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帆を張れ!

ローカルネタにはいつも興味津々なのが私だ。知ることが楽しい。そんなこともあってか、ご当地あるある本をつい買ってしまう。

群馬に2年間住んでいたときは、群馬あるあるを手始めに栃木・茨城のいわゆる北関東3県を制覇した後は、埼玉・千葉にまで関心を広げていた。

そのうえ旅行で出かけた長野や宮城の分まで買ってしまい、気がついたら大変なことになっていた。↓

ご当地あるある本

一生知らなくたって生きていけるような小ネタが私の中に詰まっている。それはあるある本をつまみ読みしてた次男のシュンヤにも当てはまることだ。

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転勤で、福岡から群馬県の高崎へ家族を伴った引越しをしたのは、一緒に暮らしたかったからだけど、こんな経験はめったにできないと思ったのも理由のひとつだった。

九州から遠く離れた高崎は、気候も文化も違う興味深い土地で、それまで私が常識と思っていたものがここでは違っていた。

高崎の中学へ転校手続きをしたときに、先生にこんな質問をしてみた。中学で転校してくる生徒はけっこういますか?って。「いますよ。でもほとんど関東からの転勤組で九州の人はいないですね」という答えが返ってきた。

先生でさえ九州に住んだことがある人はほぼいないだろう。それだけ福岡と群馬は離れているのだ。中1の前半まで九州で生まれ育ったシュンヤがそんな環境に身を置くというのはどういうことか。私が感じた以上にそれまでとの違いを感じたに違いない。

違和感がもたらすのは成長だと思っている。

大変だけど、同年代の人よりもたくさんの経験をできるのではないかと思った。それはきっとかけがえのない財産になる。シュンヤならできると信じていたからこその判断だ。

高崎に住んでた頃、シュンヤにこういう話をしたことがある。地元の人は案外地元のことを知らないもので、何も知らない自分たちのほうがその気になれば詳しくなれるだろうと。

あるある本もそうだし、他に図書館で借りられるものは手当たり次第に借りて読んだ。高崎のこと、群馬のこと、関東のこと、いろいろ。そして仕事が休みの日には外へ積極的に出かけた。ここにいる間に見られるものは全部見てしまおうと思った。こんな機会はめったにない。チャンスは逃すな!

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記憶には3種類あることを以前本を読んで知っていた。

池谷裕二の『受験脳の作り方』に書いてある。
※脳科学のコラムとして面白い本です。

勉強などで覚えるのは「知識記憶」。自転車の乗り方など手順に関するのが「方法記憶」。そしてもうひとつが「経験記憶」。

この本では「経験記憶」のことを、自由に思い出せる記憶、自分の過去の経験が絡んだ記憶、と説明していた。一方、何らかのきっかけがないとうまく思い出せない知識や情報のような記憶が「知識記憶」だそうだ。

経験記憶は、自在に思い出すことができるだけではありません。自分にまつわるエピソードはすんなり覚えられることからも分かるように、覚え込むこと自体が楽なのです。そして何よりよいことは、忘れにくいという事実です。知識はすぐに思い出せなくなってしまいますが、経験したことは後々まで比較的よく覚えていられます。

覚えたいことは、経験記憶と絡めると忘れにくくなるのだそうだ。行ったことがない土地より、一度でも訪れた土地のことのほうが、それ以後も気になり頭に入ってきやすいのはそういうことではないかと思う。

この本にはこんなことも書いてあった。

実際に、中学生くらいまでは、どちらかと言えば知識記憶がよく発達している年頃で、その年齢をすぎると、経験記憶が優勢になってきます。

思い当たる人もいるのではないだろうか?

たとえば小学校では、十歳になる前に掛け算表の「九九」を教えますが、知識記憶がよく発達しているこの時期を狙って暗記させようという教育方針なのです。(中略)こうした能力は、第二次性徴期をむかえる中高生のころには衰え、しだいに「経験記憶」重視の脳に変化してゆきます。

経験はきっとかけがえのない財産になる。

この春 シュンヤは福岡の高校に進学する。高崎で過ごした中学時代の数多くの経験が生かされるのはきっとこれからだ。

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高崎から福岡に転校する時、シュンヤにこんな話をした。高崎の友達を大切にしろと。引越した後も連絡を取るようにと。

高崎で中学を卒業したかったシュンヤを、半ば強引に説得して転校させたのは私だ。そんな私から「高崎の友達を大切に」なんて言葉は聞きたくなかっただろう。酷な言葉だったと思う。でも本当にそう思ったのだ。

高崎の友達を大切にするように言った私だが、自分自身その本当の意味に気づいたのはつい最近だった。

シュンヤの高校の進路が決まってふいに気づいた。ああ、そうか!

今年の春から高校生になるシュンヤはあと3年で大学生になるだろう。たった3年だ。もし東京の大学に進学したとしたら?高崎の友達と再会できるのではないだろうか?

群馬の人は地元志向でなければ、東京にある大学を目指す土地柄だ。同じ大学になるかもしれないではないか。いやたとえ大学は違っても東京で会うことは出来るだろう。だから「高崎の友達を大切に」だったのだ。

高崎の友達も次の進路は決まっただろう。その友達とともに東京を目指して切磋琢磨すればいい。

この春進学する福岡の高校とは別にそんな友達がいるのはどんなに心強いことだろう。

クラスメイトには相談しにくいことも、離れている高崎の友達なら話しやすいのではないか。お互いが相談に乗ればいい。そして3年後に再会できることを楽しみにすればいい。

これは中学時代に転校を2回もして苦労したシュンヤだからできること。

そんなことをシュンヤと話し合った。

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逆風が吹くときは追い風になる向きを探して進んできた。そうやってたどり着いたのがこの場所だ。気がつけばすっかり視界が広がっていた。

順風満帆。ここからはるか遠くが見渡せる。

帆を張ろう。胸を張ろう。

大きな帆で風をしっかりつかまえて、新しい冒険を始めよう!


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