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【随筆】回天・水中特攻隊―最期の言葉

 テーブルの上に作りかけの折鶴がひとつ置かれていた。おそらく妻だろう。私は鶴を完成させ、その純白の羽を精一杯広げてみた。頭と尾は凛と立ち、今にも羽ばたくのではないかと思えた。その時、蝉しぐれをかき消すかのように、町内放送がはじまった。上気していた私の身体は、徐々に鎮まり、窓からのわずかな涼気に目を閉じた。
 八月六日の朝である。「黙祷」の響きはその背負う歴史の分だけ重い。原爆により多くの人が一瞬にして消え、後遺症に何十年も苦しむ人がいる。
 かつてトルーマン大統領は両国の犠牲者を最小限にするために原爆投下を決行したという。また、ある者は、ソ連への牽制であり、アジアを守るために必要だったという。しかし、いかなる理由があろうとも許されることではないのではないか。私は難しい政治のことはわからないが、原爆が正しかったとは到底思うことはできない。学者のような立派な根拠はなくとも、魂の次元において、そう思えるのである。
 折鶴の片羽がテーブルに触れている。もとに戻してやると、また傾いた。私の折り方が悪かったのだ。妻の帰りが気になり、窓から顔を出すと、遥か上空に白い尾を長く曳きながら飛行機が飛んでいる。その時、急に私の感傷的な心を切り裂くように、忘れてはならないひとつの事実が思い出された。特攻隊である。戦争は原爆のみならず多くの悲劇を生み出した。空に散り、海に散った若者たちの魂の慟哭が言霊となって響き渡っている。安穏と暮らしている私にできることは何か。私はパソコンにむかった。
 帰ってきた妻に折鶴をみせると、まあ綺麗ね、といった。

 回天は、初め丸六金物として極秘裡に製作が進められ、初めは脱出装置をつける構想があったが中止となり、人間魚雷として必死兵器に使用されるに至った。
 全長一四・七五メートル、直径一メートル、重量八・三トン、炸薬量一・五五トン、一人乗りで、母艦の潜水艦に四基ないし六基が搭載された。
 初めは泊地の艦船攻撃であったが、洋上航行の艦船攻撃に移行した。特攻戦死者名簿には、搭乗員一〇四名が記録されている。
 遺詠として採録したのは八二人、一一七首である。
(『特攻隊遺詠集』財団法人特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会編より)


 特攻という決死の作戦は、昭和十九年十月、第一特別神風特攻隊による空母二、巡洋艦一撃破の戦果に端を発し、航空特攻比島作戦、沖縄作戦、B29体当たり特攻、空挺特攻、水上特攻、水中特攻と多くの作戦が考案、実施された。特攻隊員の大半は、二十代前半の青年であり、その若き命を国のため、家族のため、仲間のために捧げたのである。
 
 本稿は、特攻を肯定、否定するものではない。そして、散華した青年らを美化するものでもない。戦争の美化は尚更である。また、特定の指導者、政治家、軍人を批難するものではない。世論において、様々な見解はあるだろうが、私にとって最も重要なことは、特攻隊員の高潔なる覚悟を感得し、後世へ伝えることである。身命を賭して戦った青年らを前にして、如何なる議論が必要であろうか。特攻精神が正しいか否か、靖国神社を参拝すべきか否か、といった議論が一体何のためになるのだろうか。論理ではなく、只々心のうちに立ち上がる純然たる働きを大切にすべきと私は感じている。誰かが傷ついて、心の痛まない人はいないだろう。政治的理由における冷酷さはまやかしであって、人の本性ではないはずである。集団的意識や精神病質等の様々な学問からの定義も、知識階層の呪縛であって人間の真実ではないはずである。死地へ向かう青年らの姿を想像し、善悪の価値判断から離れ、辞世の歌に涙する、それのみで十分なのではないだろうか。勿論、何も感じることができなかったという方がいても、それは間違いではなく真実である。言葉とは他を強制したり、支配するためのものではないからである。
 
 以下、財団法人特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会編『特攻隊遺詠集』より、回天・水中特攻隊のいくつかの遺詠(辞世の短歌)を引用し、死地へ向かう若者たちの思いをお伝えする。ただし、その辞世が青年らの本音、つまり純然たる「真実」であるか否かは読者各人の判断に任せることとする。なぜならば、特攻隊は日本文化の精神と密接に関わり、「志願」か「命令」か、遺族の幸いのために、名誉ある死を選ばざるを得ないことも考えられるからである。本稿が徒に特攻精神を美化する立場にないことをお含みおき願いたい。平和を願い、未来永劫、平安清明なる世界が実現することを切に願うばかりである。
 また、私個人の解釈はあくまで現代語に親しむ読者皆様の読みやすさを考えたためであり、曲解を促すものではない。尚、遺詠の選は特攻隊員の様々な思いを幅広くお伝えできうるものにした。それは、私個人の独断と偏見ではあるが、散華した特攻隊員へ哀悼の誠を捧げんとする強い意志のもとである。

 
 我が母の心籠りしおむすびを押しいただきて香を懐かしむ 宇都宮秀一
 少尉、二三歳、石川、東大予学三期、菊水隊イ三七潜、回天、パラオ、コソスル水道
 私の母が握ってくれた、心のこもったおむすびを、うやうやしく受け取って、その香りを懐かしく思う。


 この身をば南の波にくだくとも魂は永久に国を護らん 原敦郎
 中尉、二五歳、長崎、早大予学三期、金剛隊イ四七潜、回天、ニューギニアホーランディア
 特攻により、この我が身を南洋の波に砕いたとしても、魂は永遠に祖国を護り続けるだろう。


 生もなく死もなき境地今の吾念ふは一つ国の事のみ 都所静世
 中尉、二一歳、群馬、海機五三期、金剛隊イ三六潜、回天、ウルシー泊地
 生きている実感もなく、まだ死んでいるわけでもない今のこの境地に、私が思うことは祖国のことのみである。


 若き日の夢は朝露に似たれども暫しとどめよ白菊の花 吉本健太郎
 中尉、二一歳、山口、海兵七二期、金剛隊イ四八潜、回天、ウルシー海域
 若い頃の夢は朝露に似てはかないものであるけれど、少しの間だけでもとどめておいてほしい、白菊の花よ。


 物言はで我も得言はず別れ来し父なつかしく思ふ蝉の音 塚本太郎
 少尉、二一歳、茨城、慶大予学四期、金剛隊イ四八潜、回天、ウルシー海峡
 お互い何も言わずに、別れ来てしまった父を懐かしく思う、蝉の音を聞くと。


 親のため惜しむ命を君のため捨つべき時に捨つべかりけり 矢代清
 二飛曹、一九歳、東京、甲飛一三期、多々良隊イ五六潜、回天、沖縄慶良間列島海域
 親のために惜しく思うこの我が命を、天皇のために捨てるべきときに捨てるべきであった。


 血のにじむ整備の努力無にはせじ有難う整備の戦士(ひと)よ有難う 海老原清三郎
二飛曹、一八歳、東京、甲飛一三期、天武隊イ三六潜、回天、沖縄海域
血のにじむような整備の努力を無駄にはしない。ありがとう。整備の戦士よ、ありがとう。


 敵艦に当たりて果てむ大丈夫は寝顔静かにほほえみにけり 前田肇
 中尉、二一歳、福岡、福岡第二師予学三期、天武隊イ四七潜、回天、沖縄南方海域
 敵艦に当たって死に果てた男子は、寝顔穏やかに微笑んでいることであった。


 気は澄みて心のどけき今朝の空散りゆく身とはさらに思わず 川尻勉
 一飛曹、一七歳、北海道、甲飛一三期、多聞隊イ五三潜、回天、沖縄海域
 空気は澄み渡り、心の落ち着いている今朝の空。特攻で散る我が身とは、改めて思わない。



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