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進化の忘れ物

当時ホームページに書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。
※夢見がちな私のスケールの大きさではダントツの日記です。

=2001.03.30の日記=
「進化の忘れ物」

今朝、新聞で面白い記事を読んだ。

左右逆に映らない鏡を考案した人がいるという。
実用新案を取得したと記事には書いてあった。

鏡は左右逆に映るものという常識をくつがえす発明だ。そんなことができるのかと驚いたが、それ以上に驚いたのが、仕組みがとても簡単なことだった。子どもが偶然発見しても不思議じゃないくらい。なぜ今まで誰も気がつかなかったんだろう。

「正映鏡」というその鏡(ネーミングは今イチ)は、2枚の鏡と1枚の透明ガラスを組み合わせた三角柱。2枚の鏡は直角に組み合わせ、残り一辺が透明ガラスでこれが正面になる。その三角柱の中に水を入れるのがポイントで、そうすることで鏡のつなぎ目を消し、くっきりと左右正常な姿を映すことができるのだそうだ。

発明というよりは、どちらかといえば工作に近い感じだ。

誰でも出来る、でも今まで誰もヒラメかなかった。
その事実が、私の想像を刺激する。

人類の歴史は、発明の歴史でもある。私達の暮らしは、その積み重ねの上にある。最新のテクノロジーは、過去にヒラメいた発明を応用して、発展させてきた結果だ。もし最初に発明した人がヒラメかなかったら、現代はどうなっていただろうか?

きっとその発明は、遅れて他の誰かが到達できるのだろう。
しかし、もしかしたらそのまま誰も気づかないままかもしれない。

もしそうならば、人間は必ずしも正統な進化をしてないと考えることだってできる。本来ならば何百年前に発明されていておかしくないものが、まだ誰も気づかないまま残っているかもしれない。進化の過程で発明されるべきものを、先人は残さず発明できたのだろうか?そうではないと考えるほうが自然のような気がする。

世の中はどんどん高度化していくけれども、進化の途中でヒラメかなかった発明がまだどこかに残っていて、それが出てきた時、世の中は大きく変わるかもしれない。

今の技術の延長ではなく、まったく違った発想で「誰でも分かる、でも今まで誰もヒラメかなかった」ことを、いつか誰かがひらめく時が来るだろう。

そんなことを想像すると気持ちが大らかになる。

未来に夢を持てるような気がするのだ。


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