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【小説】レジスマイル開運化


「あそこのご主人、乗せてるのよ」
「ああ、分かります」
 立ち話の中で私がそう答えたのは、前髪の不自然な生え際を思い出してのことです。
「この前エアコンの修理に来てもらったら二万五千円。びっくりしちゃった」
「ああ、そっちですか」
 小首をかしげるご近所さんを見て、私は笑いをこらえました。
 仕入れから金額を上乗せするのは商売の鉄則ですが、その塩梅を誤ると、消費者に不快感をもたらしてしまいます。

 県内に複数店あるスーパーで最近働きはじめた私の仕事も、過剰な上乗せだと言われることがあります。いちゃもんとしか思えませんが、二千二十五年現在、有人のレジはサービス料として、八円か十円割高になるのが通例だからです。“レジスマイル有料化”とは、誰が言い出した言葉でしょう。
 機械化の波はあっという間に津々浦々、この田舎町のレジ打ち業務にも押し寄せました。
 
 私の職場にある六つのレジのうち、有人は一つだけです。そこを利用するのは、機械操作に不慣れなご老人ばかりで、温かい声をかけてくださることが多いです。けれど、中には割高分の価値を求めてくる人がいて、態度が悪いなどと後にクレームを入れてきます。たかが十円、されど十円の付加価値で、機械にはできない笑顔を作らなければなりません。不景気のご時世、私の代わりはいくらでもいます。にこにこと愛想よく、短い会話に合わせながら、てきぱきと正確に手を動かす必要があります。
 たかがレジ打ちと馬鹿にしてはいけません。自分で言うのも難ですが、立派な接客業です。集中して一つのことしかできない人には難しいと思います。
 臨機応変に、十円の価値を生み出し続ける私の時給は、上がる見込みのない八百円です。特に不満はありません。テレワークだと困ります。私にとって重要なのは、家から離れることですから。

 姑と仲が悪いわけではありません。とても良い人です。ただ、二人きりになると息が詰まるというか、互いに気を遣うような雰囲気になります。例えばふらっと喫茶店に出かけてしまっても、嫌味などを言われそうにありませんが、やはりそこは嫁として、妥当な口実をこしらえるべきです。姑は主婦業を完璧にこなします。そこに引け目を感じますから、少しばかりの稼ぎでも、家にお金を入れることによって、私の気持ちも生活も、一石二鳥で楽になるわけです。
 仕事終わりの日課は、イートインコーナーでゆったり珈琲を飲むことです。陽気のよい日は外のベンチに腰掛け、顔見知りのお客さんや手の空いたスタッフとたまに言葉をかわします。三十分程度の休憩ですが、それから帰路についても、学校帰りの息子より少し早く帰宅できます。

 ある春の日、私は値引きを忘れるというミスを二度犯してしまい、珍しく珈琲を買わないでベンチに向かいました。大きなため息と共に腰を落として、幸い誰もいませんでしたから、自分の不甲斐なさに項垂れました。今日は誰にも話しかけられたくないと思いました。それならば、すぐに帰ればよいのです。帰らなくても一人で車に乗っていればよいのです。
 なぜそうしなかったのでしょう。我ながら実に面倒な女です。
「お疲れ様」
 その声に顔を上げると・・・
「はい」
 上品に笑うお掃除スタッフのおじさんが、両手に一つずつ持った黒い紙コップの片方を差し出してくれました。白い蓋つきの、いつも私が飲んでいる珈琲だと分かりました。
「ああ・・・ありがとうございます」
 やや距離を取り私の横に座ったおじさんは、ひょろりとした体つきで、たまに見かける人でした。恐らく七十近いことを知らされたのは、深目に被った青いキャップを外した時です。白く薄い前髪が現れました。
「少し暖かくなったねぇ」
 どうしたのか訊かないのは、優しさだと感じました。
「だいぶ春らしくなりましたね。でも明日は、また寒くなるみたいですよ」
「雨になるのかな?」
「はい。雨の予報です」
 おじさんは珈琲を一口飲んで空を見上げました。雲らしい雲はありませんが、薄いベール越しに見るような空の青さで、柔らかい色合いが一面に広がっていました。遠くから聞こえてきたのは、子どもたちの賑やかな声です。近所には小学校があります。
「晴れの日もあれば雨の日もある。時には台風がやってくる。ねぇお姉さん。そうでしょう?」
 私は大きく頷きました。おじさんとしっかり顔を合わせました。
「僕は若い頃、運がないと思っていた。今の若い人たちの多くも、こんな時代だから同じかもしれないね。だけど運は、文字通り運ばれるもの。誰かのところに留まる性質はないんだよね」
「本来お金もそうですね」
「おお、お姉さん。その通りだよ。運がないと感じるのは、運を自分に無理やり留めようとするからなんだ。運もお金もどんどん人に運んで、また自分に運ばれてくる流れを作らなきゃいけないんだ」
 私は自然と口元がほころびました。
「いいねぇ、お姉さんの笑顔。人に運を運んでいる。僕は今日、実に運のよい日だ。お姉さんとこうして話ができた」
「こちらこそ。心が明るくなりました」
 私に出会えた日は運がよいと、誰かに思ってもらうことができたなら、なんて素敵な人生でしょう。
 おじさんから貰った珈琲の味は、いつもより美味しく感じました。

 翌日から私は、運をお客さんに運ぶことを心がけました。もちろんミスのないように気をつけた上で、十円の価値として笑うのではなく、運を運ぶために笑いました。笑顔をケチってはいけません。
 次第にお客さんも笑ってくれる人が多くなりました。運の交換と言いましょうか。よい流れができました。機械には決してできないことです。開運レジと言ったらインチキ臭くなりますが、お買い物するだけで運気が上がると店長、いえ社長に、お会いできたなら、差し出がましくプレゼンしたい気持ちです。家にいるより“楽”だった仕事が、とても“楽しく”なりました。

 あのおじさんとは、顔を合わせる度に話をするようになりました。気さくによく冗談を言ってきます。親しみを込めて、おじさんと呼びますが、お兄さんと呼ぶように指導されたことがあります。火曜と木曜だけ、お掃除業務に来ているそうです。奥さんと二人暮らしで、息子さんが一人いるらしく、せがれと言いました。せがれを語る時だけは、少し厳しい顔つきでした。親の顔と言いましょうか。話の具合からなんとなく、息子さんは責任ある大きな仕事をされていると分かりましたが、鼻につくような言い方をしませんでした。
 一方私は、息子の自慢を聞いてもらったことがあります。それは利発な子だねぇと言って、おじさんは褒めてくれました。

 後に私は、おじさんの“正体”を知らされます。貫禄のないまだ若い店長が、おじさんと呼んでいる私にびっくりして、意味深な笑いを浮かべていましたから・・・
「何よ店長さっきの笑い」
 そう明るく問いただしました。
「あのお兄さんのこと、ご存じでない?」
 憎たらしい顔を向けてくる店長に、私はひどい作り笑いを返しました。これぞまさに、十円の笑顔です。

「おじさーん、お手伝いしますよー」
「おお、悪いねぇ」
 敷地の外まで草むしりしているおじさんを見つけた日、私は珈琲休憩を取りやめて、一緒にいい汗を流しました。その最中に、とぼけて訊いてみたことがあります。
「おじさんは若い頃、何をしていたんですか?」
「んん?・・・掃除だよぉ。他にも色々やってたけどね。せがれにもよく言うんだ。まずは掃除ってね」
 それを実践して、引退後も陰ながら継続できる人なんて、この広い世の中でもそう多くはいないでしょう。私はこれからも接し方を変えず、あくまでも尊敬するおじさんとして、多くのことを学ばせてもらいたいと思っています。

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