしょ。
労働の負担も支払いの負担も求めるのはおかしいんですよ。
よくある社会保障の図で、高齢者を現役世代が支えてる図、あれは2つの負担を混同している。支払い負担なら、下にいるのは現役世代でなく、国会議事堂や日銀の絵でいい。
労働の負担なら、高齢者も実は下にいる。
訪問ヘルパーの四人に一人は65歳以上です。



こういう本のチーズのあったよね。内容忘れたけど。
実物リソースを問題視するなら、まずブルシットジョブ無くしてからでしょ、というはなし。なんぼ生産性上がっても、それがバベルの塔の建設に使ってんじゃ、意味無いよ、ていう事。
関西万博がいい例ですね。万博(のフリしたカジノ)への積極財政でお金も人も資源も費やして、ケア(道路の白線という通行人への配慮)は放置して緊縮財政。


まあ、Uber Eatsはほんとはエッセンシャルワーク寄りなんで、ブルシットジョブとは言いにくいんだけど、ヘルパーもUber Eatsも、どっちも個人宅訪問するからね。並べて論じやすい。ほんとはヘルパーとディーラーを比べたい。
子育てか、高齢者か、リソースをどちらに割くべきか、どちらか口減らしするか、、ていう、誰かの必要を無視して誰かの必要を兪戦フル化、必要をどう付け替えるか、て論じる前に、誰かの欲望に応じてるリソースを必要を満たすことに切り替えようよ、という事。
五体満足な金持ちをさらに楽させるために、五体不満足な困ってる人に我慢させろ、ていう話以上のことにはなってないですよ。


部屋とワイシャツと私〜
バブルの頃、お立ち台でジュリアナでヒャッハーしながら、ハンセン病患者に断種強要してた国です。
高度経済成長の最中、ビルがあちこち立つ最中、障害者はバス一つ乗れやしない。
バスの前に身を投げ出して、ようやくステップが改善した。別にその頃財政破綻も何もないですよ。余裕あったって何もしやしないんです。余裕がないから出来ないってことでもない。


財政赤字で政策行うのは受け容れられ難く、非実現的、ていう論調もあるが、いままでそれしかしてないですよね。自動化して人手不足解消しないとリソースが、ていう論調も転倒してる。なんであれができなきゃこれができないとハードル上げたがるのか。必要を満たすことへの財源はやたらクソ真面目に問う割に、欲望への支出にはさほど抵抗もせず流されるんだよね。
乱暴されてる女性を助ける度胸は無いくせに、女性が被害届け出そうとしてきたら、レイプの様子を根掘り葉掘り聞かないと動かないみたいな感じ。


見出しが滑ってるよね。だから足元は大事なのだ!!(山田花子とハイヒール・モモコとロンドンブーツを混ぜた感じにしたんだが、あまり意味はなく勢いで。説明する恥ずかしさよ)
ドラえもんの四次元ポケットはまだ無いですよという話。
無いんだけど、コロナ禍の10万円給付の前例があるから、BIはやろうと思えば、直ぐにできる。お金以外何も用意しないうちに。
だから危うい。


坂田師匠リスペクトです。ちゃんと見たこと無いんですけど、子供の頃から知ってはいるんですよね。例のセリフ。
で、よく政府債務の話になると、これ以上の債務は金融市場の混乱を招くから何だかんだと、市場に忖度し始めるんですが、、、
まさに当の金融市場なるものは、あのセリフを言う小さいオッサンなんですな。
そんなものに気を使って、国民の幸福のための政策を諦める必要はありませんよ。

ケア、という何かと、経済学、という何かは、なかなかうまく噛み合わないのだけど、噛み合わなくてもどっちも大事で、多分その2つを上手く整理して表現できると、世界は分裂せずに持続可能な未来に向かえるだろう、ていう希望的観測と、後は介護の仕事の自画自賛。
日本ベーシックインカム学会の年次大会での発表の割にBI要素少なめ、あっても慎重論なのですが、とは言え全く否定というわけでも無いのです。
一見交わらないものほど、実はどちらも大事だったりします。
矛盾も何も全部抱えながら、何一つ取り残さず未来に向かうパワーがあるならば、それで良いんです。
その覚悟はあるのか、という事です。
と、同時に、比較的交わりやすいながら、見落とされてる事を取り上げる意味もあるのです。
つまり、ケア✕マルクス=…



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