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"現役東大生"風俗嬢が爆増している現実。なぜ高校まで真面目だった純朴女子が売れっ子ソープ嬢になったのか?

はじめに


東大生と風俗嬢。

名だたる最高峰学府たる知の勇者と、男の心を慰める闇夜の花。

水と油の如く、相容れない存在に思える。

対立する二つの存在としての両者の姿が交わりつつ、それが現実の風景となっている。

令和の今、両者が接近しつつあるのだ。

それは、時代の変遷と共に人々の価値観が変わり、一昔前までの「当然」が今は「当然でない」に変わってしまった結果だと言えるだろう。高度な教育を受け、厳しい選抜を勝ち抜いて東大という名の象徴にたどり着いた女子たちが、かつてとは違った道を選んでいる。

東大生がチャラくなったとか、東大女子がオシャレになったとか、そんな表面的な可愛いお話ではない。

近年、自ら性風俗店で”お金稼ぎ”をする東大女子が急増しているのである。

ソープランドで時給2万円をもらう東大女子もいれば、"パパ"と一晩お泊まりするだけで10万円をもらう東大女子もいるのが現実である。

もちろん全ての東大女子がそうであるとは言っていない。しかし、風俗嬢化している東大女子が、絶対的に急増していることは、紛れもない事実である。

性風俗店の顧客は男性である。男性が性風俗店を語る際、しばしば「セックス」「性愛」の観点から考えてしまう。どの子が可愛いのかを考え、どのようなコミュニケーションを期待しているのかを想像する。しかし、そこで仕事をする女性にとって、男性客は抽象化・捨象化された「コマ」に過ぎない。まさに単なる動物としての「オス」に過ぎないのである。そもそも性風俗店での仕事は多くの女性にとっては単なる苦痛の伴う肉体労働に過ぎない。その対価として数万円をもらい、それで終わる、それだけの話である。女性にとって、そこで行う具体的な性行為はあまりにもどうでも良すぎる。

東大生は苦痛に耐えるのが得意だ。苦痛に耐えたからこそ東大生たりえている。
そんな彼女らにとって、苦痛に耐えて高収入を得られる性風俗店での”お金稼ぎ”は、むしろ東大女子にとって最も似合っているとさえ言えるのではないだろうか。

当然ながら社会からは様々な視線が向けられる。それは批判であったり、悲しみであったり、理解不能の混乱であったりする。彼女らが選んだ道は、広く受け入れられるものではない。

しかし、彼女らは圧倒的な経済的自由を手に入れる。そのお金を使って、海外旅行をするも良し、趣味に打ち込むも良し、豊かな生活を送るも良し。その選択肢は彼女ら自身の手に委ねられている。彼女らがそのような選択をするのは、自分の価値を認識し、その価値を最大限に活用するためだ。

東京での生活は、無限の花火のよう。お金は火薬で、その量によって美しさと持続時間が決まる。紙幣が燃え上がり、都市の空を彩る一瞬一瞬が、私たちの生活を彩り、魅力を引き立てる。

東京は選択肢が多く、東京は万人に対して平等である。東京はお金さえ払えば楽しめる。我慢はストレスがたまる。しかし、誰がそんなストレスを甘受したがるのだろうか。

東大生は賢い。自らの何が売れるのかは、すぐに気がつく。さらば、自らの"身体"が一番売れることくらい、東大女子は容易に気づく。

これが現代日本の一部の現実であり、社会が進むべき方向について深く考える機会を与えてくれる。何が「正しい」か、「正しくない」かを決めるのは容易ではないが、少なくとも私たちは、このような状況を生み出す社会の側面に目を向けるべきであるだろう。

筆者が知り合った現役東大生風俗嬢A

Aは現役東大生である。大学院生ではなく学部生である。

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