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まずいキャベツが教えてくれたこと

こんにちは。のらりです。

近所に新しくドラッグストアができました。

最近は町を見渡すと、ドラッグストアのほうがコンビニよりも多くなった気がします。

さっそく行ってみたのですが、そのドラッグストアには生鮮食品も売っていました。

野菜や肉が売っているドラッグストアは初めて見たので新鮮な体験です。

特にキャベツが安く、一玉税込み100円を切っていました。

キャベツが大好きなので三球ほど購入しました。

さっそくその日の晩、サラダにして食べてみました。

まずい。

内部が乾いていてみずみずしさのかけらもなく、噛むと口いっぱいに青臭さとかすかな苦味が広がります。

普段食べているキャベツはシャキシャキとした歯ざわりで、みずみずしく、噛み締めるたびに甘みさえ感じられ、ドレッシングなどをかけなくてもそのまま食べられるのに。

もったいないので捨てるわけにもいかず、マヨネーズをかけて食べていると、ふと思いました。

「このキャベツがまずいのではなくて、普段食べているキャベツがおいしいのではないか?」と。

僕が住んでいる地域は田舎で農家が多く、スーパーに行くと地元の人たちが作った新鮮な野菜が並んでいます。

その野菜はすべてが美味しいので、僕はほぼベジタリアンのような生活を送っています。値段もキャベツ一玉150円くらいなので、それほど高くありません。

そう考えると今まで食べてきた野菜がどれだけおいしいのか、そしてそれが食べられる環境にあることがどれだけ恵まれているのか。

農家の方々や住んでいる環境に対し感謝の念が湧いてきました。

まずい野菜は僕に普段どれだけ恵まれていたのかを気づかせてくれたのです。

近年の新型コロナや、今年に入っておこったウクライナ情勢。困難はいつ起こって、日常が失われるかわからない。

そういった厄災が起こり失われたとき初めて、僕たちは平和な日常を思い出して懐かしむのでしょう。

こうして野菜をまずいと言いながら食べていることさえ、「あのときは幸せだった」「あの野菜でもいいから食べたい」と思うようになるのかもしれない。

日常が壊れる前に、自分は恵まれているのだと気づき、感謝して生きられたら、きっとより良い人生になるのではないか、とキャベツを食べながら思いました。

それでは、読んでくださって、ありがとうございました。

追記

キャベツは、まだ2玉半あります。

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