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映画と映研が教えてくれたこと

講演会っぽいタイトルを付けてしまいました。気の利いた代わりの言葉が思い浮かばないので、このまま書くことにします。

深い映画の話を期待してる方には最初に謝っておきます。甘酸っぱい話を期待してる方にもごめんなさい。映画や映研のことを書きますが、私がここで書きたいのは、今になって思えばあの日々には何かの意味があったのだろうということです。大した話は書けません。ただ今の自分は自分が思うよりずっとあの頃の影響を受けてるのだなと最近気づくようになったのです。

大学4年間を映画研究会とともに過ごしました。もうずーっと前の話です。あまり映画について書いてこなかったけど、実は私の得意分野は映画です。ただそうですね、結婚して子供が生まれてからずいぶん遠ざかってしまったのでかなりブランクはあります。でもずっと映画は好きなんです。

映研ってどんな活動をするか知ってますか?私がいた映研では映画を見たり、映評したり、撮ったりなんかしてました。8ミリフィルム最後の世代だったので、撮影したフィルムを現像に出して、切って貼って編集して、音入れをしてようやく1本の映画が完成するわけです。

さっき調べたんですけど8ミリフィルムって1秒で18コマ撮影するらしいですね。忘れてました(笑)。連続する18コマの静止画をスクリーンに映して1秒間の動画になるわけです。アニメーションと同じ理屈ですね。

1コマでいえば1/18秒になります。約0.05秒です。これが短いように思えて長いんです。映画の撮影というのは1カットを少し長めに撮ります。編集の段階で必要な部分だけ使って、要らない前後の部分は切って捨てるんです。これが悩むわけです。大いに悩む(笑)。

たった0.05秒なんですけど、例えばフレームを足早に横切る人物が映ってたりすると1コマの間にけっこう動いてる、そんな秒数です。次のカットにどうつなげるかでけっこう悩みます。自然につながるようにするか、少し早めに刻んでテンポよく見せるか、それともゆっくり場面転換をするか。どうですか?悩みますよね。

「この1コマ切ったらこの映画はダメになるかも」なんて大げさではなく思ったものです。他の人からすれば大して変わりないんですけどね(笑)。

すみません。大した話はしないと言いながら熱く語ってしまいました。

映画というのはそんなこだわりの積み重ねです。なんでもない風景さえそこに何か意味を持たせようと監督は考えるものです。誰も気がつかなくても、画面の構図、人物の動きやしぐさ、カメラのアングルや動き、そして編集、その全てに監督は意志を込めようとします。それが物語とシンクロしたとき観客の心を動かすのだと思います。

映画に限らず、作品とは、制作者によって生命を吹き込まれたもの。
その視点は大切にしたいなと思っています。

それが映画研究会で学んだことです。

そしてもう一つ学んだことがあります。それは「作品を作り上げる」こと。その大切さです。それを今からお話します。

私がいた映研は撮影もするけど、飲み会サークルでもありました。映画を肴にワイワイやる感じ。誰でも参加OK!の楽しいサークルでした。撮影は素人です。映画に興味あっても自分で撮ったことなんてないから当然ですね。役者も素人です。たいてい1年生が役者をやらされてました。入部したてでよく分からないうちに出演させられるという。映研あるあるでしょうか。役者なんてやったことなくて恥ずかしいけど、同期のみんなで出演するから仲良くなるきっかけにもなりました。ああこれは甘酸っぱい思い出ですね。

話を元に戻します。作品を作り上げる大切さについてです。

素人が作る映画だから完成するものもあれば、完成しないものもあります。人数の多いサークルだったので2~3班に分かれて制作しました。映画作りは大変なんです。プロじゃないから監督が何でもやることになります。脚本も書くし、日程調整もするし、みんなのまとめ役もする。

完成する映画としない映画の違いは、監督の想いの強さです。映画の知識の深さでもなければ、撮影技術でもありません。最後までやり抜く意志です。

どんなに優れたカットを撮っても、フィルムを切って貼って一本の映画にしなければ何の価値もありません。それがたとえ突っ込みどころ満載の映画だったとしても、笑われながらも後輩たちの手によって、映研の作品として大事に引き継がれていくんです。

いっぽう未完成のフィルムは当の監督が見返すことはあっても、いつか忘れ去られて、世代交代の間に消えてしまいます。残酷だけどそれが現実です。

作品は作り上げること自体に意味がある。それだけで価値がある。

これもまた映画研究会で学んだことです。

さてここまでお話して、何が言いたかったかといいますと、私が作品と向き合うスタンスのことです。私はSNS上で誰かの作品を悪く言うことはしないよう心掛けています。たとえ面白いと思えない作品だったとしても、あえてそれを言う必要はないし、批判的な文章は読む人も楽しい気持ちにはなれないだろう。だから言わない。今までずっとそう思ってきました。

ただどうやらそれだけではなかったようです。

映画と映研が私に教えてくれました。作品とは、制作者によって生命を吹き込まれたものであり、作り上げられたこと自体に意味があり、価値があるということ。だから作品をけなすなら、自分の全身全霊をかけて作者とやり合うぐらいの覚悟がなければ、そんなことは出来ないような気がするのです。※個人の感想です。

私は人に向き合うスタンスで、作品とも向き合いたいです。

他人に強制するつもりはありません。個人的な思いをお話しただけです。


最後に映評についてお話します。もう少しだけお付き合いください。

映評って何かというと映画を評すること、つまり映画の感想をみんなで話し合うことです。週に一度みんなが集まる例会で、少人数のグループに分かれて映評をやっていました。

今思えば、自分が思っていることを他人に伝えるという場は、あれが初めてだったかもしれません。初めはうまく感想が言えませんでした。

最初は面白いかどうかしか言えなかったけど、少しずつどこが面白かったか、面白くなかったか言えるようになり、そのうちどうして面白かったか、なぜ面白くなかったかまで言えるようになりました。自分だったらこうしたのに、こう撮ったのに、なんてこともしばしば(笑)。

自主映画を撮ってたおかげで、批判するのではなく、自分ごとで考える思考が身につきました。そして映評があったおかげで、人によっていろんな捉え方や感じ方があることを知ることもできました。

これがSNSで活動する自分の根幹を成してるのだと最近気がつきました。映画と映研が今の私を育ててくれたのだと思うと感謝しかありません。

以上です。ご清聴ありがとうございました。

※この記事はひとり講演会ごっこでお送りしました。


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