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テロメニア魔導記3(連載第二回)決戦! シルバーゴーレム

掲載期間:テロメニア魔導記3『覚醒者の歌声』出版まで
(2024年 第2~第3四半期 出版予定)
次回更新:4月13日(土)予定
(出版後は1話ずつしか掲載できません※ 製品版をお楽しみに!)

※Amazonの規約により、Kindle以外の媒体に10%以上の文章は掲載できません

登場人物紹介

第一章 銀色の追懐


 2 決戦! シルバーゴーレム

 激しい地響きを立てながら、銀の巨像が左のこぶしを振り上げて迫って来る。それを見たカータはタイミングを見計らって高く跳躍すると、ゴーレムの拳打が地面に突き立てられた直後、その真上に着地した。
「マーヤさん。ボクが合図したら、お願いね!」
 少年はそう言ってこぶしの甲から前腕へ、そして肘へと腕を駆け上っていくと、左肩の上に乗っているターニャに向かって銀の短剣を引き抜く。黄色いローブを纏ったその魔女は、既に呪文の詠唱に入っていた。
「魔力の源よ、激しい炎のうずとなりて、我が前にの力を具現化せよ……」
 カータは自分の経験則から、魔法使いが呪文の詠唱を完成させる事の危険性を十分に理解している。魔女がどんな呪文を唱えているのかまでは分からないものの、それを最後まで詠唱させる訳にはいかなかった。
「妖蝶座、いざ尋常に!」
 しかしカータの短い刃が魔女の体に届くより先に、体格の良い魔導師アーデンが突然姿を現し、太い腕で少年の右手首を強く掴んでその攻撃を強制的に止めさせた。黒灰色のローブを纏った魔導師は、ターニャに危険が及ぶと見るや否や、即座に左肩に移動して魔女の前に立ちはだかったのだ。
 一方カーリーは、ゴーレムの素早い動きを見てディネリンドに指示を飛ばす。
「よし、風纏う者を援護するぞ! ディネリンド、歌でゴーレムの動きを鈍らせろ!」
 しかし赤羽根の楽師は首を横に振った。
「カーリー、それは無駄。呪歌は精神に働き掛けるもの。心を持たない不死生物や魔法生物には意味がない」
「分かった、それなら味方を鼓舞する歌を頼む!」
 カーリーはそう言って直剣を構え直すと、後ろでシトルを奏で始めたディネリンドを護るような位置に立ち、華麗な剣撃を巨像の足元に向かって浴びせ掛けた。
 カータはアーデンという名の魔導師の力強い握力に驚きながらも、右手首を掴まれたまま、自分の体をゴーレムの背中側に投げ出すような格好で跳躍する。だが予想通りと言うべきか、アーデンは少年の好きなようにはさせてくれない。カータの右手首を掴んでいた黒灰色の魔導師は、ややバランスを崩しながらも、力任せにカータの体を自分の方へと引き寄せる。その間にもターニャの詠唱は佳境を迎えつつあった。
「大いなる地獄の業火よ、の者を包み込み、その全てを滅ぼすまで……」
「マーヤさん、今だ!」
 だが、それこそがカータの狙いだった。少年が大声でマーヤに合図を出すと、彼女は手に持った長杖を真っ直ぐ上に伸ばし、詠唱中の魔女の声が聞こえてくる方向に向かって高く突き出した。愛の笛と呼ばれるその長杖は、楽器でありながら杖としての役割も果たす、強力な鈍器だったのだ。
「いっ、痛いわね! 何をするのよ、この小娘!」
 マーヤの突きは寸分違わずターニャの顔面を捉えると、魔女の詠唱をすんでのところで中断させることに成功した。カータの体重移動によってゴーレムの背中側に引っ張られていたアーデンは、茜色の少女の攻撃からターニャを護ることが出来なかったのである。黒灰色の魔導師は怒りに身を任せ、右手で掴んでいたカータを通路の下の湖に向かって思いっ切り放り投げた。
「おのれ、妖蝶座! おのれ、眠り人どもめ!」
 眠り人とは、魔法王国テロメニアにおいて、魔法が使えない者を指す言葉である。この国では魔法が使える者を『目覚め人』と呼び、魔法が使えない者は『眠り人』と呼ばれてさげすまれていた。
 氷の張った水溜りに放り投げられたカータは、通路の両脇に並んでいる七柱神の彫像の一体に掴まることで、辛うじて落下を免れる。彼が偶然掴んだのは、高く掲げられた剣の先端で、それは父性と心を司る男神レスタックの神像だった。一方、アーデンの指示を受けたシルバーゴーレムは、前線に立つエルフの男に向かって横方向からの凄まじい右拳を放つ。だがカーリーは上体を大きく後ろにらすことでその攻撃をかわすと、まるで嘲笑うように口を開いた。
「おっと、勘違いして貰っては困るな。俺はお前等の言うところの『眠り人』じゃないぜ」
 そして彼は呪文の詠唱に入る。
「大いなる魔力の源よ、光の矢となりての者を貫け!」
 するとカーリーが構えている剣先に五つの光球が浮かび上がり、まるで流れ星のように光の尾を伸ばしながら次々にゴーレムを貫いた。それは狙った獲物を必ずとらえるという、光の矢による攻撃魔法である。
「何? おのれは目覚め人であったか!」
 目の前の剣士が魔法を放ったことが余程意外だったのか、アーデンは思わず驚きの声を上げる。魔導師はようやく理解したのだ。その剣士はエルフの冒険者で、かつ魔法剣士であることを。
「俺の名前をよく覚えておくんだな。エルフの冒険者、『熱き疾風しっぷう』カーリーとは、俺のことだ!」
「冒険者風情が、何をほざくか!」
 魔法王国テロメニアは、その名の通り魔法が使える人間、すなわち目覚め人によって統治された国である。しかし魔法は、極一部の人間にしか扱うことの出来ない神秘の力。眠り人がどんなに魔法を学ぼうとしでも、必ず目覚め人になれる訳ではない。やがて目覚め人による統治は、国の少子高齢化を加速させ、深刻な目覚め人不足の問題を引き起こしていた。その問題を解決する為に打たれた国策が、冒険者ギルドの誘致である。西側諸国で成功を収めていたその組織には、最初から魔法が使える人間が多く登録されている。彼等を国に招き入れれば、目覚め人になれるかどうかも分からない眠り人を、わざわざ魔法学院で育てる必要も無い。国は、コストの割に実入りの少ない魔法学院を閉鎖すると、それによって浮いた国費の一部を、冒険者ギルドの誘致にぎ込んでいったのだ。
われが纏うは硝子がらす外套がいとう。それは光を捻じ曲げ、己の姿を屈折させる魔力の虚像なり……」
 魔法剣士カーリーは直剣を縦に構えると、素早く次の呪文の詠唱に入った。シトルを演奏するディネリンドを護りながらの戦いの中で、なかなか呪文を唱えるチャンスが無かったカーリーだが、マーヤが前線に出て長杖を振り回すことで、そのタイミングが生まれたのだ。ディネリンドはシトルの弦を強く弾き、勇ましい戦いの曲を奏でている。その味方を鼓舞する歌の効果も相まって、甲冑を身につけた少女の戦いぶりは実に頼もしいものだった。マーヤは銀の巨像の足音と地響きを頼りに自分の立ち位置を調整すると、上から聞こえてくる魔導師達の声の出処でどころに向かって、真っ直ぐ杖を突き出しているのだ。
「まぁ、なんて不愉快な小娘でしょう! これでは次の呪文が詠唱出来ませんわ。アーデン、何とかなさい!」
 ゴーレムの左肩に乗っているターニャは、苛立ちを隠し切れない様子でアーデンに向かって状況の打開を要求する。通常の武器では一切傷付かないゴーレムだが、肩の上に乗っている術者を直接狙われたのでは意味が無い。しかもエルフの魔法剣士が放った魔法の矢によって、銀の巨像は若干の損傷をこうむっていた。
「承知! 前衛はわれに任せ、貴殿は後ろに!」
 アーデンの言葉を受けて、ターニャは巨像の肩から後ろに飛び降りると、更に大きく後方に離れて冒険者達との間合いを取った。シルバーゴーレムは左右の両拳を振り回しながら、後ろの魔女を護るように少しずつ後退していく。一方で巨像の右肩に残ったアーデンは、ゴーレムの巨躯にしがみつくような体勢をとると、後方に下がったターニャと共に長い呪文の詠唱に入った。
われは剛毅の化身なり。その四肢は凶器。そのたましいは不屈。われは世のことわりる全ての物を、いま此処ここに組み換え、創り直さんとする、万物の創造主なり……」
「大いなる魔力の源よ。われが今、此処に創り出したるは、空気をも凍らせる氷雪の世界! れは氷の刃を束ね、凍える嵐を呼び起こし、の者を貫くものなり……」
 独特の響きで紡がれる、男女の魔導師達による詠唱。二人はそれぞれ異なる系統の魔法を操る、専門的な魔導師なのだ。
 目の前に立ちはだかっていたはずのゴーレムが、少しずつ後ろに後退していくのを感じ取ったマーヤは、長杖を持ってそれを追い掛ける。彼女はこの冒険者パーティの一員でありながら、しかし厳密には冒険者では無かった。
 通常、剣や弓など一芸に秀でた者であれば、たとえ魔法が使えなくとも冒険者になることが出来るが、しかし目覚め人不足の解消を目的に誘致されているこの国の冒険者ギルドは、他国のそれとは少しおもむきが異なっていた。魔法王国テロメニアにおける冒険者ギルドは、目覚め人であれば経験の有無に関係なく無条件で入れる一方で、眠り人は一人につき一人以上の目覚め人を紹介しなければ入れないのである。言わばマーヤは、冒険者ギルドに登録されていない、誰も知らない冒険者なのだ。
「大いなる魔力の源よ、敵の目をあざむが残像をここに投影せよ!」
 丁度その時、カーリーの詠唱が完成すると同時に、彼の周囲にカーリーと全く同じ姿をした幻が四体姿を現した。それは分身を身代わりにすることによって、敵に物理攻撃の焦点を絞らせないという、初歩的な防御系の幻影魔法である。
 冒険者ギルドの誘致によって、魔法王国テロメニアは喫緊きっきんの課題だった目覚め人不足の問題を解消したものの、一攫千金を目的に集まった質の悪い冒険者が多く流入した結果、治安がいちじるしく悪化。更に魔法学院の閉鎖によって眠り人は永遠に眠り人となり、この国で子供を産み育てる者が更に少なくなっていった。それはまさに、誰の目から見てもそれと分かる緩慢な滅びの道だったが、高い知性を持つはずの魔導師達は、まるでその事を直視していないようにさえ見えた。エルフの冒険者カーリーは、冒険者の質が年々低下していることを嘆き、カータの冒険に加わることを決めたのだ。
「ゴーレムだろうと十二賢者だろうと、最早俺には関係ない。冒険者とは、如何いかなる敵が目の前に立ちはだかろうとも、みずからの手で道を切り拓く者のことを言うのだ!」
 幻影の分身を展開することによって、銀の巨像の強烈な物理攻撃に対する守りを固めたカーリーは、全速力で前に駆け出してゴーレムとの間合いを一気に詰める。銀の巨像の肩にしがみついている男と後方に控えている魔女が、共に次の呪文の詠唱に入っていることを彼もよく理解していたのだ。
 見た目以上に素早い動きをする銀の巨像は、それでもうしろに歩みを進めるのは苦手なのか、その動きはやや鈍重に見える。マーヤとカーリーはあっという間にゴーレムの足元まで追い付くと、マーヤは黒灰色の魔導師目掛けて長杖を突き上げ、カーリーは直剣を振り上げながら高く跳躍した。
 だがその直後、状況は一変する。
「え?」
「なにっ?」
 まるでこの瞬間を見計らっていたかのように、突然シルバーゴーレムが大きく前に踏み込んできたのだ。少しずつ後ろに下がっていた緩慢な動きは、決して不利な状況からの立て直しを試みていた訳でなく、むしろ冒険者達の不用意な接近を誘っていたのである。
「きゃっ!」
「うわぁっ」
 それは激しい突進攻撃だった。
 銀の巨像の強烈なタックルを受けたマーヤとカーリーは、後ろに大きく弾き飛ばされ、後方でシトルを演奏していたディネリンドの足元まで吹き飛ばされた。シルバーゴーレムは強力な打撃に加え、その巨躯に似つかわしくない凄まじい素早さを併せ持っている。カーリーが事前に用意していた四体の分身は、あるじを守る役割を果たすことも無く、一瞬の内に全て霧散してしまっていた。如何いかに物理攻撃の的を絞らせない幻影といえども、巨大な岩のかたまりのような攻撃をかわし切ることなど出来ないのだ。
「あの男、マヌケなように見えても、ちゃんと魔導師ということか」
 カーリーは上体を起こしながら歯噛みする。道理でさっきまでゴーレムの肩の上に乗っていたはずの魔導師が、いつの間にかその肩にしがみつくような体勢を取っていた訳である。アーデンは自分が振り落とされないように、巨像の肩にしっかりと掴まってから、次の呪文を詠唱していたのだ。その状況を見たディネリンドはシトルによる戦いの曲の演奏をやめ、楽器をフィドルに持ち替える。そうしている間にも、二人の魔導師の詠唱は佳境を迎えていた。
われ、欲するは、敵を粉砕する闘志と強靭なる剛腕なり!」
「氷槍よ、我が指し示す敵に向かって降り注げ……」
 アーデンの呪文が完成した途端、彼の肉体に大きな変化が現れた。ただでさえ大柄な魔導師の肉体が、更に一回り大きくなったかと思うと、アーデンの両腕を覆っていた黒灰色のローブがまるで紙くずのように粉々になり、そこから怪物と見紛うほどの太い両腕が露わになったのだ。
 一方で、銀の巨像の後ろに控えているターニャの詠唱はまだ続いている。そこにカータが忽然と姿を現すと、その危険な詠唱を止める為に、ターニャとの間合いを一気に詰めようとした。少年は持ち前の身軽さを活かし、通路脇に並んでいる七柱神の石柱を飛び越えてゴーレムの背後まで回り込むと、魔女の前に躍り出たのである。
「させぬわー!」
 小さな冒険者の動きに気付いたアーデンは、雄叫びを上げながら巨像の肩から高くジャンプすると、驚くべき跳躍力でカータの真後ろに着地した。そして不気味なほど巨大化したアンバランスな両腕を、少年目掛けて思いっ切り前に突き出す。
「あぐっ」
 それはゴーレムが二体に増えたのではないかと錯覚するような光景だった。アーデンの大きな拳がカータの小さな体をとらえた直後、少年は体をくの字に曲げてターニャの更に後方まで吹き飛ばされたのだ。カータは通路の床面をしばらくゴロゴロ転がってから、ようやくその動きをピタリと止めた。まさに、圧倒的な剛力である。
「妖蝶座よ、観念するがいい!」
 前方から聞こえてきた異様な打撃音とアーデンの言葉を耳にしたマーヤは、少年の無事を確かめるように大声でカータに呼び掛ける。
「カータ! 大丈夫?」
 すると少年は顔だけをこちらに向けて警戒を促した。
「……は、早く、魔女の詠唱を止めないと……マーヤさん、カーリーさ……ん」
 発せられた声は小さかったものの、少年が何を言わんとしているのかを即座に理解したマーヤは、長杖を大きく振り回して自分の前に立ち塞がるゴーレムを追い払おうとする。しかしどんなに打撃を加えようとも、彼女の武器では銀の巨像に傷一つ付けることが出来なかった。それを見かねたカーリーは、急いでたすき掛けした短弓に手を伸ばしたが、彼が矢を弦につがえるよりも先に、魔女の詠唱が完成する。
の者に千の風穴を空け、且つ、の肉体を永久に解けぬ氷の棺に閉じ込めよ!」
 次の瞬間、マーヤは凄まじい冷気に包まれた。それは術者が指定した方向に無数の氷の槍を射出して、その範囲内の敵を氷漬けにしてしまうという恐るべき攻撃魔法である。黄色い三角帽子をかぶった妖艶な魔女は、詠唱が完成すると同時にその指先で、シルバーゴーレムの前方を指し示した。
「みんな下がれ!」
 カーリーは叫びながら銀の巨像に背を向けると、フィドルを奏でているディネリンドの方に向かって全速力で走り出す。しかし冷気は無情にもカーリーとマーヤ、そしてディネリンドをも包み込み、ゴーレムの前方を起点にして透明な氷の槍が勢いよく飛び出した。
「おほほほほ、どうかしら? 氷の饗宴はお気に召しまして?」
 放射状に広がる氷の嵐。
 それを見届けたターニャは、まるで勝ち誇ったかのように左手の甲で口元を隠しながら、甲高い笑い声を上げ始める。その中指に輝く金剛石の指輪は、インヴォーカーと呼ばれる破壊エヴォケ魔法ーション専門の魔導師である彼女の詠唱を、非接触的な妨害から保護する獅子座のアーティファクトであった。
 カータはシルバーゴーレムの遥か後方、ターニャの近くで倒れていた為、その強烈な氷の魔法の範囲外にまぬがれていた。少年は這いつくばったまま視線だけをゴーレムの方に向け、氷の嵐に巻き込まれた仲間を案じている。しかし猛牛座の賢者アーデンは、そんなカータを決して見逃しはしなかった。
「妖蝶座、覚悟!」
 体格の良い黒灰色の魔導師は、シェヘラザードにとどめを刺すべく、異様に巨大化した両手を組んでそれを高く振り上げる。だがその凶器がカータに振り下ろされる直前、まるで両拳を縫い付けるかのように貫くものがあった。
「ぬおっ?」
 放たれた矢筋はシルバーゴーレムの股の下をくぐり抜け、アーデンの右手から左手を射抜いていた。強烈な弓射を受けたアーデンは、勢いそのままに大きくバランスを崩しながら、矢の出処でどころに目を向ける。そして魔導師は、そこに信じられないものを目撃した。
 短弓を構えて仁王立ちしている、エルフの姿がそこにあったのだ。しかも彼は既に二射目の体勢に入っている。氷の嵐に巻き込まれたはずのカーリーは、しかし倒れることなく弓を構え、その先端をアーデンに向けていた。
「バカな、なぜだ」
「どういうこと?」
 男女の魔導師は同時に驚きの声を上げる。しかし二人が状況を把握する時間も与えずに、カーリーの二射目が放たれた。その隙を見た少年は、転がるようにアーデンの足元から離れると、ゴーレムの向こう側に居る仲間の元に合流しようとする。
「笑止!」
 だが不意打ちならともかく、既に見えている敵からの攻撃に対処するのは容易たやすい。アーデンは自分の両手を貫いた矢を力任せに引き千切ると、カータを逃すまいと巨大化した長い腕を伸ばし、まるで猫のように首根っこを摘んで少年の逃走を食い止めた。一方、あるじの意図を汲み取った銀の巨像は、人間には到底真似の出来ない素早さを見せ、カーリーから放たれた二射目、三射目を全て体で受け止める。変化オルタレ魔法ーションを専門に扱うアーデンのシルバーゴーレムは、自分のマスターと味方の魔女を護る役目を完璧なまでにまっとうしていた。純粋な魔法攻撃か、或いはそれに準じた魔法の武器でしか傷付かないゴーレムにとって、短弓から放たれた矢など、取るに足らない攻撃に過ぎないのだ。
「くそっ、このままでは風纏う者が!」
 カーリーは悔しそうに吐き捨てた。両腕が巨大化したいびつな魔導師は、カータの足首を握ってそれを高く吊し上げると、顔面に強烈な殴打を浴びせ始めたのである。
 一方、ゴーレムの後ろから冒険者達の様子を観察していたターニャは、自分が巻き起こした氷の槍を受けても尚反撃してきた彼等の姿を見て、納得するようにつぶやいた。
「ふぅん、やりますわね。わたくしの魔法に耐えてみせたのは、その不愉快な歌のせいでしたのね」
 見ると、さっきまで勇ましいシトルの演奏を響かせていたはずのディネリンドが、気付かぬ内にその楽器をフィドルに持ち替え、優しいストリングスの曲を奏でている。それは闘争心を高める戦いの歌とは明らかに異なる曲調だった。柔らかいその旋律は味方を鼓舞するものでなく、安らぎと平穏をもたらす魔法耐性の曲だったのである。
「カータ? カータがどうしたの?」
 マーヤはエルフの言葉を耳にして心配そうに聞き返す。カーリーが放った矢は強化された魔導師の肉体を貫くことは出来ても、立ちはだかる銀の巨像には全くの無力だった。目の前に立ち塞がるゴーレムは、まるで遠隔攻撃をさえぎる大きな壁のようにさえ見える。しかしそれをの当たりにしたカーリーは、絶望ではなく、むしろ一筋の光明を感じていた。そう、自分の矢はゴーレムに対して無力だが、魔導師相手であれば、例えそれが化け物のような姿であったとしても、十分な威力を発揮するのだ。
「ディネリンド、耐性の曲はもう十分だ! 次は敵の心を挫く、戦意喪失の曲を頼む!」
「カーリー、それは無駄。呪歌は精神に働き掛けるもの。さっきも言ったけど、心を持たない不死生物や魔法生物には意味がない」
 そう答えたパートナーに対して、エルフの男は不敵な笑みを浮かべながら言葉を返す。
「いや、目標はゴーレムじゃない。あそこに見える敵は確かにゴーレムのような姿だが、中身が人間であれば呪歌が通じるのであろう?」
「了解、やってみる」
 ディネリンドはカーリーの意図を汲み取ると、フィドルを置いて自分の荷物から短い縦笛を取り出した。それはショームと呼ばれる管楽器である。
「急げ、このままでは風纏う者が殴り殺されてしまうぞ。花の戦士も俺に続け!」
「分かったわ!」
 そしてカーリーが先陣切って駆け出すと、その後に続いてマーヤも走り出した。二人の背後からは、ディネリンドが奏でるショームの物悲しい音色が響き始める。
「魔力の源よ、またたく閃光となりて、我が前にの力を具現化せよ……」
 黄色いローブを纏った魔女は、真っ直ぐ伸びるこの通路に最も適した攻撃魔法を選択した。それは一直線に敵を貫く、強力な電撃の呪文である。目の前のシルバーゴーレムも巻き込むが、そんなことは彼女にとって、些末さまつな問題に過ぎなかった。ターニャがこの呪文を完成させた時、愚かな冒険者達は皆、黒焦げになるのだ。
 魔女のすぐ隣には、カータに殴打を繰り返すアーデンの姿があった。彼は巨大化させた左腕で少年の足首をつかみ上げ、もう片方の右腕で強烈な拳打を浴びせ続けている。その恐るべき怪力の前にどうする事も出来ない少年は、顔を大きく腫れ上がらせ、鼻から血をしたたらせていた。まさに、絶体絶命の状態である。
 その時、アーデンの耳に物悲しいショームの音色が入り込んできた。しかし心を持たないゴーレムは、精神魔法や呪歌などの効果を一切受け付けない。その事をよく知っている黒灰色こっかいしょくの魔導師は、自分が今殴っているシェヘラザードにいち早くとどめを刺して、次はエルフの男を殴り殺そうと考えていた。
 だが何故なぜだろう。
 いま掴んでいる小さな少年の素体が、なぜか少しずつ重たくなっているような気がする。アーデンは日頃から自分の肉体を限界まで鍛え上げていた。健全な魔力は健全な肉体に宿る。変換、変身、変形といった変化オルタレ魔法ーションを専門に扱うトランスミューターの自分が、この小さな子供のような素体を、ここまで重いと感じることなど絶対に有り得ないはずなのだ。
「これは一体、どういう事だ?」
 アーデンは自分の身に起こった変化に戸惑いを覚え、やがて狼狽ろうばいし始めた。気付くと片手で吊り上げていたはずのカータの肉体が、どんどん大きくなっているような気がする。鍛え抜かれた自慢の左腕、さらにトランスフォーメーションの魔法によって強化された肉体をもってしても、アーデンはその少年の体を吊り上げることが困難になってきた。
「ぐおおお!」
 長い呪文の詠唱に集中しているターニャは、すぐ隣で錯乱さくらんし始めたアーデンの変化に全く気付く気配がない。彼女はアーティファクトの力によって、非接触による妨害では一切集中力を乱すことなく、呪文を詠唱し続けることが出来るのだ。今の彼女の頭の中には、一刻も早く電撃の呪文を完成させて、冒険者達を黒焦げにしたいという渇望しか無かった。
 一方で、魔導師達の前衛を務めるシルバーゴーレムは、個として完全に自律した存在である。たとえあるじが正気を失ったとしても、自分の力を十分に発揮することが出来るのだ。マスターからの指示が途絶えてしまったシルバーゴーレムは、それでもおのれの持てる全ての能力を駆使して、目の前に迫ってきた冒険者達に対峙しようとしていた。銀の像は巨大な体躯からは想像もつかない素早さで、冒険者達との間合いを一気に詰めながらこぶしを大きく振り上げる。その太い足が橋上を蹴るたびに、この長い通路全体が激しく縦に振動した。
「花の戦士よ、そのまま走れ! そして衝撃に備えろ!」
 シルバーゴーレムの俊敏な動きを見たカーリーは足を止め、後ろに続いているマーヤにそう指示を飛ばすと、自分はその場で呪文の詠唱に入った。
「土の精霊よ、の者の足元に気紛きまぐれなる悪戯いたずらを!」
 それは短い詠唱しか必要としない初歩的な呪文で、指定した場所の摩擦係数をいちじるしく低下させる低級魔法である。エルフの男は即座に呪文の詠唱を完成させると、ゴーレムの足元にその魔法の効果を発現させた。
 次の瞬間、激しい轟音と共に通路全体が大きく揺れる。
 人間離れした俊敏性があだとなり、シルバーゴーレムは完全に足を滑らせると、その場で尻もちをついて転倒してしまったのだ。そこに少し遅れて突進してきた甲冑の少女が、走って来た勢いそのままに激突。硬い鉄板が割れるようなけたたましい音が鳴り響き、倒れていたゴーレムは氷上を滑りながら通路脇へと追いやられた。
「よし、よくやったぞ!」
 銀の巨像と激しくぶつかったマーヤは、その衝撃で弾き返されると、エルフの男のすぐ足元に倒れ込んだ。目の前に立ちはだかっていた遮蔽物を取り除くことに成功したカーリーは、手に持っていた短弓を構え、長い呪文を詠唱している魔女に狙いを定める。
「天を貫くまばゆい雷光よ、の者を撃ち、その全てを灰燼かいじんと化すまで……」
 電撃の呪文はあと少しで完成するはずだった。しかし胸を貫く鋭い痛みによって集中力を乱されたターニャは、自分の黄色いローブが赤く染まっていくのを知覚した。
「あ、アーデン……」
 詠唱を保護するアーティファクトの力を得ているとは言え、物理的な妨害にまで耐えることは出来ない。魔女はすぐ隣に居るはずの魔導師に助けを求めようとしたものの、錯乱状態に陥っているアーデンは妖蝶座を放置したまま、両手両膝を地につけて意味の分からないうめき声を上げていた。丁度その時、すぐ下に広がる湖の方から、氷が割ける甲高い音と、水しぶきの重々しい音が同時に聞こえてくる。
「あぁ……なんてこと……」
 ターニャは自分の胸に刺さった矢に両手を添えながら、苦しそうな声を上げた。なんとそこには、湖に転落したシルバーゴーレムの姿があったのだ。大きく尻もちをついた体勢のまま通路脇に追いやられたゴーレムは、素早くその場で起き上がろうとした為に再び足を滑らせ、下に広がる水溜りへと真っ逆さまに転落してしまったのである。黄色い魔女はその絶望的な光景を目撃した直後、横向きに崩れ落ち、たくましい体格の魔導師に助けを求めようとしたものの、それを声に出すことが出来なかった。
「……マーヤさん、カーリーさん、ディネリンドさん。行こう、ボク達の勝ちだ!」
 カータはまだ倒れたままだったが、二人の魔導師の様子を見て右手を高く突き上げると、声を振り絞って自分達の勝利を宣言した。
「カータ? カータは無事なの?」
 それを聞いて上体を起こしたマーヤは、彼の声がした方向に駆け出そうとしたが、天と地がひっくり返ったかのように激しく転倒する。それを目の前で見ていたカーリーは、額に手を当てながら首を横に振った。
「花の戦士よ、今そこはとても滑り易くなっている。気を付けて進むがいい」
 一方ディネリンドは、カータの呼び掛けを受けて戦意喪失の曲を中断すると、荷物を纏めて仲間との合流を急ぐ。彼女の演奏が止まった途端、錯乱状態に陥っていたアーデンは正気を取り戻した。
「おのれ、われをたばかったな!」
 自分が呪歌の影響を受けていたことにようやく気付いたアーデンは、その怒りが頂点に達していたが、しかし自分達が敗北したことを認めざるをえなかった。見ると、シルバーゴーレムはみずうみに転落し、無様な姿をさらしている。獅子座の魔女ターニャは胸に矢を受け、側臥そくがの体勢で苦しそうな視線を自分に向けていた。
 そして正面からは、敵の冒険者達が真っ直ぐ自分に向かって近付いて来る。彼等はターニャにとどめを刺すつもりなのだろうか。アーデンのすぐ近くには、シェヘラザードの素体の少年も転がっているが、今は一刻も早くターニャを助け、シルバーゴーレムを回収することを優先するべきだとアーデンは考えた。黒灰色こっかいしょくの魔導師は、自分が取るべき行動の優先順位を頭の中で思い描いたが、しかしそれは冒険者達の出方に左右される問題でもある。もし彼等が自分やターニャに襲い掛かって来た場合、彼女の救命措置を諦め、強化した両腕を駆使して応戦しなければならないだろう。獅子座の魔女を失うことになるのは大きな損失だが、それでもアーデンは、自分が負けることなど微塵も考えていなかった。
 カーリーの魔法によって滑り易くなった場所を慎重に通り過ぎた冒険者達は、黒灰色の魔導師に十分警戒しながらカータの元へと歩み寄る。互いの距離が近付くにつれて、彼等の緊張は共に極限まで高まった。
 カーリーは短弓をたすきけすると、直剣を引き抜いて警告する。
「一人で勝てるつもりか? こっちは四人も居るのだぞ!」
 それを耳にしたアーデンは、巨大化した両腕を構えて言葉を返す。
「四人……だと? まさか、そこに倒れている妖蝶座も数に入れているのか?」
 まさに、一触即発の状態である。
 しかしその時、倒れているカータの声がかすかに聞こえてきた。
「……カーリーさん、もう、戦いは終わったよ。……行こう。先に……進むんだ」
「カータ、大丈夫? しっかりして!」
 マーヤは長杖をつきながらカータの位置を探り当てると、彼に抱きつくように覆いかぶさり、両手でその無事を確認する。少年は最後の力を振り絞って言葉を発したのか、通路に突っ伏したままぐったりしていた。エルフの男は剣をさやに収めながら口を開く。
「ふっ、貴公は運がいい。命拾いしたな」
 その様子を見たアーデンは、冒険者達が自分とターニャに危害を加えるつもりが無いことを悟り、心の中で安堵の息を吐き出した。どうやらこの冒険者達は、近年あまり見掛けなくなった、賢明で誇り高いパーティのようだ。そしてアーデンは、自分も冒険者達に敵対行動を取ることなく黄色いローブの魔女の元でひざまずくと、エルフの男に向かって短い言葉で問い掛ける。
おのれは確か、名をカーリーといったか?」
「あぁ、『熱き疾風』カーリーだ! よく覚えておくがいい」
 カーリーがそう答えると、アーデンはターニャの胸に刺さった矢を慎重に引き抜きながら、悔しそうに口を開いた。
「妖蝶座の従者カーリーよ、敵ながら見事であった。今は退こう。だが次は無いと思え。シェヘラザード共々、首を洗って待っておくがいい」
 魔導師の言葉を耳にしたカーリーは、呆れたような表情を浮かべてこう返す。
「それが貴公の敗因だな、貴公は色々と見誤っている。だが、貴公が再戦を望むなら、俺達のリーダーはいつでも受けて立つぜ!」
「見誤っているだと? それは一体、どういう事だ?」
 黒灰色の魔導師はターニャの無事を確認すると、自分のローブの裾を引き千切り、彼女に止血をほどこしながらそう問い返す。その間にマーヤはカータを抱きかかえ、ここから離れる準備を整え終えていた。後ろには赤い羽根帽子をかぶったエルフの女も控えている。カーリーは魔導師に向かって、自分のパーティメンバーを誇るように口を開いた。
「まず俺は、貴公の言うシェヘラザードとやらの従者ではない。俺達はパーティだ。つまり従者ではなく、仲間ってことだな」
「なんだと?」
 アーデンはエルフの言葉に耳を疑った。あの利己的なシェヘラザードが、仲間と呼べるほど固い絆で結ばれた冒険者を、自分の手で集めたとでも言うのだろうか。否、そんなこと絶対に有り得ない。黒灰色こっかいしょくの魔導師は、自分が再び精神を惑わす魔法によって、心を掻き乱されているのではないかという錯覚におちいった。
「それからもう一つ、よく覚えておくがいい。俺達のリーダーの正しき名を」
 カーリーは得意げにそう前置きすると、黄色い魔女の前で愕然とした表情を浮かべているアーデンに向かって高らかに宣言する。
「我らがリーダーはシェヘラザードにあらず! 彼の名はカータ! かつて『風まとう者』と呼ばれ、その名を世にとどろかせた、真に勇敢な最後の冒険者だ!」
 そう言ってエルフの男が指し示したのは、甲冑の娘が抱きかかえている小さな子供のような冒険者だった。そしてカーリーは身をひるがえし、二人の女を伴ってこの場から立ち去っていく。アーデンは少しずつ小さくなっていく冒険者達の背中を見送ると、ターニャをそっと抱きかかえ、いま自分がするべき事を順番に片付けていった。

次回、テロメニア魔導記3『覚醒者の歌声』
(連載第三回)ひとときの休息は、4月13日(土)更新予定です!
お楽しみに!


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