見出し画像

テロメニア魔導記3(連載第四回)銀色の追懐

掲載期間:テロメニア魔導記3『覚醒者の歌声』出版まで
(2024年 第2~第3四半期 出版予定)
次回更新:5月11日(土)予定
(出版後は1話ずつしか掲載できません※ 製品版をお楽しみに!)

※Amazonの規約により、Kindle以外の媒体に10%以上の文章は掲載できません

登場人物紹介

第一章 銀色の追懐


 4 銀色の追懐

 誰も居ない暗がりの中に、仄かなロウソクの灯りが小さく揺れている。
 銀色の長い髪を横に垂らし、机に片ひじをついて本のページをめくる若者の姿が、その光の中にぼんやりと照らし出されていた。かつて多くの優秀な目覚め人を輩出してきた魔法学院。その最奥にある学院書庫は、過去の偉大な賢者達が書き記した知識の結晶とも言うべき、数多の学術書が所蔵されている。どのような分野においても、知るべき知識は大抵この書庫に眠っていると言っても、決して過言では無いだろう。
(わたしの中に居る、あの恐ろしい声は一体……)
 銀の若者の息が白い。何処どこからともなく吹き抜ける隙間風は、学院書庫全体を凍えるような寒さに冷やしていたが、しかし若者はそれを気にもめていなかった。その痺れるような冷たさは、若者にとって自分が生まれた故郷に近い感覚で、むしろ頭の回転が良くなるような快適さを彼にもたらしていたのだ。
 彼の名はカルディアナ。その正体はシルバードラゴンの女王、ベルゼリーディア=バルバリアが産み落とした卵から生を受けた、竜の国の王子である。しかし、本物のカルディアナは既にこの世を去って久しかった。今の彼は彼女であり、言い換えるならばカルディアナの妹ルーナリアが、兄に扮した仮初かりそめの姿に過ぎなかったのだ。
(わたしには、あの声を制御することが出来なかった)
 ルーナリアが今調べているのは、竜にまつわる知識でも、自分の故郷に関する伝承でもなかった。彼女は恐れているのだ。自分と契約を交わした、あの恐ろしい悪魔の存在を。
 ルブーラム皇国の女皇は、代々竜の卵を触媒にした悪魔契約の秘術を継承し、千年に渡って国を治めてきた。しかし宗派の分裂や貧困の拡大によってその統治が崩れ去り、絶望に打ち拉がれていたルーナリアは、兄カルディアナを触媒にした悪魔契約の秘術を介し、自分の願いを叶えてしまったのである。それは、天翔あまかける大河を越えた先にあるといわれている自分の故郷、竜の国を目指すという夢であり、また大好きなカータと共に、世界を旅するという願望でもあった。
(あぁ、お兄さま。わたしは一体、どうすれば良いの?)
 広げられた書物の上で両手を組み、深く項垂うなだれるルーナリア。それは悪魔に関する記述が纏められた古い書物で、魔導師の間では禁忌とされている、悪魔契約の秘術が記された魔導書だった。悪魔契約者は、自分の願いを叶える代償に、そのたましいを悪魔に捧げなければならない。かつて世界を手中に収めた覇王や、永遠の若さを手に入れた絶世の美女など、悪魔契約者に関する伝承は多く残されているものの、しかし彼等は皆、悲惨な末路を辿ることでも知られている。ルーナリアは自分の魂の奥に隠れ潜む、恐ろしい悪魔の存在を、確かに感じ取っていた。

 ロウソクの火の揺らめきは、やがて別の炎と重なり合う。
 それは七階層の隠し部屋でだんを取る、冒険者達の焚き火だった。
 ルブーラム皇国での冒険を思い起こしながら、カータは意を決したように口を開く。
「カルディアナさんがどんな人だったのか。ボクもいつか、話さなきゃいけないと思ってたんだ」
 そして皆の視線が少年に注がれた。カータはスープを一口含むと、木製のスプーンを容器の上に置いて語り出す。
「カルディアナさんを一言で表現するなら、強いって言葉が一番しっくり来るような人だった。彼はとても強かった。本当に強い剣士だった。ボクは今まで、色んな剣の使い手を見てきたけど、カルディアナさんほど攻撃的な剣士を見たことがないよ」
 カータの脳裏に、彼の言葉がよみがえってくる。
(この国では、強さという名の力こそが正義なんだ。君には義務がある。僕の挑戦を受けるという義務がね)
(これだけは覚えておいてくれ。例えどんな事があったとしても、君が思い出した記憶の提供と、僕との決闘の約束は、必ず守って貰うよ)
 当時、『風纏う者』とまで呼ばれるようになっていたカータだが、しかし少年は自分のことを、勇敢な冒険者だと思ったことなど一度も無かった。それどころか自分は臆病で、戦いを極力避けるように立ち振る舞ってきた。カータにとって、慎重な選択と行動こそが、長く冒険者として活躍する為の秘訣だったのだ。
「でもね、カルディアナさんはただ強いってだけじゃない。どんなに味方が劣勢に立たされても、最後には必ず勝つっていう、そんな気持ちにさせてくれる人なんだ」
 そう、彼は自分とは全く正反対の人物だった。カータなら絶対に逃げ出すような強敵を前にしても、カルディアナは決して挑戦的な態度を崩そうとはしなかった。まるで自分の力を試すかのように、戦いの場へと身を投じていく。勇敢な冒険者という言葉は、まさに彼のような人物にこそ相応しい。カータは本気でそう思っていた。カルディアナの姿を思い起こすと、彼の言葉が次々に少年の記憶の中から溢れ出す。
(君はまだ知らないんだ。この国のたった一つのルール、力という名の正義の意味を)
(僕は、僕より強い人間が現れるのを、ずっと待っていたんだ。もしかしたらそれは、君の事かもしれないね)
(君には、僕を護る専属の側近になって欲しいんだ。自分よりも強い男に護られるなんて、そんな心強い事は無いだろう? 僕はね、本気で君の力が欲しいんだ)
 挑戦的かつ好戦的な皇軍の司令官カルディアナ。
 自分とは正反対の性格にも関わらず、カータは彼とよく馬が合った。否、むしろ正反対の性格だったからこそ、自分はカルディアナと意気投合したのかもしれない。それは目に見える表面的なものではなく、心の奥底で感じ取る潜在的なものだった。カータはずっと感じていたのだ。カルディアナという人物は一見、強気な態度を崩さないものの、本質的な部分では自分とよく似ているのではないかと。それは自分と異質なものでありながら、たましいの波長が噛み合うような不思議な感覚だった。
「強くて勝ち気で、でもおごってる訳じゃなくて、自分より強い相手に挑みたいっていう、挑戦者みたいな気持ちを常に持っていて、自分が一番強いことを証明したい。そう、彼はいつもそう考えていた。彼はそんな、どこか寂しそうなもろさを併せ持ってる人だった」

 ルーナリアはページをめくりながら、自分の中に潜む悪魔の名を探す。
 それは、ずっと囚われの身だった自分には、絶対に果たせない願いのはずだった。
 おりの外に飛び出して、竜の国を目指す旅。それも大好きなカータと一緒の旅など、どう考えても夢物語にしか思えない。これはまさに、自分が悪魔と契約を結んだことによって実現した、有り得ない現実なのだ。
 そしてルーナリアは思い出す。
 カータは自分を助け出す為に、もうすぐここまでやって来る。それはルーナリアにとって、この上なく嬉しいことのはずだったが、しかしカータと行動を共にしている茜色の髪の少女を水晶球で目撃した瞬間、彼女は恐ろしい悪魔の声を耳にしたのである。
 自分の心に直接語り掛けてくるその声を聞いた時、彼女は一瞬、また兄カルディアナが姿を現したのかと思ったが、それとは明確にたましいの形が異なっていた。兄があのような悪意を自分に向けて来るはずが無い。それはこれまで複数回に渡って姿を現した、優しい兄カルディアナのイセリアル体とは完全に異なる、異様な形をしていたのだ。
 トールは言っていた。
(そのたましいは余りにも巨大かつ邪悪過ぎる。通常そのような悪しき魂に侵蝕された者は、一瞬の内に体のみならず精神まで乗っ取られてしまうでしょう。もし今後、貴女の心が満たされぬ闇に囚われそうになったなら、その恐るべき悪魔は姿を現し、貴女を惑わそうとするでしょう。これを完全に制御する事は誰にも出来ません。貴女はもちろん、私にも)
 あの時、トールが何を言わんとしているのか、彼女には全く分からなかった。しかしルーナリアは今になって、その言葉の本当の意味を理解したのである。
(アイツには十分気を付けるんだよ、ルーナリア)
 そういえば兄もかなり以前から、自分に警戒を促していた。あれはトールのことではなく、自分のたましいに宿る悪魔に対する警鐘だったのだ。
 そしてルーナリアは更にページをめくる。それは七十二の王侯達を、図解付きで描いた分厚い学術書だった。だが、王侯と言ってもその姿は普通の人間のそれでは無い。地中から這い出したような気味の悪い地蟲ぢむしや、大山羊の頭部と四本の腕を持つ巨人など、恐ろしい姿をしたその七十二の王侯達こそが、地獄と呼ばれる別の次元で闇の軍団を率いる君主達であり、悪魔、あるいは魔神に類する異形の王達なのである。
 見るも禍々まがまがしい王侯達の絵図の中、ルーナリアはあの時見た美しい男性の悪魔を見つけ出し、その姿に目を奪われた。彼女はこのページに描かれた悪魔の姿に見覚えがあるどころか、声まで鮮明に蘇ってくる。
(正しき血統を持つ者よ、なんじたましいと引き換えに、の願い叶えて進ぜよう)
 間違いない。この悪魔こそ、ルーナリアの魂の中に居座り、あの時自分をそそのかした声の主に違いない。水晶球に映し出された茜色の少女を目撃して、嫉妬を覚えた自分を闇へといざなった悪魔。ルーナリアは、自分と契約を交わしたこの悪魔の名に指をあてがい、声に出してそこに記された名をつぶやいた。
「東の王の配下、二十六の軍団を支配する、序列七十番目の君主。大いなる貴公子……セレ」
 白い天馬にまたがり、自らも背中に翼の生えた悪魔セレは、貴公子の名が示す通り非常に整った容姿をしていた。その姿は皮肉にも、『銀の悪魔』との異名を持つ皇軍の司令官にしてルーナリアの兄、カルディアナを想起させる美しさである。

 カータは久し振りに彼のことを鮮明に思い出していた。カルディアナの姿形、彼が発する声とその身に纏った独特の空気。何をやらせても絵になる男だ。そしてカータは思い出す。カルディアナの顔と一緒に浮かんでくる、もう一人の美しい女性のことを。
(信念を貫こうとするのは、とても素晴らしい事だと思います。でも、多くの人はそれを成し遂げる事もなく、一生を終えてしまうのが普通。そしてそれを恥じる必要もありません。きっとほかの誰かが、その魔導師ラーダにも、苦言を呈してくれているでしょう。正しいことも、良いことも、他の誰かがやってくれれば、それで良いのではないでしょうか?)
 彼女のことを思い起こすと、カータは何故なぜか悲しい気持ちになってしまう。その女性はとても賢くて聡明だったが、世間知らずで無気力で、どこか浮世離れしたような雰囲気をまとっていた。
「あとカルディアナさんには、ルーナリアさんっていう双子の妹が居てね。ほら、ボクの夢の中に出てきて、カルディアナさんが今ライール神殿か学院書庫に囚われてるって教えてくれた人だよ。ルーナリアさんは本当にすごく綺麗な人で、ずっと外の世界に憧れていたんだ」
 千年という長い時の中を、世界から隔絶された塔に閉じ込められて過ごすというのは、如何いかほどのものだろうか。カータはそれを考えただけで、何とも言えない複雑な気持ちになってしまうのだ。
「外の世界に憧れていたって、どういうこと?」
 少年の口から「すごく綺麗な人」という言葉が飛び出したのが気になって、マーヤはその詳細を聞き出そうとする。カータは少女の気持ちもつゆ知らず、彼女に言われるがままルーナリアの言葉を思い返した。
(わたしは昔、天翔あまかける大河の話を古い母から聞かされました。わたしはずっと、その話に登場する遠い世界に思いを馳せて、将来そこに行くことを夢見ていたのです)
(天空を二つに分断する、星屑の光で区切られた境界線。母の話によると、そんな天翔る大河を越えたその先に、元々わたしが住んでいた世界があるのだそうです)
 彼女が語る言葉はどこか、あきらめにも似た現実味の無さがあり、カータにはそれがとても歯痒く感じられたものだ。本来、夢というものは、自分の手で叶えようとする目標のようなものである。少なくともカータは、そうあるべきだと考えていた。しかしルーナリアが口にするそれは、絶対に叶わないことを前提にした、どこか他人事のような諦念ていねんに満ちた虚しさを伴ったものだった。
「もともとルブーラム皇国は、あまり外の人と関わらない閉鎖的な国だったけど、ルーナリアさんはその中でも特に異質な人だった。彼女は月光の塔っていう海の真ん中に建てられた塔の中で、ずっと独りで本を読んで過ごしてたんだ。けど、いつか外に出て、天翔あまかける大河を越えたその先にあるっていう、自分の生まれ故郷に行ってみたいって。千年っていう気が遠くなるような時間の中で、ずっとそう願ってたんだ」


 ルーナリアの頬に透明な雫が伝ってこぼれ落ちていく。
 それは大きく広げられた学術書の上にしたたり落ち、そこに描かれた悪魔の絵図の中に少しずつ染み込んでいった。
「涙? わたしは、泣いているの?」
 なぜ突然、涙が溢れ出してきたのか、彼女には理由が分からない。急に胸を締め付けるような不安に駆られてしまい、ルーナリアは自然とその頬を濡らしていた。
「わたしは何に怯えているの? 孤独には、慣れているはずなのに……」
 彼女は千年という気が遠くなるような長い時間の中、ずっと独りで過ごしてきた。だとすればこの不安と涙は、孤独への恐怖や怯えに対するものでは無いはずだ。そう思った時、彼女は自分の涙が染み込んでいく、悪魔の絵図に視点を落とした。
「わたしは悪魔を恐れているの?」
 彼女は悪魔契約者として、悪魔セレにたましいを捧げた身。自分のけがれた魂の中には、この邪悪な悪魔が隠れ潜み、常に自分の心を蝕んでいる。あの時、暗い感情に囚われそうになったルーナリアの耳元で、悪魔はそっとささやいた。呪え、憎め、殺せ、と。
「違う。わたしは悪魔が怖い訳じゃない。わたしはずっと望んでいた。いつか、自由になりたいと」
 悪魔と契約を結んだ者は、自分の願いを成就することと引き換えに、例外なく悲惨な末路を辿ることになる。だが不思議なことに、ルーナリアは自分の未来に対する不安はあまり感じていなかった。悪魔との契約によって、絶対に叶わないと思っていた自分の願望が実現したのだとしたら、それは彼女にとって歓迎すべきことだったのだ。例えその先に、悲劇が待ち受けていたとしても構わない。ルーナリアはそれが刹那的せつなてきな喜びであったとしても、国を出て、カータと共に世界を旅したいと自ら望んだのである。
(ルーナリアは、カータのことが好きなのかい?)
 その時ふと、兄の言葉が脳裏に蘇る。
 彼女にとって絶対的な存在だった兄カルディアナ。かつて兄にそれを問われたルーナリアは、まだ自分の気持ちの整理が付かず、こう答えていた。
(分からないの。これが、そういう気持ちなのかどうかも)
 しかし今ならハッキリと分かる。自分はカータのことが好きなのだ。千年間ずっと独りで過ごしてきたルーナリアは、孤独に慣れているはずだった。しかしカータの存在が、自分を変えてしまったのである。彼女はもう、孤独では居られなくなってしまったのだ。
「お兄さまの言う通り、わたしはカータのことが好き。だから、独りでいるのが怖くなってしまったんだわ」
 なぜ自分は、こんなにも不安に駆られているのか。
 なぜ悪魔は、あのとき自分をそそのかしたのか。
 その理由を彼女は唐突に理解してしまった。
 ルーナリアが本当に叶えたいと思っている願望は、最終的にそこに帰結していたのである。
「わたしは、カータを独り占めしたい」
 そして彼女は、その願望を口にした。これで全ての辻褄が合ってしまうのだ。だから、彼と楽しそうに談笑する少女の姿を目にした瞬間、その娘に対して抑えようの無い嫉妬心が溢れ出してしまったのである。
 一度溢れた水は元に戻すことが出来ないように、時をさかのぼって過去に戻ることなど、誰にも出来るはずがない。ルーナリアは自分の心の中に一度芽生えた感情を、無かったことになど出来なかった。
 悪魔セレはそこに付け込んでいるのだ。
 それは誰にもあらがえない力だと、魔導師トールは言っていた。悪魔契約者である自分が迎える結末が、どのような悲惨なものであったとしても構わない。しかし、カータを巻き込むことだけは、何としても避けなければならなかった。
 そして彼女は少しずつ疑問を感じ始める。
 なぜ自分は、兄カルディアナの名をかたっているのだろうか、と。今や皇都は陥落し、女皇も崩御してしまった。もう自分を縛るものは、何も無いはずである。カータを好きというこの気持ちは、嘘偽りの無い真実で、あとはそれを伝えれば良いだけなのだ。
 カータを好きになる女性が現れたとしても、それは当然のことだろう。彼ほど魅力的な男性を、好きになるなという方が無理というもの。それならカータを誰にも取られないように、自分がしっかりとつかまえておけば、それで全て解決するはずである。
 その答えに辿り着いた瞬間、彼女は不思議な安心感に包まれて、まるで力尽きた戦士のように意識を失った。兄カルディアナの名を捨て、ルーナリアとしてカータに想いを告白する。それは自分のたましいに巣食う悪魔のささやきに対抗する、唯一にして最大の手段に違いない。ルーナリアはそう信じて疑わなかった。
 上体を前に倒し、机の上に突っ伏したまま寝息を立て始めたルーナリア。
 そこに一人の魔導師が現れると、自分が身に纏っている紫苑しおんいろのローブの上着を取り、それをそっと彼女の肩に掛けた。そのとき魔導師は、ルーナリアの頬に残された涙のあとに気付く。そこに広げられたページを見て大きく頷いた魔導師は、小声でそっと彼女にささやいた。
「ご安心なさい。星はを宿して、貴女の元に舞い降りる事でしょう」

 少年の言葉を聞いたカーリーは、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にする。
「ちょっと待ってくれ。カルディアナという男は、ルブーラム皇国の司令官だったのだろう? ならばルーナリアという双子の妹も、それ相応の身分だったはずだ。それなのに何故、彼女はそのような場所に閉じ込められなければならなかったのだ?」
 それは当然の疑問だった。ルーナリアの立場を説明するのはとても難しい。彼女はこうも言っていた。
(わたしは、この檻の中に囚われているのではなく、この檻の中で護られているのです)
(今までも、多くの人がわたしの命を狙ってきました。女皇と兄は、そんなわたしを護ってくれています)
 カータは彼女の言葉を借りながら、考えを巡らせながら口を開く。
「ルーナリアさんは常に命を狙われてて、だから月光の塔から出られないって言ってた。カルディアナさんは彼女のことをずっと護ってたんだ。ボクはそんな二人を見て、いつかルーナリアさんが塔から出て、自由になれる日が来ればいいなって思ってた。そうすればカルディアナさんも広い世界に出て、ボクなんかよりずっと強い相手と戦えるし、ルーナリアさんも自分の故郷を探しに行けるんじゃないかなって」
 カルディアナは言っていた。彼は皇軍の司令官として自由を与えられていたが、それは本来の意味とは遠くかけ離れた、まやかしの自由だということを。
(僕は呪いによって、この土地に縛られているんだ。前にも言ったように、僕は別にこの国の文化とかそういうの、心底どうでもいいと思っているよ。でも僕は、この国から離れられない。それこそ、ルーナリアが入っている鳥籠の中に囚われているみたいにね)
 その後、レグナムオン共和国の地母神軍による侵攻が始まり、カータは激しい戦禍に巻き込まれていった。
「戦争が始まる直前、ボクはカルディアナさんに頼まれて、彼の側近になった。でも戦争は、ボクが想像していた以上に激しさを増して、月光の塔もめちゃくちゃに壊されちゃったんだ。そこに居たはずのルーナリアさんも、どうなったのか分からない。でもあの惨状だと多分……」
 そう言って少年は言葉を詰まらせた。その話に耳を傾けていたディネリンドは、思い出したかのように口を開く。
「そういえば少し前、冒険者ギルドでも話題になっていた。レグナムオン共和国の地母神軍がルブーラム皇国に侵攻、難攻不落の皇都パトリシアが陥落したと。しかし地母神軍は皇都攻略に成功したものの、レグナムオンの指導者が消息不明になり、皇都では今も混乱が続いているらしい」
 カータはエルフの楽師に相槌を打って、彼女の言葉を肯定した。
「それはもう酷い戦いだったよ。戦争の結末を見届けたボクは、カルディアナさんと一緒にルブーラム皇国を離れて、この魔法王国テロメニアにやって来たんだ」
 するとマーヤが首をかしげながら、率直な疑問を口にする。
「う~ん、よく分からないわね。あたしはてっきり、そのカルディアナって人はカータの友達か何かだと思っていたのに、今の話を聞いてると、彼は遠い異国の身分が高い司令官で、カータはその側近だったって言うじゃない? 結局カータは、そのカルディアナって人とどんな関係だったの? ただの従者だったってこと?」
 それはマーヤにとって当然の疑問である。カルディアナの話はこれまでも幾度となく聞かされてきたが、カータはまるで強い信頼関係で結ばれているかのように、彼のことを語ってきた。しかし少年がただの従者だったとすれば、危険を冒してまで彼を助けに行く必要など、どこにも無いのではないだろうか。マーヤには、そう思えてならなかったのだ。
 カータは目が見えない少女にじっと見つめられているような気がして、何とも言えない居心地の悪さのようなものを感じていた。実際、自分とカルディアナの関係をどう説明すれば良いのか。カータ自身、明確な答えを出すことが出来なかったのだ。そして少年は、考えが纏まらないまま口を開く。
「それが、ボクにもよく分からないんだ。確かにボクは、カルディアナさんの側近になることを約束したけど、ディネリンドさんが言ったように皇都が陥落した今はもう、カルディアナさんは皇軍の司令官でも何でも無いってことになるよね? そしたらボクとカルディアナさんの関係って、どうなるのかなって。もしかしたらボクは、それを知りたくて、カルディアナさんを助けたいって思っているのかもしれない」
 そこまで言ったところで、カータは一度深呼吸するように大きく息を吸い込むと、更に言葉を付け加える。
「でも、これだけは言えるよ。カルディアナさんは、ボクをやる気にさせてくれる、ボクにとって特別な人なんだ。ほら、そういう人って居るでしょ? 自分には到底マネ出来ないことを、平気でやってのけちゃう人。ボクは多分、そんなカルディアナさんに、憧れてたんだと思う」
 まるで夢を語るようにそう話を締め括ったカータに対して、マーヤは複雑な表情を浮かべながらも、躊躇ためらいがちに問い掛ける。
「カータ、あなたってもしかして、その……」
「うん? なに、マーヤさん?」
 少年はキョトンとした表情を浮かべて首を傾げた。
「だから、その……カータは、カルディアナって人のことが、好き……なの?」
「うん、好きだよ」
 臆面もなくそう答えたカータに対して、マーヤは突然大きな声を上げる。
「やっぱり! もしかしたらそうかもしれないって、うすうす思ってはいたけれど、あなたって実は、男の人が好きなのね?」
「え? え? どういうこと?」
 急に過剰な反応を示した少女を見て、カータは意味が分からず聞き返す。
「だから、カータの恋愛対象は、実は男性だったってことでしょ?」
 恋愛対象という明確な言葉を聞いて、ようやく彼女の言葉の意味を理解したカータは、小刻みに首を横に振ってそれを全力で否定した。
「ううん、それは違うよ。憧れって言っても別に、そういうのじゃないって!」
「ほ、本当に?」
「うん。それは誤解だよ。ボクは別にカルディアナさんのことを、そんな風に見てる訳じゃない。そうだなぁ。ボクにとってカルディアナさんは、仕えるべき高貴な人で、でも友達でもあって、そしてライバルでもあるって感じかな。うまく言えないんだけど、いつか彼のようになりたいっていう、ボクにとっての目標みたいな人なんだ」
 それを聞いてマーヤはホッと胸を撫で下ろした。もちろんカータの言葉に嘘はなく、彼は同性を恋愛対象として見ている訳ではない。たとえ女性であったとしても、美しい女性に目を奪われることがあるように、男性から見てもその魅力を認めざるをえない男性は、普通に存在するものだ。
 場がひとまず収まったのを見て、エルフの冒険者が口を開いた。
「風纏う者の言いたい事、俺には分かるぞ。まさに、今の俺がそうだからな。人は大抵、自分に無い要素を持った人間に、強くかれてしまうものだ。花の戦士よ、たとえば貴公も、同性を魅力的に感じることがあるだろう?」
「えぇ、そうね」
 茜色の少女はカーリーの言葉に素直に頷く。実際、ディネリンドの歌声を初めて聞いた時、マーヤは彼女に強く惹かれたものだ。すると、すぐそばで話を聞いていたディネリンド本人が、まるで呆れたような口調で言葉を挟む。
「そんなこと聞くまでもない。マーヤは私から見ても、十分に可愛いのだから」
 その飾り気のない言葉は破壊力十分だった。マーヤは思わぬ不意打ちを受けたかのように、顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
「そういう事だ。男でも男に憧れることはある。風纏う者よ、貴公が言いたかったのは、つまりそういう事なのだろう?」
「うん。その表現が、一番しっくり来るよ」
 少年は大きく頷いてみせた。それを見てカーリーは満足そうな笑みを浮かべると、まるで自分の決意を表明するかのように言葉を付け加える。
「貴公にそこまで思わせる、カルディアナという男。俺も会いたくなってきたぜ」
 そして冒険者達は全員が食事を終えると、手分けしてそれらを片付け、見張りの順番を決めてとこき始めた。今が昼なのか、それとも夜なのかは誰にも分からない。だが全員が感じている独特のまぶたの重さは、かなり遅くまで彼等が語り明かしたことを、如実にょじつに物語っているようだ。
 カータは自分の寝床がマーヤと一緒になっていることに驚き、まずはそれを別々にする作業に追われたものの、仲間が四人になって野営が楽になることを心から歓迎していた。明日はいよいよ、魔法学院跡地に足を踏み入れる。その先にある学院書庫に、カルディアナが囚われているのだ。

次回、テロメニア魔導記3『覚醒者の歌声』
(連載第五回)ポーラの眼は、5月11日(土)更新予定です!
お楽しみに!


よろしければサポートお願いします! 私の創作活動は、皆様のサポートによって支えられています!