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【童話】緑のない色えんぴつ


 二十年ほど昔、五月をむかえても肌寒い年がありました。ゴールデンウイークにそぐわない雨がふり、都会のマンションで暮らすアキラくんは、家の中でお絵かきをしていました。
「ねえ、緑の色えんぴつ知らない?」
「知らなーい」
 つみ木遊びをしている弟のタカシくんは、そっぽをむいて答えました。
「昨日使ってたでしょ」
「その時はあったもん」
 すると、アキラくんはつみ木遊びのじゃまをして、せっかくできた小さなお城をこわしてしまいました。
「お母さん! お兄ちゃんがいじめる!」
「悪いのはタカシだよ。緑の色えんぴつをなくしたんだ」
「僕じゃないよ、知らないよ」
 そして、タカシくんがわーわー泣きはじめると、お母さんは「すぐに人のせいにしないの」とアキラくんを叱りました。
「だってさぁ・・・」
 何かを言いかかったアキラくんは、下をむいて泣きべそをかきました。
 その様子をよこめで見ていたお父さんは、ひろげた新聞を閉じると、いきおいよく立ちあがりました。
「よし、緑を探しに行こう」
「あー! 犯人はお父さんじゃん」
「ちがうぞ。犯人は五月の・・・神様だ」
 すると、お父さんは緑のない色えんぴつを手に取り、一本ずつテーブルの上に並べはじめました。緑があれば十二色なので、その時は十一本です。
「四月は桃、八月は赤、十一月は茶、六月は梅雨だから水で、一月は・・・紫かな」
 お父さんは分かりやすいところから当てはめてゆき、最後にいくつか場所を入れ替えました。左から五番目は空いていました。つまり、緑が五月です。
「お父さんが言いたいことは分かるかな?」
「分かんないよ」
「きっとな、五月の神様が眠っているんだよ。だから今年はまだ寒いし、緑の色えんぴつが消えちゃった。探しに行こう」
「どこへ?」
「おじいちゃん家の近くにある山」
「えー! やだよー」
 アキラくんは嫌がりましたが、弟のタカシくんは「行く行く」とお父さんにひっつきました。
「アキラも行こう」
「お兄ちゃんは山が怖いんだよー」
「ちがう。行きたくないだけ」
「楽しいぞー。とうげからの景色が最高なんだ。それに、おじいちゃんが待ってるよ」
 少し考えたアキラくんは、ふくれた顔のまま「じゃあ行く」と言いました。


 遠い田舎で一人暮らしをするおじいちゃんは、お父さんのお父さんです。家のまわりは“神様のかくれが”と言い伝えられています。山にかこまれた里の真ん中に、大きな湖があり、その水は青くすみわたっています。土を踏みかためた道と手つかずの自然も多く残り、風薫るころはアヤメの花が咲きみだれます。
 そんな昔ながらの景色に、アキラくん一家はお父さんの運転する車で、五月四日のよく晴れた昼前にやって来ました。背のひくい家々のあちらこちらで、たかだかと鯉のぼりが泳いでいました。湖にはのどかに手こぎボートが浮かんでいました。
 そして、おじいちゃん家に着いた時、助手席のお母さんの後ろにすわっていたアキラくんは、車酔いをしていました。
「元気だったかい?」
「元気いっぱいぱーい」
 車から飛びおりたタカシくんとは対照的に、アキラくんは首を横にふりました。
「は、吐きそう」
 久しぶりに会ったおじいちゃんは、わっはっはとごうかいに笑い、家の奥から湯おけを持ってきました。

 昼ごはんのあと、アキラくんが元気を取りもどすと、おじいちゃんは「庭に鯉のぼりを立てよう」と言いました。登場したのは黒、赤、青、黄、紫の五人家族の鯉のぼりでした。
「青は僕」
 タカシくんが真っ先にそう言うと、どちらが青かで兄弟げんかになりそうでしたが・・・
「お父さんは赤だ」
「え!? ちがうでしょ」
「赤はおじいちゃんだ」
「え!? もっとちがう」
 みんなで大笑いして、兄弟はけんかになりませんでした。
 
 そして、よく手入れされた庭の真ん中に、わきあいあいと鯉のぼりが立てられました。
「よし、次はたんけんだ」
 兄弟とおじいちゃんの三人は、湖の近くに歩いてゆきました。


 次の日は、うす曇りの空でした。朝からいよいよ山のぼりです。兄弟とお父さんの三人は、車で湖の向こう岸にある山までやってきました。
 つづらおりの坂道を走っていると、葉っぱだらけのトンネルが見えてきました。大きな丸い入り口です。
「鯉のぼりの口みたい!」
 アキラくんはそう言いました。トンネルの長細いお腹の中は、葉っぱが魚のうろこのようにつらなっています。しっぽに向かうのぼり坂を通りぬけた先には、小さな駐車場がありました。
 そこで車をとめると、三人はとうげを目指してのぼりはじめました。草と草のあいだにのびる山道です。
 嫌がっていたアキラくんも、来てしまえば楽しい気分になりました。弟のタカシくんと一緒に鼻歌を口ずさみ、ぴょんぴょん飛びはねるようにのぼりました。
 ところが、二人ともだんだん表情が暗くなりました。足取りが遅くなりました。「まだなの?」と、くり返しお父さんに聞きました。
「あともう少しだ。頑張ろう」
「もう少しもう少しって、さっきも言ったじゃん」
「お父さんの嘘つき」
 兄弟はぶーぶー言いながら、お父さんのあとに続きました。

 “とうげ”の語源は“たむけ”です。ようやくたどり着くと、丸みをおびた大きな石がありました。お父さんが手を合わせている時、また元気になった兄弟は走りまわっていました。
「こら、ばちが当たるぞ」
 兄弟はそう言われてから手を合わせ、少しのあいだ目をとじました。
「見てごらん。素晴らしい景色だ」
 とうげからは、大きな湖とそのまわりの家並みを見わたすことができました。アキラくんは子ども用のそうがん鏡をのぞき、お父さんが指さした場所を見ました。
「おじいちゃんの家だ!」
 五人家族の鯉のぼりが、気持ちよさそうに泳いでいました。ほかの家の鯉のぼりも、仲よく色とりどりに並んでいました。
「僕も僕も」
 そうがん鏡を持っていないタカシくんは、「早く見せて」とねだりました。
「さて、この景色を絵に残そう」
 お父さんはリュックサックの中から、三枚の白い色紙とひらたい缶に入った色えんぴつを取り出しました。
「家から持ってきたの?」
「そうだよ」
 お父さんは色えんぴつをアキラくんに手わたして、缶のふたを開けさせようとしました。実はこの時のために、ぶんぼうぐ屋さんでこっそり緑の色えんぴつを買っておいたので、十二色そろっているはずでした。
 ところが、驚いたのはお父さんでした。入れたはずの緑が消えていたのです。
「あれえ?」
「どうしたの?」
「いやあ・・・不思議なことって本当にあるんだなあ」
 お父さんは子どものように、わくわくした顔をしていました。

 三人がそれぞれ緑のない絵をかきました。最後までかいていたアキラくんが、背おっていたリュックサックに色えんぴつをしまいました。
 そして、お母さんの作ったお弁当を楽しく食べました。デザートとして最後に手をつけたのは、柏の葉っぱにくるまれた白いおまんじゅうです。
「柏餅はこどもの日に食べるんだぞ」
「なんで?」
 それに答えるお父さんの話を、兄弟は興味しんしんで聞きました。

 山くだりは、兄弟が競い合うように前をゆき、後ろから「ゆっくりゆっくり」と言われても、どんどん先を急ぎました。お父さんよりも早く駐車場にもどり、すごいでしょと自慢するつもりでした。来た道は一本道で、迷うはずがありませんでしたが・・・
「あれ?」
 アキラくんは異変に気づきました。だんだん道幅が狭くなったのです。のぼった時はこんなに細い道ではありませんでした。
「あ、お兄ちゃん怖いんだ」
「ちがう。怖くない」
 意地をはって進むほど、うす暗く、息苦しく、おいしげる草がたかい壁のようになりました。
 とうげに向かって引き返すと、また別の道に迷い込んでしまいました。ぐるりと見回しても草ばかりで、しだいに向かっている方向が分からなくなりました。すると、わんわん泣きはじめたのは弟のタカシくんです。
 タカシのせいだろ!
 アキラくんはそう出かかった言葉をのみこんで、タカシくんの手を取りました。
「お父さーん! お父さーん!」
 アキラくんは必死に叫びました。汗びっしょりになりました。通れる道をひたすら進んで、お父さんの姿を探しました。

 やがて、ひらけた景色が遠くにちらりと見えました。草をかき分けてたどり着いたのは、車が一台だけ通れそうな土の坂道でした。バス停のような丸い看板が立っていて、そこには愛らしいカメの絵がかいてありました。
 アキラくんが首をかしげると、カメのこうらを背おった小さな車がゆっくり下から走ってきました。びしっとスーツを着たおじさんが運転していました。 
 手をつないだ兄弟の横を通りすぎようとした時、「止まってくださいな」と優しい声がかかりました。窓の開いた後ろの席には、桃色のベールをはおったお姉さんが乗っていました。
「坊やたちは五月を待っているのかしら?」
「五月と・・・お父さんを探してます」
「あらあら、迷子ですか。今年の五月と同じですね」
 タカシくんは何も話せませんでしたが、アキラくんはお父さんの車がある駐車場をいっしょうけんめい説明しました。聞いていた運転手さんは首をひねりました。
「すぐに分からなそうですね。少しこちらで待っていてくださいな。私は今から、五月をおむかえにあがります。どうやら彼、五月病と言っているみたいで」
「五月・・・病?」
「ご心配なく。すぐに治りますから。人間が作り出した言葉に影響されたんですね。そういえば最近、弱虫なんて言葉も耳にしましたけど、そんな虫を私は知りません。坊やたちは知っていますか?」
 首を大きく横にふったのは、タカシくんです。そして、つないだ手をぎゅっとにぎりしめました。
「それでは、またこちらで。ごきげんよう」
 お姉さんがにっこり笑うと、カメの形をした車はのそのそと坂道をのぼってゆきました。

 兄弟はリュックサックをおろして、丸い看板の横にしゃがみこみました。お姉さんの言葉を信じて待ちました。道の向こう側はふかい谷底です。風はざわざわと葉音を立てました。人も車も通りませんでした。
「お兄ちゃん、まだかな・・・」
「もう少しだよ」
 アキラくんはまるでお父さんを真似るように、もう少しを何度も言いました。タカシくんは文句を言わず、じっと大人しくしていました。
 兄弟が手を取り合えば、どちらも弱虫なんかではありません。
 
 しんぼう強く待っているうちに、だんだん空が晴れてきました。ぱあっと力強い日差しがあたりを照らして、緑という緑が色あざやかになりました。まさに五月の息吹です。
 しばらくすると、木もれ日の坂道をくだってくる車が現れました。またもカメのような足取りで、こうらの緑が光っていました。
「おう、坊やたち。休んでいて悪かったね。話は聞いているよ」
 助手席の窓から顔を出したのは、緑のジャケットを着たお兄さんです。
「五月さんですか?」
「はっはー! そう呼ばれているとは思わなかったよ。まあ、後ろに乗りたまえ」
 アキラくんが車のドアを開け、兄弟は素直に乗り込みました。車の中はクリーム色です。
「坊やたちの家はどこかな?」
「帰る前にお父さんを探さないといけません」
「家にいれば、いずれお父さんも帰ってくるさ」
 アキラくんはどうすべきか考えたすえ、「家は湖の向こう側で、五人家族の鯉のぼりがあります」と答えました。タカシくんは大きくうなずきました。
「鯉のぼりかー。今日はたくさんあるぞー。そうとう珍しい色か形でないと・・・おっ、そうだ。絵をかいてくれよ」
 お兄さんはそう言うと、自分の髪をぷちんと一本抜きました。髪をつまんだ手をすばやくふり、なんとそれを一枚の紙に変えました。そして、助手席の脇から木の下敷きを、胸ポケットから緑の色えんぴつを、ささっと出しました。
「あっ、緑」
 受け取ったアキラくんは、葉っぱだらけのトンネルを思い出しました。
「そうだ。緑の葉っぱの鯉のぼり」
 丸い口を開けたあの緑のトンネルをかきました。葉っぱがうろこの大きな鯉のぼりです。
「ここです。この近くの駐車場にお父さんがいます」
「はっはー! あそこか。分かったよ」
 だまっていた運転手さんが親指を立てると、車はのっそり動き出しました。空いていた窓がすべて閉まりました。
「坊やたち、焦ることはないぞ。こうして窓を閉めてしまえば、外の時間は止まっているようなものさ。つまり、この車は今、ゆったり走っているように見えて、実はものすごく速い」
 兄弟は不安げに顔を見かわしました。
「楽しもう。今日は子どもの日だろ? 夢の世界を見せてあげるよ」
 さっきまで病気だったはずのお兄さんは、さわやかな笑顔でした。

 やがて、タカシくんは疲れて眠ってしまいました。のんびり坂道をくだり続けるうちに、アキラくんの不安は大きくなりました。あのトンネルはもっとたかい場所にあったからです。お母さんの忠告を思い出しました。
 知らない人の車に乗っちゃだめ。
「すみません。道をまちがえているかと」
「うん。そうだよ」
「え? じゃあもどってください」
「いや、だからね、特別なものを見せてあげようと思ってさ」
 すると、口をきかない運転手さんが、また親指を立てました。

 結局、山のふもとまでおりてしまい、湖にまっすぐ向かいました。人通りのない道をまがらず、そのまま砂浜に立ち入った時、タカシくんが目を覚ましました。
「さあ、湖にもぐるよ」
「ええ!?」
 車は水しぶきをたて、ぶくぶくと沈みました。兄弟はそろって息を止めました。
「はっはー! 大丈夫だよ」
 兄弟が目を開けると、車はしずかに速度をあげ、ふかい湖の中をすいすいと泳いでいました。みなもから日差しがふりそそぎ、真っ青な水の世界は宝石のようにかがやいていました。緑のじゅうたんがひろがる浅瀬では、そのかがやきがエメラルドに見えました。
「わあ! お魚になったみたい」
 車とつれだって泳ぐ魚は、色とりどりの美しい鯉です。数匹が窓の横でぱくぱくと口を開けました。
「ようこそ、だってさ」
 兄弟は見るものすべてに感動して、水の世界にひたりました。

 ゆうらんの旅をしばらく続けていると、遠くに無数の葉っぱが現れました。しだいに集まったそれは、鯉のぼりのような筒状の形になり、ゆらゆらと泳ぎはじめました。頭の先からしっぽの先まで緑です。
「さあ、そろそろお別れだ」
 お兄さんの一声で急加速した車は、その丸い大きな口に向かって・・・

 通りぬけた場所は、山の中ほどにある緑豊かなトンネルです。兄弟にとって、そこは見覚えのある景色でした。
「ああ、ここだ! 駐車場はあっち」
 運転手さんが親指を立てました。助手席のお兄さんはいなくなっていました。
 そして、目指していた駐車場に入ると、お父さんの車がそのままありました。がやがやと人だかりができていました。
「今日はお子様の日ですから、お代はいただきません」
 その時、運転手さんは初めてしゃべりました。兄弟がお礼を言っておりた車は、どこにでもある普通のタクシーでした。
「もしかして坊っちゃんたちは、アキラくんとタカシくんかい?」
「はい、そうです」
 アキラくんが元気よく答えました。声をかけてきたおじさんはふり返り、「帰ってきたぞー!」と叫びました。すると、兄弟の迷子を聞きつけて集まってきた人たちから、大きな拍手と歓声があがりました。
 その場にいなかったお父さんをふくむ数人は、兄弟を探しに山の奥まで行っていました。

 兄弟はお父さんを待つあいだ、ジュースやお菓子などを色々もらいました。れいぎ正しく受け答えしていると、「僕たちは強い子だね」とほめられました。
 アキラくんは食べきれない分をリュックサックにしまいました。がさごそと整理しながら、「これ持ってて」と何気なくタカシくんに手わたしたのは、“緑のない色えんぴつ”です。
「ねえ、お兄ちゃん」
 アキラくんが目を向けると、ひらたい缶の入れ物の中に、十二色がきれいにそろっていました。車の中で使った緑の色えんぴつは、お兄さんに返したはずでした。
「五月が来たんだね」
「うん。だんだん暑くなってきた」
 神様のかくれがにも、暦通りの夏が立ちました。

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