2018年2月に本を読んで考えたこと

1月に続き。ビジネス、仕事関係の本を除いて、読んで考えたことを書く。

世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」(木村泰司)

ビジネス系といえばそうだから、ここに書かないでおくか迷ったけど、2つだけ書きたいことがあったので。
1つはあらゆることが、あまりにも最近に起きたということ。学生時代に学んだ歴史では全然ピンとこなかったのに、最近になって痛いほど、あまりに色々なことがここ数百年に起きたことに身震いする。30年生きてみて、その時間の短さと長さを感じたからだろうか。
僕の年までの長さを5回生きればもう江戸時代であり、南北戦争前であり、印象派の時代なのだ。
もう1つは、 さらに遡れば、芸術家はアーティストではなくクラフトマン(職人)だった。ルネサンス時期にレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロたちの万能主義あって、はじめて芸術家としての地位が作られ、商品が芸術品になった。今の文化的な形の一部が作られた。
芸術に限らず、例えば学問もイオニア自然哲学の頃は全ての学問は哲学だったと言うし、ガリレオがやっていた天文学も自然科学というより、神の作った自然を読み解く行為≒神学だったと言うし。
今自分が前提にしている枠組みやある種のパラダイムの頼りなさというか、無条件に自分が信頼している前提分類は、非常に疑わしいものだと思えた。何も進歩ばかりしているわけではないのだ。

■複数性のエコロジー 人間ならざるものの環境哲学(篠原雅武)

どうしたら心から気持ち良い生き方を肯定出来る生き方に出会えるかという哲学を語っていると思った。矛盾なく世界を語るのでも、世界をありのままに語ろうとするのでもなく。そういう指向性で語られているティモシーモートンの哲学について、解説している本だ。難しいところだけど、こうやって書くよりもモートン本を翻訳をして欲しいと思ってしまった。
すごく良いのだけど、今の関心とは少しだけズレていると感じた。いつかもう一度読むような気はする。考えていることを現実に接着させていくためのヒントもたくさんあった。
人間性ならざるものへの恐怖、また人間とシステムについての関係性をあらためて捉えなおせるとも思えた。

システムとヒューマニティの欠片は段々と見てきた気はする。

わが悲しき娼婦たちの思い出(G・ガルシア=マルケス)

こんなにチャーミングな話はだと思ってなくて驚いた。百年の孤独のイメージで読むと拍子抜けとも言えるくらいの小品。でも、多幸感あふれる、楽しい読書だった。
有名な「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた」という書き出しから、最後まで終始前向きな明るさ。
ガルシアマルケス自身はこれを書いた7年後に86歳で亡くなった。

以上。
2月は気がついたら終わっていた。ただでさえ短いのに、とんでもないスピードで過ぎたと今3月になって思う。3月も素速く、だんだんと振り落とされそうになっている。

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